慶安御触書ほか

156 ~ 175
この御触書は、全三十二カ条から成り、第一には、領主代官あるいは村役人に対する服従を説き、「公儀の御法度を怠り、地頭代官のことをおろそかに存ぜず、さてまた名主・組頭をば真の親と思ふべき事」(第一条)といい、また名主組頭に対しては、小百姓の成り立つように不公平の処置のないように命じている。(第二、三条)
 第二には、耕作に精励するように詳細な注意を与える。「朝起をいたし、朝草を刈り、昼は田畑耕作にかかり、晩には繩をなひ、たはらをあみ、何にてもそれぞれの仕事油断なく仕るべきこと」(第五条)といい、更に種子の撰別、農具の手入れ、牛馬の飼育に心掛けること、下肥のとりよう、庭先の清掃に至るまで、こと細かに指示している。
 第三には質素倹約を強調し、食物は雑穀を主として、米を多く食わないように心掛け、ことに平常はなるべく粗食をし、農繁期には少しよいものを食うように(第十一、十二条)、衣類は木綿を主として冗費を省き(第十六条)、更に春秋に灸をすえて健康を保つこと(第二十二条)たばこは無駄であるから止めるよう(第二十三条)と言っている。
 第四に、その目的が年貢収納の確保にあることを示し「年貢さへすまし候へば、百姓ほど心易きものはこれなく」といい、そのためには酒や茶を買って飲むな(第六条)とも言っている。
 以上をみると、「百姓は生かさず殺さず」という当時の支配者の考えが、まことによく表われており、事実このような勤倹質素な百姓の生活の一面は、戦後の一時期まで続いたように思われる。明治大正生れの世代には、思い当るものもあると思うのである。五人組帳の御法度書や百姓身持教訓なども、このような百姓観の延長線上に出来たものであろう。
 つぎは、寛政三年と文政十一年に出された申渡書である。
 (一) 野州六ケ村エ申渡書付
  此度相改メ被仰渡候覚
一、御年貢米永皆済目録正月年始ニ罷出候節、六ケ村共ニ不納無之様取立急度差出可申候。

一、御年貢米吟味仕リ悪米并びにあら、田ひへ、赤米等無之ヲ可相納候。尤も米は中札差入可申候、悪米有之候得バ、中札を以て米は御吟味被仰付候間、中札無之ハ村役人ノ可越度(おちど)候。

一、其身農業ニ掛リ〓(かせぎ)疎ニテ田畑荒地等出来候者有之候ハバ、村役人共不隠(かくさ)可申届候、御吟味ノ上曲事可仰付候。

一、人少ノ村方ニテ次男三男たり共手余リノ田畑を打捨、他所エ奉公ニ出候事可無用候、若シ無拠(よんどころ)筋も有之候ハバ、其地頭所エ相達し可申候。其筋ニより御手当等も被成下候儀も可之候、不相達他所エ出候得バ村役人迄可越度候。

一、百姓ノ伜共ノ内近頃ハ放埒ニ成ル族も有之候由相聞候、村役人并ビニ親ノ異見も不用、不行跡成者早速可申出候。

一、厄介病人等も無之田畑も相応ニ出来、物入リノ様子も外より不相見候テ、不納等致シ身上取続兼候抔(など)ノ者ハ、村役人より得与(とくと)可吟味候事。

一、分限不相応ノ身ノ廻リ并ビニ暮シ方等致候者ハ是又村役人心ヲ付ケ可吟味候。

一、村方日待ノ儀、致来リ候事故、農事手透(すき)ノ時分、年ニ壱度可致候。併シ物入リ等費成ル事決シテ可無用候、五穀成就ノ祈祷ニ候得バ、其趣意ヲ不取失様ニ可致候。

一、遊日ノ儀六ケ村共ニ申合セ、多分無之様可致候。数日遊候儀決シテ致間敷候。

一、蔵入振舞抔ト号シ、御年貢上納皆済も不済内、村役人宅エ集リ酒食等催シ候儀相聞候、其理ニ不当事に候。大切ノ御年貢首尾能相納候上ハ、其身ノ存じ寄リ次第相祝い候儀ハ格別ニ候。

一、疱瘡祝ひ等いたし候共家内限リニ相祝ヒ餅抔を搗キ外エ配リ、亦ハ手前エ人を呼び候儀決シテ無用ニ可致候、婚礼亦ハ諸吉凶振舞抔ノ儀致候共一汁一菜に可限候。中より以下不如意ノ者ハ出来合ニテ可相済候。鎮守、菩提所仏事等ハ、其分限ニ応じ可致候事。

  其外神事仏事ニ事寄遊興致候抔(など)決シテ無用たるべく候。
一、地芝居等相催シ、又ハ外村を呼び人寄せ等致候儀相聞候。公儀より厳敷御触れも有之候御時節、万一右躰ノ儀ニテ異変等も有之候得バ、御地頭所迄越度ニ相成候事故無用たるべく候。若し右躰ノ儀相聞候得バ、急度被仰付方も有之候。縦(たとえ)他村ニテ相催シ候共夫ニ拘わり可申儀ニテハ無之候。国風抔ト相心得候族も有之様ニ相聞候、甚不埒ノ事ニ候。畢竟困窮ノ基(もとい)、其身/\の子孫ノためを思忍び可致候。

 博奕諸勝負ノ儀ハ近頃別テ厳敷被仰出候得バ不申ニ、其外寄リ集リ悪事ニテも不致様村役人折々家別見廻リ可申候。

一、惣(すべ)テ百姓未明ニ起キ朝食前農業ニ出一仕事致シ、夫より朝食後も精出シ、夜分ハ小仕事可致候。若キ者ハ別テ度々此儀可申付候。

 其上ニテ無拠儀も有之候テ困窮ノ儀ハ天命ト申者不是非候。亦外より憐愍も可之事ニ候。此儀を不相用出精ニテ困窮致シ御年貢等不納致候ハバ、其段可申達候。

一、田畑障リニ成候竹木ハ相互ニ申合、木下伐リ可致候。

一、居屋敷竹木立置村内道筋悪ク往来ノ人馬難儀致候ハバ、村役人申付為伐可申候。

一、上地ニ相成候田畑高掛リ御地頭所エ掛リ候儀外ニテ余リ不承事ニ候。相応ニ取筒も有之候ハバ、其内ニテ可相勤筈ニ候、此儀ハ追々御吟味も可之候。名主共相互ニ遂詮議出精可致候。

一、五給御役人廻村ノ砌リ其地頭所御役人ニ無之候共、乗折(のりおり)其外無礼ノ儀不致様村役人より、急度可申付置候。上を恐候儀を不弁候テハ、〆(しめ)し相成ル間敷候。

 右之趣不相忘様ニ、掛札ニ成共致、折々村役人より可申聞候。小前并ビニ年若成ル者其時ノ催ニさそわれ遊興等いたし跡ニテ難儀致し候儀も有之候事に候村方長(お)サたる者心を付可置事に候。

前々より御法度ニ仰出候所尚又近年追々被仰出候ケ条ノ趣、村々得其意懈怠様可相守申事。

一、近年御年貢米永共ニ定式ニ不相納、年増等閑ニ相成地頭所御差支ニ候、依之以来夏成ハ六月十五日迄、秋成ハ八月十五日迄、冬成ハ十一月十五日迄ニ米永無遅滞急度上納皆済たるべく候。尤も五給地頭所申合、為取立ト年番壱人宛廻村可致間小前百姓共トも、具(つぶさ)に申聞心得違無之様取斗(はからい)可申万一不納ノ族も有之バ、其筋により吟味の上急度申付方も有之候間、村々共ニ惣百姓エ為触聞心得違無之様村役人出精たるべき事。

