3 農民の地位

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 いわゆる士・農工商の身分制度は、豊臣秀吉の兵農分離の施策に始まり、江戸時代に至って完成したと言われる。すなわち武士は武力を独占し、支配者として最高の身分を与えられ、その下に平民としての農工商が置かれ、武士と平民との間には厳しい階級的差別があった。農民は、名目上は工商の上に位置づけられてはいたが、支配者にとっては主たる年貢収奪の対象となり、日常生活の微細な点にまで厳しい規制を受けていた。当時の支配階級が、農民に対してどのような考え方を抱いていたか、その根幹となるべき百姓観はどのようなものであったかは、次の例によって明らかであろう。
 百姓は天下の根本なり。これを治するに法あり。まず一人々々の田地の境目をよく立て、さて一年の入用作食をつもらせ(必要な種籾や食糧を見積らせ)その余を年貢におさむべし。百姓は財の余らぬやうに、不足なきやうに治むること道なり『本佐録』
 百姓は飢寒に困窮せぬ程に養ふべし。豊かなるに過ぐれば農事を厭ひ、業を易ふる者多し。困窮すれば離散す。東照宮上意に、郷村の百姓共は、死なぬ様に生きぬ様にと合点致し、収納申し付くる様にとの上意は、毎年御代官衆支配所へ御賜暇の節(任地へ赴くこと)仰出されしといへり『昇平夜話』