第二節 近世農民の生活

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 近世に於ける下野国は、約一、四〇〇の宿・町・村に分かれていた。湯津上村は狭原・小船渡・湯津上・佐良土・蛭畑・上蛭田・下蛭田・新宿・片府田の各村に分かれ、貞享年間の記録には、このほか寺地恵村の名があるが、その後は見えない。湯津上村は、時に柚上とも書かれており、当時すでに「ユズカミ」と言われていたものと思われる。また、上湯津上村・下湯津上村と、上下を区別したものもあるが、同じ時代のものでも単に湯津上としてあるものもあり、その区別は曖昧である。これらの村は、明治維新まで幕府直轄の天領・旗本の知行地・大田原藩領に分かれ、それぞれの村には村役人があって、末端の行政が行われていた。

農耕の図