一、早稲米取立ノ儀、年々八月上旬より地頭所惣代年番壱人宛、廻村相改候事ニ候。御年貢ハ大切ノ儀ニテ諸国一統米拵方、あら、おれ、志いな、赤米、むかご等無之様、并ビニ俵造リ等右同様念ヲ入、可相納筈ノ処近年村々共拵方麁抹(そまつ)ニ相成リ、平米同意ノ仕方不埒ノ至リニ候。以来右躰ニテハ不相済事ニ候。畢竟手入行届等閑ノ致方以来随分種籾より心掛ケ可之候、米ノ善悪一ツハ稲草ニもより候事、尚又土地ニ相応致し赤米無之米出生宜稲草も有之事に候。又秋ニ至リ種を取リ候節、手ごきニテ随分赤種を相除キ念入れ候得バ、自然ト赤米無之ものニ候。己来ハ村々共ニ米出生種々宜(よき)を撰ビ可申候、御年貢向後赤米并ビニ田稗、志ゐな米、あら糠等有之米ハ相除、納ニハ不相成候、扨又上納以前繩等ノ儀能キ藁を相かがり、割繩ハ多く内外共ニ五ツ所結び、蜘蛛かがり随分細かにかがり拵え可申候。尤も年番差図可之候間村々共ニ得其意心得違無之様可申聞候。

但田稗是又念入不実結内ニ無油断ぬき取候様可致候。田ノ草を取リ候時分より村役人時々見廻リ、草、ひへ等有之候ハバ田主共呼寄せ早々手入候向可申付并びニ赤米相見へ候ハバ、持主エ申付不苅取以前抜取候様可申付候。平日手入等疎ニ成候趣ニ相聞候。不埒ノ至ニ候、村役人無由(油)断心付事に候

一、其村々次第ニ人少ニ相成いつとなく及困窮ニ候。

 右ハ平常所之風儀不宜故ノ儀ニ候、近年其村ニおひて神事抔となぞらへ村役人より遊日を触れ出し酒食遊興芝居ノ儀抔相催シ隣郷他村より人寄等致し農業を打捨て、かわら者のまなびを致し、客を招き其上花抔と号し、他所より金銭を遣リ取リ致シ候儀費成ル事ニテ自然ト田畑荒地多く相成リ作付候迚も手入等不行届事故自然ト困窮ノ基ニテ、御年貢諸役等勤兼ね、古郷を退キ候族も有之いつとなく人少に相成候儀、平常之風儀不宜故、連年村々及難儀候趣勘弁可(考えること)致事ニ候

一、以来右躰ノ儀呉々も相慎可申候、夫共正月三ケ日五節句鎮守祭礼日、其外年の内無拠一両日相休候儀ハ格別、数日遊候儀決して可無用候、都而(すべて)農人ハ早朝より農業ニ出それ/\に農事致し、及暮ニ我が家に帰リ夜分繩俵等拵え其外夜分相応ノ手業有之、昼夜ニ不限無由断相勤儀ハ百姓方諸国一統之儀ニテ心掛専要ニ候。然る処其村々ニおいてハ、朝五ツ過ギならでハ其業に不取、夜分迚も小仕事ハ決シテ心掛不申候向ニ相聞候。巳来右躰疎ニテハ不相済事ニ候間、村役人より惣百姓共エ精々申含昼夜無解怠出精可致候。向後前文ノ趣ノ儀遊び事可停止候。万一右躰ノ儀不相慎弥聞におひてハ、村役人ハ勿論ノ儀其筋ノ者不残呼出吟味ノ上、急度可申付条以来心得違無之様農業大切ニ出情(精)可仕候。

一、都而(すべて)博奕(ばくち)賭ノ諸勝負前々より御法度之儀ハ勿論ノ儀ニ候所、尚又近頃厳敷御禁制ノ御触有之ニ付、諸国一統相慎候事ニ候得バ、万一博奕ニ似よりたる儀ニテも致候者、洩聞ゆるニおひてハ、当人ハ不申村役人共呼び出し無用捨急度申付候間、給々相互致吟味右躰ノ者有之ハ外より不洩内早々可訴出候。并びに身持不埒ニテ農業怠リ村役人之心入も不相用我意ヲ立候族も有之候ハバ、親疎之無差別右躰ニ可申出候族捨置者村役人可越度

一、隣郷他村宿町エ参リ酒屋等ニテ他村ノ者抔ト寄合酒盛等いたし、扨ハ喧〓口論等致し其外強売リ強買い等致候儀、厳敷御禁制ノ仰出候。右ノ趣給々共ニ惣百姓共エ触(ふれ)志らせ可申候。

一、村々百姓ノ伜共近頃ハ甚放埒不法ノ族も有之村役人并びに親之制道をも不用、不行跡の若者共寄集リ、徒党ニも似よりたる儀抔有之趣、風聞も有之為言語ニ事ニ候。幼少より父母ノ養育ニテ成長致孝ノ道を可尽所御法度同然ノ儀抔(など)ト有之由不届至極ニ候。以後右躰ノ儀有之候ハバ早々可申出隠(かくし)置ハ村役人ノ可越度事。

一、村方ニより日待或ハ疱瘡祭リ抔ト申シ、餅搗等致シ相互ニ遣取リ致シ手前ニテも呼び集め、酒宴料理等いたし取はやし候村方も有之由、又候振舞抔とて村役人宅エ惣百姓を集メ酒肴取調え遊興致候村方も有之趣相聞候、畢竟村役人心得違平日〆し疎(おろそか)成役之儀ニ候。

 近年御年貢辻御定法日限皆済の儀ハ不心掛村方ニより其年ニ諸勘定不行届、御年貢ハ天下一統大切成訳をも不弁、上納等ノ儀ハ等閑ニ致シ酒宴遊興を先立候段、言語同断不埒の至リニ候。右躰の儀ハ村役人可越度候。急度相慎候様給々惣百姓エ可申付候。

一、公辺御用向ハ、地頭所申付少も相背くべからず、村々用水堰道橋普請惣(すべ)テ諸参会等ニ至ル迄触出シ、刻限無遅滞村役人先立着刻可致候。何事ニ不寄差図を不用、我意立候者無遠慮訴出候。

但村役人折々小前家別見廻リ其業ニ懈リ身持不取〆(とりしま)リ成ものハ役人理解申含相改候様、可致候。無相用ものハ可訴出候。且つ用水道橋田畑山林等ニ至ル迄、折々見廻リ小損の内取締リ可致候。其外地境等不分明之場所ハ、其地主五人組立合相改メ、他分の評儀ニ随ひ候テ、堺等立可申候。村役人下知を相背候ハバ可申出候。呼出し吟味之上非分ニおいてハ急度咎メ可申付事。

一、百姓ニ不以合ノ衣類を着し、長脇差を帯し、他所エ罷出候儀并ビニ、聟取娵(よめ)取或ハ年忌仏事等分限ニ過ギ候儀御停止ニ候条、尚又近頃右驕ケ間鋪(ましき)儀御禁制厳敷被仰出候。別シテ在々ニテ百姓不相応成ル美服を着シ、ぬり下駄塗はなを履物、傘をさし、鼻紙袋、きせる、たばこ入等夫々ニ物好みいたし、銀金物等うたせ所持致候儀尚又厳敷御法度被仰出候間、以来何事ニよらず費成ル儀決シテ相止候様、村役人より惣百姓エ可申付候。

一、武家其村通行等有之ハ、無礼不致候、御朱印伝馬其外往来ノ次馬先規より助来候儀ハ勿論伝馬宿ノ外たり共、御用通行ハ次人馬無滞出シ可申候。

 且又五給地頭ノ儀ハ一統ノ儀、何れの地頭より廻村有之迚も、其地頭所役人同様ニ候間、無礼等無之様常々惣百姓エ可申聞候。近頃ハ村方ニより百姓ノ内、心得違相給用人廻村ノ砌リ、乗リ折リ又ハほうかむりいたし、或ハ高足駄ニテ摺れ違い候族も有之候。此段常々惣百姓エ精々可申付置

一、村々田畑こさ伐相互ニ申合可致候。竹木茂リ候得バ、近辺田畑迄不宜事ハ承知ノ事ニ可之候、其上居屋敷ノ内甚樹木生茂リ村内道筋悪村方も有之候。村方ノため不宜不益ノ儀ニ候。

一、屋敷地ノ内、竹木生茂リ候得バ干物等不乾候。
一、村内道筋悪ク日々往来ノ人馬致難儀候。
一、樹木ノ湿気自然ト受候テ不宜候。
一、人家ハ打開キ候所が繁昌致候もののよし。

 右屋敷地ノ竹木を伐払、跡エ野菜物ニテも作り候得バ手近キ事故、留守ニ残リ居候老人又ハ女ニテも手入相成、日々重宝ニも可相成事ニ候。木を立置候テ数年ノ後一度用立候共、年々日々ノ儀ト引キくらべ候ハバ、益々不益ノ処勘弁可之事ニ候。夫共ニ切払候テ難儀ニ相成候筋も有之歟(カ)、亦ハ立置候て益々相成候儀有之候ハバ、其旨可申達候。右ノ趣得(とく)ト相心得、給々共ニ写し置キ折々悪キ百姓エ不洩様読聞かせ可申候。万一相背候族も有之バ、早々可訴出候。隠置(かくしおき)外より洩聞候得バ、当人ハ勿論村役人共呼出し急度可申付候。近来ハ万端御法度厳敷被仰出候処於知行所村々ハ年増ニ不埒ニ相成候。是迄用捨致置候儀も有之ニ付、地頭所差支難渋等ノ儀ハ一円弁不仕諸事不埒増長致候テハ、此上地頭所無念ニも可相成儀目前ニ候間、以来心得違無之様、前書ノ趣村役人ハ不申小前百姓共エ確ト申聞カセ無懈怠急度可相守者也。
          加賀美冨之助内
 寛政三(一七九一)辛亥年六月     小沢半右衛門
          本田政之助 内
              須藤文左衛門
          中根織部 内
              碓氷伴右衛門
          加々爪芳太郎内
              八木市右衛門
          浅井吉次郎内
              平井茂右衛門

右御書付五給御年番本多政之助様御用人須藤文左衛門殿御持参ニテ惣村中六十以前十五以後被召出仰渡御請印形差上申候
                下蛭田村
                  此主
                   名主
                    条右衛門

(蜂巣丈平家文書)

 (二) 野州佐久山宿外三拾四ケ村組合村々議定連印書付
文政十亥年関東御取締御出役方より被仰渡御請書左之通差上申一札之事

一、近来無宿共長脇差を帯び又ハ鎗(やり)、鉄炮等を持チ歩行シ在々所々ニおゐて、及狼籍右を見真似百姓町人共の内ニも長脇差を帯び、同様ノ所業ニおよび候者有之是迄追々御仕置被仰付候得共、猶不相止増長いたし党を結び押歩行候趣ニ付、先般右躰鎗、鉄炮等携候者ハ勿論長脇差を帯び又ハ所持いたし歩行候もの共ハ御召捕悪事ノ有無、有宿、無宿ノ無差別死罪、其外重科ニ可仰付旨御触有之、右ノ趣夫々支配領主地頭より、触知らせ承知ノ上小前末々迄村役人共より精々申諭シ、世話可致儀ニハ候得共、右躰厳科被仰出候ハバ、百姓風俗を悪者ニ不移様ニとの御仁恵ニ付難有仕合奉承伏、良民ノ弥害ニ相成候者ハ不捨置村役人并ニ小前一同申合、搦押(からめおさ)え其支配領主地頭又ハ御取締様方御廻村先エ差出シ聊カノ心得違、不身持ノ者共トも厚利解申諭シ、本心ニ立帰リ、家業出精いたし候様専一ニ心掛丹誠致し、若し其上ニも不止事不身持ニ候ハバ、是又御廻村先エ密々御訴可申上候、悪者共徘徊いたし候ハバ、村役人共制方不行届ニ付、其品ニより急度御取斗らい可成事。

一、村々ノ内悪者徘徊いたし又ハ無商売ノもの差置候ハバ、村役人ハ勿論小前末々ノ者五人組前書不相弁故ニ付、農業暇亦ハ休日等ニ再々村役人共より読聞かせ、急度相守可申事。

一、近来世上一統トハ申ナガラ、就中関東筋村々別シテ奢リニ長ジ、神事、祭礼、仏事等前々より格別ニ相成リ入用多く相掛リ、困窮及難儀候趣ニ付村役人共精々申合せ、質素倹約専一ニ取斗らい可申候事。

一、於在々歌舞妓、手踊、操(あやつり)芝居、相撲、其ノ外惣ジテ人寄ガマシキ儀ハ前々より御法度ノ処、近来ミダリに相成、所々ニテ芝居等相催候趣相聞エ是迄御仕置被仰付候向も有之未ダ相止ズ、芝居相催シ候後ニテ被御聞候共、右催候者ハ勿論道具貸遣ハシ候もの迄も、厳敷御糺シノ上其筋迄御呼出シ被成候ニ付、村役人共ニおゐても小前末々迄差留可申事。

一、近来小前未々迄心得違ニテ農を怠リ、商を専ニいたし、田畑作余リ高持百姓及難儀候ニ付、農家ニテ商売致候ハ、自然其所奢ニ長じ候基ひ不宜事ニ付新規ニ商相始候ハ勿論、追々相止候様可心掛事。

一、右之趣精々御制触有之一同承知奉畏候。

然ル上ハ此後無怠小前末々迄申聞カせ無違失相守可申候。万一等閑ニいたし無商売ノ者ニ店かし置候カ、又ハ悪者ノ宿致シ差置候者有之候ハバ、当人ハ不申、親類組合村役人一同何様ニも可仰付候。仍御請印形差上申処如件。

   文政十亥年           村役人一同連印
 右之通リ御教諭ノ御請書被仰付無宿有宿悪者差出シ諸入用組合村高割成丈ケ手軽ニ差出シ候様被成下候ハバ百姓諸職人町人等、其身風俗を失ひ諸々悪事携終ニ無宿ニ成リ又ハ及潰候者も良民ノ風俗ニ帰リ、万端質素ニ家業出情(精)永続致候様ニとノ御仁恵難有仕合奉存候儀ニ付、組合村々格別ニ差はまり悪もの出来さる様、奢を防ギ取締リ行届、右御仁恵忘却不仕様村々申合議定左ノ通リ、

一、前々従御公儀 被仰出候御法度ノ趣、弥堅相守可申候事。

一、今般改メテ組合村相定候上ハ、小組合大小高増減ニ随ヒ三ケ村五六ケ村組合候ハ都(すべ)テ議定能ク相守リ若シ相背候村方ハ御取締様方、御廻村先迄蜜々御訴え御調請可申事。

一、宿町村ノ内、悪者ニ店貸又ハ宿いたし候モノ有之ニ付其所ハ勿論近村迄良民ノ風俗悪敷成悪事ニ移リ候間右躰ノモノ并ビニ無商売ノモノ決シテ村々エ差置キ不申、常々村役人心ヲ付、万一隠置候ハバ、蜜々御回村先迄御訴申上候カ、亦ハ組合村方ニテ搦押え其筋エ差出シ諸雑用ノ儀ハ悪モノ差置候当人五分、組合三分残リ弐分ハ其村高割当人困窮者ニテ雑用難出来節ハ、組合親類より差出シ居村ニテ差押へ差出候節ハ番人足飲料共ニ、組合村高割囚人差出候入用ハ店貸又ハ宿致候当人七分組合三分過怠として差シ出サセ可申候事。

一、無宿長脇差其外火付盗賊人数等都(すべ)テ悪党共村々迄立入候節ハ村役人ハ勿論、居懸リ候もの共早々手配リ申合せ差押へ、若(もし)又党を結ビ大勢ニテ手余リ候節ハ小組合迄触知せ手勢相集メ差押へ、不取逃様手当ノ上、村役人并ビニ惣代差添悪事ノ軽重巨細書付ケ前条被仰渡書ノ趣ヲ以テ差出し、諸入用ハ組合惣高割ニ可致候事。

但シ諸入用ノ儀ハ御出役様方迄申上置高割ニ可致候事

一、有宿ノ悪者御召捕ニ相成候カ、又ハ村方ニテ差押候カ、他村ニテ差押候共諸入用ハ人別ノ村方より前三ケ条目ノ振合ヲ以テ可差出候事、

一、浪人、職こぼれ等ノ類、村方迄立入合力ヲ乞ヒ候節、是迄差遣わし候ニ付、追々申偽リ罷越候間大小帯候者ハ勿論、脇差等帯候モノエハ、壱銭弐銭ノ合力も不差出一夜たり共、宿貸不申若不法狼籍ノ仕形有之候ハバ留置村方より、手強ノ人足差出差押え、差出方ノ儀ハ四ケ条ノ通リ取斗らい可申、且浪人ノ外実ニ難儀ノ躰ニ見受候者、合力相願候ハバ其時宜敷ニヨリ、当人共難儀ニ不相成様取斗らい可申候事。

一、宿村々ノ内浪人者又ハ職こぼれ相対勧化等ノ宿致候者有之、猥リニ相成候間以来ハ当人共難儀ノ様子ニ相見エ候ものは、とくと出所ヲたゞシ村役人迄相達し、止宿致させ決シテ猥ケ間敷儀無之様いたし、其上ニも宿致候者有之候ハバ、早々御訴御調請可申候事。

一、博奕并ビニ都(すべ)テ賭ノ諸勝負ノ儀ハ前々より御法度ノ処、近来相弛(ゆるみ)候由ニ付、自今以後組合村々相互ニ村役人見廻リ壱銭弐銭ノ取引ニテも、厳しく為制十五才以下ノ子供慰ニ、紋付、唐こま、投銭賭ノ諸勝負事いたし候儀も博奕ノ筋ニ付村役人ハ勿論親共厳敷教諭可致其上ニも催候者ハ幼年たり共差押可申事。

一、宿在町村々ノ内ニテ博奕道具売買致候風聞有之ニ付、無油断相糺シ可申上事。

一、在々ニテ歌舞妓、手踊、操芝居其外角力等前々より御法渡ノ処、猶又今般厳敷仰付候間、右躰ノ儀ハ勿論都(すべ)テ人集メケ間敷儀ハ決シテ為致間敷、且若者共相催候を厳敷差留候節、村役人を恨ミ候趣ニ付以来ハ、組合村々相互ニ申合せ、他村より差留可申、若シ相背キ候ハバ重立候者ハ勿論、同類一同名前書付蜜々可申上候事。

一、宿在町村々ノ内、旅芝居宿又ハ在々村々百姓共、常々稽古いたし芝居道具拵え置き、衣裳貸シ遣わし又ハ神事祭礼ノ節芝居売歩行、自然ト見まね相催す趣ニ候間、追々右躰渡せいいたし候者ハ品物御取上急度御仕置被仰付候事ニ付、村々申合セ右躰ノ者有之候ハバ、申立又ハ為相止村役人申付不相用候ハバ、蜜々可申上候事。

一、神事、祭礼、風祭ノ儀ハ大造(たいそう)成儀不致村入用不相掛様其所ノ役人ノ差図ヲ請(うけ)、取斗らい決シテ村方若者共エ不相往(応)ノ費を省キ酒食等猥リに致間敷候事。

一、他所ノ者村方エ住宅仕度旨願候ハバ、出所を相糺シ農業ノミニテ、商向等不致者ニ候ハバ出所ノ村方役人より証文取差置、遠国の者等其所役人送書付無之候ハバ決シテ差置申間敷候事。

一、下野常陸両国ノ内、其所仕癖ニテ小前末々ノ百姓并ビニ〓(せがれ)共神社仏閣参詣又ハ親類好身エ罷越候節、兎角脇差を帯び、悪者の風俗ヲ真似自然ト気嵩ニ成リ酒狂ノ上喧〓口論致シ脇差ニテ〓付候儀、間々有之以ての外成儀ニ付以来祝儀無祝儀、其所ニテ仕来帯候儀ハ格別、他所エ罷出候節ニハ決シテ相帯申間敷候。無拠遠方エ罷越候節ハ村役人エ断リ可帯、若(もし)相背候者ハ其品取上村役人エ相預ケ置可申候事。

一、婚礼ノ節ハ貧福ノ身元ニ不寄、一統一汁一菜所の有合せノ肴を以て、軽酒肴差シ出シ、着類ハ紗、綾、縮緬不相用村役人ハ妻子共ニ絹、紬、太織、布木綿、百姓ハ布木綿斗リ可着、櫛(くし)、笄(こうがい)ハ銀、鼈甲(べつこう)等不用、無拠親類組合向三軒両隣ニ限リ、大勢相寄リ無益ノ入用相掛ケ大酒等不致前々御触相守リ可申候事。

但聟取嫁取ノ節、奢ケ間敷儀無之様、所役人壱両人立合、本文ニ振レ候儀いたし候者有之候ハバ、早々此段可申上候事
附、婚礼其外祝儀様ノ事エハ座頭又ハ所ノ非人等罷越祝儀ト名付鳥目寝徒(ねだり)取候趣、以来ハ右様ノ儀無之様其所ノ村役人へ及掛合置急度相止可申候、若又不止事禰(ね)だリケ間敷儀申候ハバ、其段蜜々可申上候事。

一、婚礼其外祝儀事ニ付、若者共其外使酒ト名付酒を送リ大勢罷越し、大酒いたし遺恨等有之者ハ祝儀エ妨又ハ隣村より聟嫁取ノ節、通行ノ村方エ頼ト名付酒樽を贈らざるものニハ、途中エ若者共大勢罷出妨ゲ、祝儀ト名付金子為差出、揺(ゆすり)同様ノ所業有之以ての外成ニ付、急度相止万一是迄ノ通候ハバ、重立候ものハ勿論其外名前相糺シ蜜々可申上候事。

一、葬礼仏事等も近年花麗(かれい)ニ相成候間、一汁一菜ニ限リ酒ハ決シテ不差出、成ル丈ケ手軽ニ営可申候事。

但菩提寺を導師ニ相頼候迚格別ノ布施物ニ不及、其分限より手軽ニ布施物差出可申候、其住僧ニより施物ノ多少を論事、或ハ死人ノ衣類又ハ馬代鍬代其外品々取拵納金等可致抔申聞カセ、仏祝ニ不応儀禰だりケ間敷申掛候ハバ、得(とく)と申聞不相用候ハバ、蜜々可申上候事。

一、近年村々ノ内ニ家業出精休日も不休農業家業出精身上向よきを悪(にく)み、又ハ若者共百姓町人娘下女等不儀致候抔申掛、遺恨有之者ハ若者共大勢申合附合省(はぶ)キ、又ハ田畑屋敷等エ石碑持込或ハ井戸等エ、糠、芥、下肥抔を打込ミ、悉ク迷惑為致仲直リト名付社堂エ集リ、酒食致シ諸入用為差出、不法ノ所業有之趣ニ付、以後右躰ノ儀無之様被仰聞之候ニ付、急度相慎可申若右様ノ儀有之候ハバ、重立者ハ勿論同類名前相糺し蜜々可申上、若シ隠置他所より相顕はれ候ハバ、村役人迄何様ニも可仰付候事。

一、浦方山方稼ノ事ハ格別、其外在々有来ノ外新規ノ商人決シテ為致間敷候事。

一、諸職人共儀申合セ、手間代ヲ上候相談いたし候由相聞、以ての外成儀ニテ手間代引下ゲ候儀ハ格別、引上ニ不相成候間、若右様ノ儀不何事之候ハバ可申出旨被仰聞候間、村々申合等決シテ為致申間敷候事。

一、御公儀ノ儀又ハ申合ノ儀ニ付、村役人方江百姓寄合候節村入用ニ掛ケ食物酒肴給申間敷事。

一、御出役様方御賄方ノ儀不相当ノ足銭いたし候趣相聞難儀ノ筋ニ付、御定ノ外馳走ケ間敷儀不致従令(たとえ)他ノ御用筋御廻村ノ御方ニテも御定ノ外馳走ケ間敷儀決シテ不致村入用相減候様可仕候事。

但御用宿ニテ村役人酒食等決シテ仕間敷候事

一、村々之内エ御取締様方ハ勿論、御町方火附盗賊御改方道案内之者抔ト申シ罷越シ止宿ノ上、金子等借用いたし候者有之趣ニ付、其所エ止宿ハ勿論金子等決シテ貸不申、若シ強テ申者ハ其所エ留置其筋エ可申上旨被仰聞候間村々エ申合置候事。

一、近年諸国より勧化多く、難儀いたし候間、御免勧化并前々より帰依ノ神社、仏閣出家社人旦家ニ相廻リ候儀ハ格別、其余ハ人足亦ハ寄附物等決シテ致間敷候、縦令(たとえ)遠国より鑓(やり)来リ候共相断リ万一強テ権威を振ひ、勧化を勧メ候ハバ、其所エ留置其筋ノ御糺シ請ケ可申候事。

但諸入用ハ組合ノ内エ相談高割ニテ差出候事。

一、無宿無頼ノもの共、御廻村先ニテ御召捕又ハ村方ニテ同様差押差出御糺シノ上、無宿有宿共無罪ノ者ハ得ト御教諭改心帰農可致御見込ノ者ハ、慥成引請人御撰び御引渡被成候間、無宿ノ分ハ其所支配御地頭エ村方より相届、若身上立直シ不申候ハバ、直ニ差押可申旨御沙汰ニ付、兼テ申合置候事。

一、村々ノ内、心得違ニテ農業を嫌ひ遊歩行、親類組合村役人異見所用不申迚直ニ帳外ハ不致組合村役人エ相詑異見差加へ、其上ニも不取用候ハバ、帳外ニいたし聊ノ心得違有之候迚、後難ヲ恐れ無宿ニ致候得バ可便(たよる)所無之ニ付弥増悪事仕成ニ付無宿ニ不到門前ニ厳敷教諭可致候事。

一、宿町村の内、寺院村役人の内ニも博奕悪事携候者有之風聞ニテ、右躰ノ儀故悪者制方不行届候、縦令風聞たり共蜜々御出役様エ可申上候事。

一、取除無尽(むじん)并びに富くじ類之儀決シテ致間敷候事。

一、御公儀ハ勿論御領主御地頭より御構(かまえ)相成リ候者、御構ノ場所エ決シテ不差置様急度相守リ立入候ハバ、差押置可申上候事。

一、村々ノ内ニ公事師と唱ひ他ノ貸金を引請俄ニ下人に被抱御差紙を願ひ又ハ出入の腰押等いたし村方を強立候者有之由、右ハ不届ニ付右躰の者有之候ハバ、不隠置蜜々可申上候事。

一、餌差し共儀、近年贋(にせ)鑑札持参身すぎのため、御鷹餌鷹御用を権威ニ加ひ泊刻限ニも無之内、村々エ罷越し止宿ヲ乞ひ、聊ニも難渋申掛酒代などをねだり候者多く有之、村々難儀いたし右ニより正路ニテ餌差をも悪様ニ心得候故行違少々ノ事ニも角立て村々心得方も不宜ニ付右様酒ノ代等ねだり候者有之候節入用を厭(いと)ひ其儘にいたし当座ノ難をのがれ、酒代差出し相済候ニ付無何時仕癖ニ相成能事ト存ジ、右ノ類多候間以来ハ休泊人足継ギ立て等、定例ノ通リ木銭米代人足賃銀請取、諸事差支え無之様御用大切ニ、其上前書ノ通りねだリケ間敷儀申候とも、決シテ酒代等不差出、重頭(がさつ)無之様申宥遣、左候共酒狂ノ上等ニテ、強テ不法ニおよび候もの、名前住居并ビニ師匠餌差し名住居ともに承り、師匠の方へ掛合為(せ)引取、万一住居師匠名前不申又ハ鑑札も無之、就贋鑑札等所持ノ者ハ其所エ留置、小組合相談ノ上大組合年番へ申達其上寛政七卯七月、御触ノ趣ヲ以テ其筋エ差出シ、諸入用組合村々可高割候事。

一、御拳場(こぶしば)ハ勿論御投餌場(なげえば)内ニテ、盗鳥いたし候儀ハ前々より度々御触御座候処、近年村々ノ内右躰ノ渡世をいたし又ハ慰ニ鳥を取候もの有之趣ニ付、御糺ノ上御召捕可成候得共、村役人共より厳敷小前末々エ申聞かせ右躰ノ者有候ハバ、蜜々申上若シ隠置他村より申出候ハバ、当人ハ勿論村役人共迄急度御吟味可成旨被仰聞候間、組合村々相互ニ申合せ、右躰ノ者無之様急度制方可仕候事。

一、囚人壱人ニ付掛繩弐房ノ外上納不仰付旨被仰聞候間、以来右の通り村々心得可申候事。

但弐房ノ内壱房ハ駕籠差出候節可差出

一、目駕籠壱挺に付弐貫文迄、山駕籠ハ壱挺壱〆弐百文迄、右直段(ねだん)より高直ニ拵え間敷旨、被仰聞候間相心得可申候事。

但下ニ出来候儀ハ成丈精々可到候事

一、囚人飯料ノ儀ハ壱人壱泊リ百四拾八文、一昼七拾弐文ノ外相掛不申、所有合ノ野菜ヲ以て一汁一菜ノ相賄無宿組合入用有宿ハ、其人別ノ村方より差出し可申候事。

但囚人好嫌ひ頼事いたし候共、聊も取用不申強て申候ハバ、御出役様エ可申上候事

一、一件引合旅籠ノ儀、壱泊リ百四拾八文一昼七拾弐文より高直(ね)ニ不相成様夫より下直ノ儀ハ勝手次第、成丈ケ減少、所有合ノやさい一汁一菜ノ積リ可申合候事。

但米直段高直ノ節ハ、其後御出役様エ申上御差図を請ケ直段上可申候事

一、組合村々一躰ニ掛リ候無宿者引合雑用ノ儀ハ、可成丈ケ減少いたし聊も余分ノ儀無之様取極メ、出立帰着等ハ年番村役人エ届押切印形ヲ請、組合村々高割ニ可致候事

但無謂大勢引合罷出申間敷候事

一、壱ケ年両度宛寄合議定をいたし候儀ハ小組合村ノ内ニテ、惣代村相立右惣代之者罷出相談致し帰村其上村々エ申談じ成丈多人数不差出、諸入用相省候様取斗可申、惣(すべ)テ家業を第一ニ相励ミ親ニ孝行をつくし下人ハ主人ニ随ひ夫婦中能く兄弟したしく、老たるを敬ひ物毎ニ心を合せ村中区々ニ無之様取締行届候様取斗候村役人ハ勿論寄特之筋心掛候ものハ、御廻村ノ砌可申上旨被仰聞候間、忠孝寄特ノ者ハ可申上候也。

右ハ今般御取締筋精々御教諭有之候ニ付前ケ条ノ通リ申合候上ハ、村々厚ク相心得小前末々ノ者エ再々為読聞連印取置、自今以後無違失議定ノ趣堅ク相守リ万一等閑ニいたし置、悪者等差置候村方ハ、組合村々内より直ニ其筋々エ申上候筈、其処ニ至リ一言ノ異議申間敷候、依テ為取替議定連印致置処如

惣村中小前并若者共より村役人エ差出シ候請証文左ノ通リ

 
   差上申御請証文之事
 今般関東筋御取締御出役様より、御教諭書御読聞御利解ノ趣、尚又御請書数ケ条被仰付候段御読聞御利解逸々是又奉承知候、然る上ハ御公儀様被仰出候御法度、博奕、賭ノ諸勝負前々より御法度処、相弛候儀も有之、以来ノ儀ハ壱銭弐銭ノ取引ニテモ厳敷相制シ、子供慰様ノ紋附又ハ穴一(あないち)等ニ至ル迄、賭ノ勝負事ニ似寄候ニ付、親々組合より厳敷政事いたし不行跡無之様可申付候、且是迄郷例仕来リ候共、神事、祭礼、仏事其外婚礼子供祝ひ等格別質素倹約相守リ、酒食等入用不相掛様尚着類等都(すべ)テ木綿相用候様、相互申合御下知之趣相背キ申間敷候。尚又村方若者共仲間立置心底(しんてい)ニ不応者有之候迚、意恨を含み附合(つきあい)相省キ候儀、又ハ村方ノ内格別身上宜敷もの且ハ遊日を不休農を稼候ものを憎ミ或ハ嫁娘下女等エ執(しゆう)心ヲ含候上ニテ心底ニ不任節ハ徒ニ石碑等家敷内エ運び井戸等エ糠、芥、等打込ミ悉ク迷惑為致候儀、被御聞不埒ノ趣、右ハ親々五人組内ノ政事不行届ノ儀、御察当(さつとう)ノ趣奉恐入候。以来右躰ノ悪行無之様、親々組内ノ者より若者共エ急度申付置、心得違為仕間敷旨被仰付畏候、然る上ハ御取締筋御用向ニテ村役人中、村々エ罷出候節、諸入用其筋々御調ノ上ニテ御割出シノ儀ハ何時成共、御触出シ次第急度差出可申候、依之家主ハ勿論若者共一統連印ノ請証文差出申処如件
   文政十一(一八二八)子年六月       惣小前  名 印
                  并若者  名 印

(蜂巣丈平家文書)

 前文の内容の概説
 
 (一) 野州六ケ村エ申渡書付
一、年貢は旧年内に済ませて、年始にゆく時は皆済目録を必ず差出すこと。

一、年貢米の調製は念を入れて、籾粒、稗粒、赤米などのないよう充分気をつけること。

一、農作業を粗略にして田畑を荒すようなことをすれば罰則を課す。

一、人数の少ない村方の次男三男が他村へ奉公などの稼ぎに出てはならない。もしどうしても出なければならない理由があれば地頭所へ届け出ること、場合によってはお上より手当を下さる。無断で他へ出る者があれば村役人の落度とする。

一、百姓の伜共が最近放埒者になっているとの様子であるが、親の意見を聞かず我儘をしている者は届けること。

一、作柄も良く、病人などもないのに、年貢が納まらないなどと云うものは、村役人がよく調べること。

一、自分の働き以上に不相応の暮し方をする者は村役人がよく気をつけ実情を調べること。

一、「日待」は従来も行なって来たことだから、農事の閑になった頃、年に一度だけ行なってよいが、余分な費用はかけないようにすること。

一、休日はなるべく少なくすること。幾日もつづけることはいけない。

一、蔵入振舞などと云って、年貢皆済にもならぬうちに村役人の家へ集まって酒食などしてはいけない。年貢皆納になった処でするのならばよろしい。

一、疱瘡祝などする場合は家の内だけで祝うこと。餅など搗いて近所へ配ったり、人を招んだりはしないこと。婚礼や仏事の振舞には一汁一菜で質素にすること。

一、地芝居などを催す話しも聞くがこれもいけない。若しそのような場所で事故でも起きた場合は、地頭所迄の落度とされる。博奕や勝負事もやかましく取締り村役人は家毎に見廻りをきびしくすること。

一、百姓はすべて未明に起きて朝食前に一仕事をすること。勿論朝食後も精を出して働き、夜は夜業の小仕事をすること。特に若者にはよく申付けること。働けるだけ働いて、それでも困窮の者は、それは天命という外はなく、他からの同情もあるであろう。怠けていて困窮だといい年貢を不納にしている者は届けること。

一、田畑の「こさ」切りを互に申合せて行なうこと。

一、居屋敷の竹木を立てて置いては道路悪く人馬の通行に難儀をするから伐らせること。

一、田畑の地味が良くなった処は、税も引きあげるべきだから名主共はよく調査すること。

一、地頭所の役人が回村するときは、自分の所属する領主以外の役人にても無礼のないよう充分気をつけること。

一、近年、年貢米や税金を期日に納めず、地頭所でも困っているので、夏期分は六月十五日迄、秋分は八月十五日迄、冬分は十一月十五日迄に必ず納入すること。

一、年貢米の調製は念を入れるべき筈の処、近年粗略になってきたから充分気をつけること。米の質、俵の外装も細部に亘って注意すべきこと。

一、村々の人数が減りいつとなく村が貧しくなっている。これは村の風儀が悪くなっているのが原因である。近年神事と云って村役人から触れを出し遊日を設け、酒食をいたし、芝居等を催し人を招き、金銭を費やし、田畑を荒し、自然と貧しくなり他村へ転出してしまうからである。年毎に村が難儀になって来る。よく考えるべきである。

一、以上注意したことはよく守ること。

 正月三ケ日、五節句、鎮守祭礼の日、その外年の間一日二日位の止むを得ない日は休んでも宜しいが数日に亘って遊休することはいけない。すべて農家は早朝より田畑に出て働き、夕暮れに帰宅し、夜は繩をなったり俵を拵えたり夜分相応の仕事をすること、昼夜油断なく働くのが諸国百姓共通の心掛けである。

 ところが其方の村々においては、七時すぎでなくては仕事を始めず、夜業をしないというような様子を聞く、こんなことでは村は立ちゆかなくなる故、村役人からよく注意すること、それでも云うことをきかぬ時は全員呼び出して厳しく注意する故、心得違いをせぬよう農業第一に励んで貰いたい。

一、博奕(ばくち)、賭事(かけごと)は御法度であるが、更に厳しくお触(ふれ)が出たのできびしく取りしまること。もし注意をきかず農業を怠り身持不埒の者があれば、何人たりとも届けるべきこと。届けを怠りたるときは村役人の落度とする。

一、隣郷他村宿町へ行き酒屋などで他村の者と酒を呑んだ上喧〓(けんか)口論をしたり、また押し売りなどをしてはならない。

一、百姓の伜共近頃放埒無法になってきたということを聞く。以ての外のことである。もしこのような者が居れば、かくしおかず早々に村役人は、役所へ届出ずべきこと。

一、村によっては、日待、疱瘡祭りなどと云って、餅をついてやり取りしたり、人を招いて酒宴料理を催し騒いだりする処がある由、又村役人の宅へ百姓達を集めて酒肴で御馳走をして遊興する者があるとのこと、こんなことでは役人として心得違いも甚しい。

 近年年貢等も期日に納められないような有様で、酒宴遊興とは言語同断である。百姓共にもきびしく申付くべきである。

一、御公儀の御用向は地頭所より申付け、これに背いてはならない。用水の堰、道、橋普請等諸参会には触れを出し、定刻には遅れることなく出ること、村役人は定刻前に現場に到着していなければならぬ。何事によらず差図に従わぬ者は、遠慮なく訴え出でよ。

 但し村役人は折々各戸を見廻り、業を怠け身持おさまらぬ者は、よく理解するよう役人から申しきかせること。それでもきかない者は訴え出ること。

 用水堀、道路、橋、田畑山林等に至るまで、折々見廻り小損の内に修復すること。その外、地境等不分明の処は、地主、五人組立合評議の上きめること。取りきめに従わぬ者は申し出ること。役所においてよく調べ、非分の者には咎めを申しつける。

一、百姓に似合わぬ衣類を着、長脇差をさして他処へ行ったり、婚礼仏事等に身分不相応のぜいたくをしたり、ぬり下駄、塗り鼻緒の履物や傘をさしたり、きせるやたばこ入れに、金や銀の物を拵えて所持することは厳しく禁止する。

一、お武家がその村を通行する時は、無礼のないよう気をつけること。五給の地頭(下蛭田は五給)のうち、どの地頭所の役人であっても無礼のないよう注意すること。

 ほうかむりをしたまま、或は高足駄を穿いたまますれ違ったりしてはならない。

一、田畑のこさ伐りを互に申合せて実行すること。居屋敷のこさ切りも行なうこと。

 (二) 野州佐久山宿外三拾四ケ村組合村々議定連印書付
一、近頃無宿者が、長脇差を帯し、鎗、鉄炮を持ち歩き暴力を働く者があり、百姓町人の中にもこれをまねする者が出てきたのできびしく取締っているのだが後をたたない。

 このたび、右様の者は、悪事の有無、宿の有無にかかわらず死罪、又は重罪に処するとのお触れが出された。

 村役人より村民によく知らせること。不身持の者にはよく申し諭し、家業に励むようにすること。それでも不身持の者には地頭所より廻村の折、秘かに申上げること。

一、村の中に悪者がいたり、又無職の者が居るのは村役人及び五人組の者の責任である故、農業のひまな時や休日に村人に、村役人よりお触れの主旨を読みきかせるようにすること。

一、近来世上一般に生活上の奢りが目立ってきた。神事、祭礼、仏事等に費用を多く費すようになってきたから、村役人共もよく申合せをして質素倹約に努めること。

一、村々において、歌舞妓芝居、手踊り、操(あやつり)芝居、相撲その外人寄せの様なことは禁止されていたが、近頃みだれてきて芝居など催すとの話しである。これは主催者は勿論、道具類を貸した者まできびしく取締まられるから村役人においてもその趣旨を村人に徹底さすこと。

一、近頃小さい農家まで農業をおろそかにして商いをしている者がいる。農家であって商売をすることは自然と生活が派手になる元であるから商売を止めるようにすること。

一、右お触れの趣一同よく承知しました。村内末々まで申し聞かせ守るようにします。万一無職の者に店を貸したり、悪者を泊めたりした時は、親類、組合、村役人何様なお咎めをうけても異議ありません。

       村役人一同連署印
 右の通り御教諭をうけ、無宿有宿の悪者を差出し、諸費用を組合村高割りに計算し成るべく手軽に負担できるようにして下されば、百姓、町人、職人等悪事に走り無宿者になったりした者も良民に立直り家業永続できるようにとの御仁恵有り難く存じます。組合村々一同奢(おご)りを防ぎ、よく村内を取締るよう申合せを左の通りにしました。

一、前々よりの御公儀からの御触れは堅く守ります。

一、今般組合村を定めた上は、よく申合事項を守り、これに背く村方は取締り役人の廻村の時に訴え出て取調べをうけること。

一、宿町村の内、悪者に店を貸したり宿をした者無商売の者を置かぬよう、常に村役人は注意し、もしそのような者があれば御回村のときに、秘かに申しあげるか、組合村方にて取抑えて役所へ差出し、その費用は、悪者を泊めた者五分、その組合三分、残りの二分はその村高に割つけること。困窮者にて費用負担不可能者は、その組合、親類より差し出すこと。悪者の居村にて取り抑えた時はその番人の飲料等も組合村高割とし、囚人の分は店を貸したり宿をしたりした者が七分、組合が三分負担すること。

一、無宿長脇差し火付盗賊等の悪者が村に立入った時は、村役人は勿論、居合せた者共協力して取抑え、悪者大勢で手に余るときは組合中へ連絡し、大ぜい集めて取逃さぬよう手配し差抑え、村役人付添って届書を作って役所へ届けること、この時の費用は組合の総高割にて計算すること。

一、有宿の悪者を取抑えた時は、村方、他村を問わず、その費用は前三項の振合により負担のこと。

一、浪人、失業者等が村方に立入り物乞いをしても、壱銭たりとも合力しないこと、また宿も貸さぬこと、もし不法狼ぜきを働くようになれば、村方より強い者を呼び取抑える。この時の費用負担は前の四項の定めによる。

 但し浪人の外実際に難儀の様子に見える者は、その事情により適宜に取り計らうこと。

一、浪人者や失業者の宿をする者があり、きまりがなくなってきたが、以後このような者で難儀に見える者は、よく元の住所をただし、村役人に届けの上止宿させ、役所の調べを請けさせること。

一、博奕、その他の賭け事一切させないこと。十五才以下の子供の慰みの紋付、唐こま、投銭等の勝負事も一切差抑えること。

一、村の内にてばくち道具を売る者があるというので、よく取締ること。

一、村方にて歌舞妓、手踊り、操(あやつり)芝居、角力など人集めのようなことは一切しないこと。組合村々で互に申し合せ、もし守らぬ場合は主だった者及び同類一同の名を秘かに申し上げること。

一、神事、祭礼、風祭の儀ハ大仰(おおぎょう)なることはせず、つとめて費用をかけないようにすること。

一、他所から来てこの土地に住居を作りたいという者があれば、よく出身地をただし、その地の役人の送書をとり、農業をする者に限り認めること。送書の無い者は許さない。

一、下野、常陸両国の内で、その処の習慣で、小農の者や伜共が神社やお寺詣り、親類知人へ出掛けるのに、脇差を帯び悪者のまねをし、酒を呑んだ上でけんか口論をし、傷をつけたりすることがよくある。以ての外のことである。その土地のしきたりで其処でするならば格別、他所へ出かけてそのようなことは絶対にしてはならない。もしどうしても持参しなければならない場合は村役人に届けて持参すること。

一、婚礼には貧富によらず一汁一菜にて、その土地の有り合せの肴で軽く酒肴を出すこと。着類は紗(しゃ)、綾(あや)、縮緬(ちりめん)を用いてはならない。村役人は妻子共に絹、紬(つむぎ)、太織、布木綿(もめん)、百姓は布木綿ばかり着ること。櫛笄(こうがい)は銀、べっこう等は用いないこと。招待者は止むを得ない親類、組合、向う三軒両隣だけとして、大勢で大酒を呑んだりして無益な費用をかけないこと。

 奢(おご)りがましいことのないよう、村役人一人か二人立合、きまりに触れるようなことをすれば早速役所へ報告のこと。

 婚礼やお祝いの場へ、座頭や非人が来て御祝儀をねだったりするようなことを聞くが、その様なことの無いよう村役人によく話しをしておき、それでもねだるようなことがあれば、秘かに役所へ申上げること。

一、婚礼その他祝いの時に、若者共大ぜいやって来て酒を出させたり、嫁聟の道中を妨害したり、金子を出させたり、強請(ゆすり)同様のことを為す輩があり、以ての外の所業故、させないようにすること、止まない場合は主立つ者は勿論その外の者も名前を糺(ただし)し役所へ申しあげること。

一、葬儀仏事等も年々派手になってきたがこれも一汁一菜に限り酒は決して出さず、すべて手軽にすますこと。

 菩提寺の僧侶を頼んでも格別の布施物には及ばない。その分限により手軽に布施を出すこと。僧侶により、布施物の多少を論じたり、或は死人の衣類や馬代、鍬代、その外品々、納金をするようなことを云うときはよく申し聞かせ、それでもねだる時には役所へ申上げること。

一、近年村の内にて、家業に精を出し休日にも休まず働いて裕福になった者をねたみ、因縁をつけて村八分にしたり、石塔を庭に運び込んだり、井戸へ芥を投げ込んだり、そしては仲直りなどと云って酒を出させ大勢で呑んだりする無法なことを聞くが、この様なことがあれば主謀者は勿論、仲間の者迄名前を調べ届けること。隠し置いて他より発覚した場合は村役人の責任なること。

一、村方においては従来の商人の外、新規の商人は許さぬこと。

一、各種職人共が手間賃引上げの相談をしたとの話しを聞いたが、これは許さぬこと。

一、御公儀に関し、或はその他の事で村の者が村役人の宅へ集まっても村の費用で飲食をしないこと。

一、村方へ出張した役人に対しては、きまり以外の御馳走などをして費用を掛けるようなことはしないこと。村役人も御用宿へ行っても酒食をしないこと。

一、村方へ、町方火附盗賊御改方道案内の者などと称して泊り、金など借りてゆく者があると聞いたが、決して金など貸すことなく、その様な時には役所へ届けること。

一、近年諸国より神社寺院等の寄付募集が多く村方でも容易でない。前々から信仰している神社寺院は別として、たとえ遠国から来たと云っても不明の者には寄付をしないこと。若し強要する場合は届け出る事。

一、無宿無頼の者が召捕りになった時は、よく本人を調べ無罪の時は説諭を加え改心を認めたならば確実な身元引受人をつけて引渡すこと。

一、村内で、農業を嫌い遊び歩き、親類、組合、村役人の意見をきかない者とても、直ちに村の帳簿から除くようなことはせず、立直るよう厳しく教え諭すこと。放遂すれば宿無しとなり悪事に走ることになる故、なるべく無宿者にはしないこと。

一、村々の内には、寺院(僧侶)村役人の内に博奕をする者が有るとの話しである、これでは悪事を取締ることができなくなる。たとえ風聞であっても役所へ届けること。

一、取除無尽(むじん)、富くじ類は決して行なってはならない。

一、御公儀、御領主、地頭より処払いの罰則をうけた者が、其処へ立入らぬよう取締ること。

一、村々の内には、公事師(くじし)と称して貸金の取立を請負ったり、出入のあと押しをしたりする者があるとのこと故、そのような者は秘かに役所へ届けること。

一、餌差し共、近年御鷹餌鷹御用を権威に村方へ来て泊ったり、酒代を強要したりする者がある。後難を怖れ云いなりになる者があるので、その様な例が多い。御定例の通り、泊りの木銭米代人足賃銀を請取り、酒代などは出さぬこと。それでも酒に酔って強要する場合は、名前、住所、師匠の名を聞き、鑑札を調べ、贋鑑札など所持していれば小組合で相談の上、大組合の役人に届けること。

一、御拳場(こぶしば)(鷹狩場)御投餌場(なげえば)で野鳥を密猟してはならない。野鳥の捕獲を渡世にしたり慰みに獲ったりする者があるとのこと故、厳しく取締ること。

一、囚人一人に付き掛繩二房の外は上納させない。但し二房の内一房は駕籠を差し出す時に差出すこと。

一、目駕籠一丁につき二貫文迄、山駕籠は一丁一貫二百文迄、この値段以下で拵えること。

一、囚人の食費は、一人一泊百四十八文、昼食七十二文の外は掛けないこと。その処の有合せの野菜で一汁一菜。但し米の値が高値の時は、後で役所へ届け差図をうけること。

一、組合村々全体に係わる無宿者に関する事の雑費は成るべく少なくし、余分のでない様にきめ、出立、帰着は年番役人に届け、書類に証印をうけ置くこと。理由なく多勢出かける様なことをせぬこと。

一、小組合村の中から惣代村を定め、会議にはこの惣代村が出席し、帰村の上各村々へ連絡し、多勢で出ない様にし費用の節減をはかる。すべて家業専一に励み、親に孝行をつくし、下人は主人に従い、夫婦きょうだい仲良くし、老人を敬い、協力し合い、奇特な心がけの者があれば御廻村の折に役人に申しあげること。

 
 右は今般御取締りのお触れがありましたので、村の者たち全員に読み聞かせ捺印を取り置きました。今後手落ち無きよう堅く守り、万一悪者等をそのままにして置く村方があれば、組合村々の内から其筋へ申上げても一言の異議のないことを申合せました。

 各村々では全百姓ならびに若者共からも村役人に対し請証文を差し出した。
   差上申御請証文のこと
今般関東筋御取締御出役様よりの御教諭書につき理解承知しました。博奕、賭事はもとより、子供遊びの紋附、穴一等に至る迄させません。神事、祭礼、仏事、婚礼、子供の祝等質素倹約を守り、着類等はすべて木綿を使用すること。村方若者共に於いても、気に入らぬ者があっても交際を省いたり、遊日に休まず働いても憎んだりせず、他人の家敷へ石塔を運び込んだり、井戸へ芥やちりを投げ込むようないたずらをさせないよう、親たち、組合の者より若者共に強く申付け、かかることのないようにします。御取締筋の御用で村役人が各村々へ出張する場合の費用は、割立て下さればいつでも御支払いいたします。

 戸主は勿論若者も全員押印して請証文を差出します。
   文政十一子年六月         惣小前   名
                     若者   名