百姓身持教訓

184 ~ 190
これは『栃木県史』によれば、近世下野に広く流布した農民教訓書で、執筆者、成立事情とも不詳とある。次に挙げたものは、寛政年間のもので、終りに関本平兵衛という署名があり、領主から領内郷村に配布したものと思われる。この他村内には江崎家に「百姓身持心得の覚」として、宝暦八年のものがあるが、文言に若干異同がある。
     百姓身持教訓
一 天地の変ははかりがたき事にて、明年にも五穀皆無の凶年あるまじきものにもなし、旱魃・長雨・大風・寒暑不順の天候にて、一向五穀を失ふ例古今度々有事にて、誠に可恐専一なり、広き世界の土に生るゝものとても、年々慥に出来るものゝやうに心得居る者は、大きにおろかなる事也 二、三年も打続たる凶年にて、五穀皆無の時にいたらば、何とて身命をつなぎ妻子をはごくむべき、一国一郡くらいの損毛は、他国よりの通用もあり、又は其領主々々の扶助もあるべき也 世上一縁の飢饉年は如何様とも仕方なく 非命の死をも可遂事必定なり。先年奥羽越国の辺、作毛大違ひ飢饉にて、けしからぬもの迄を食し、飢を凌ぎたるよし、飢饉一国二国の境までにて、他国は左程に飢饉にもなかりし。其上翌年より耕作も大方に出来立て、窮民其難をまぬかれたるよし、一国二国の中秋の損毛にてさへ右躰のくるしみに至り、二、三年も打続たる凶年又は諸国一統の凶年ならば、何と成べきぞ。遠慮を廻らし、平日無事安泰の節、兼て無油断其用心をいたし、穀もの貯る事肝要なり。何程金銭多有ても、諸国一円に米穀払底の時節に至れば、金銀を食にしては、一日片時も飢を助るものになし。世上の米穀を買求る時こそ金銀は宝なれ。既に大飢饉の時節は米穀にはかへがたき事也。然を愚なるもののならいにて、右躰の事は曽て無心得、耕作に力を尽さず、天地の恵み備る所の田畑土地を疎略にし、徒に月日を送る事油断の至なり。向後心を改め耕作出情あらば、天道の恵に叶ひ、命を保ち福を受るの基ひなり。疑ひある間舗事。

一 天地は、人を養ふ穀物さま/\ある中にも、人間の生育備へと見ゆるもの二種あり、稲と麦となり。稲は秋実のりて冬の初には人を養備へとなり、米の尽る時分麦また一様出来て中夏となり、仲秋迄人民の食と成。又麦秋の間に粟・黍・藁麦・稗・大小豆・大角豆抔いう穀ものありて、麦稲のたらざる助と成。都而天道人を養ひ給ふ備へ、誠に難有事云やふなし。天のほどこし給ふ処を能々わきまへて、五穀は人の為に天より生る理を知べし。右の内とりわけ稲と麦とは、他の穀ものの類をはなれたる重きもの也。農人たしなむ者は、能々此天道の恵を仰ぎ貴み、慎て天の意を受、殊更に稲と麦とを作るに其術を尽し、力を用ゆべし。農業は人間専一の大事にして、万物の根本たり。此ことわりにくらく、皆人奢りだじゃくの風俗になりて、耕作に力を尽さざるに就て、天道の意にたがわば、自然と天より不正の気下り、春夏秋冬・寒暑冷暖の気不順となり、耕作実のらず或は天行(はやり)病を生じ、益々難儀の事出来、世の中次第に衰へ、困窮に及事誠に哀むべき事の甚しきなり。然ば、人々天道を恐家業を怠るふ可事

一 人は衣・食・住三ツにくるしめり。衣は着る者の事なり。近年世上奢甚舗、其国によりて小百姓まで絹羽織・絹帯・絹頭巾或は木綿合羽の類を着し、或は紋所を染或は小紋付ものすきに染る事奢の至なり。殊に勝手よき名主長百姓抔は、分限不相応の美服を着し、妻子は絹縫箔・紗・綾・縮緬と身にまとふやうになり行ぬ。古は木綿といふ者なく、絹と麻と斗りなるよし、絹類は貴人の衣類に定り、下々百姓等は麻の外はなきことのよし、しかるに中古天道の恵にて、木綿といふ者呉国より渡り、夫より世の中衣類事足り、寒風にもはだへを破らず、弥安楽の世となり来れり。されども古来は奢気少きよし、当世は奢気を起し、困窮の基ひとなり、次に食の事、随分と倹約を専らに守り、飢饉の難儀を思ひ合、美食大酒を好むへからず。神事仏事始聟取の節も、料理一汁一菜に限るべし。尤其所当前付合を以相済し、上品の魚鳥買調事堅無用、身上軽きものは茶・多葉粉(たばこ)にて相済程の事にて尤なり。神社参詣或は市町へ出にも、呑食の事分限無ては 年に積れば大なる費たるべき事なり。近年世の中奢甚敷、不相応の居宅を好、縁を張畳を敷込、或は床を附奇麗を好、右は小百姓抔に曽てなき事のよし、土間に莚を敷 莚を織戸を立て寒暑を凌、縁を張畳を敷たる家は、一村に至極まれ成事の由、然処当世村々にて新に普請致ものは、少し宛も奢の方成り行く、奢ものは天道の理に背き、たちまち衰微に及年貢を不納し或は借金多くたゝまり、終に妻子も離散の躰と成事、誠に愚の至なり。向後居宅の儀、随分勘忍を遂げ、麁相(そそう)に作るべし。名主の居宅抔は、少は手広もあるべし。是又其程を考へ分量をはかり、奢ケ間舗普請無用也。着物の費、食ものゝ費、居宅の費等而巳に限らず、惣而己々が好む所より、身上の分限を忘れ金銀を費て、跡々難儀かゝるべき分別なく、奢と言は何といふ事成哉。扨亦御法度の条々を背き、博奕の類の悪敷事をなすもの、忽衰微困窮に及事目前なる事なり。縦一旦能やふに考ても、身上衰加子孫亡く、必家栄へまじき事也。但百姓其分限を忘れず、百石は百石、拾石は拾石の分限を守り、内はに暮し、耕作に精力を尽し、仮にも悪敷事を慎み、法度を堅く相守時は、天道の恵に叶ひ、子孫長く安楽なる事必然の理なり。能々わきまふべし。

一 大風大雨抔の天変を、祈りの為抔と名附て、謂れなき事を申触て、定法の外に遊日を催せる村々も有由、此儀大きに心得違愚の至なり。前に言ふごとく、田畑は人間を助るの為なり。天地の備へたるもの也。然れば耕作に怠りなく、一日片時も休なく出情の百姓は、天地の感応、神仏の御心に叶べき道理にて、人間専一大切成。耕作に怠り無益の遊日を立て、何故に天道に叶ひ神仏も納受あるべき哉。一日たりとも農業の道に無油断出情し、国所を賑はし、諸人飢寒のくるしみなきこそ、誠の百姓にて、天下の宝と言也。然るを、ものゝ道理に冥(くら)く、謂れなき遊日を催して、変を祈りまぬかれんと思ふこそ愚の至なり。其上遊日の障り事起り、大酒を呑悪事を催し、終に法度を背事も出来ん。遊日といふ事曽て無き国もあり。唯所の習はし悪事により、やゝもすれば身楽の催し農業怠りて、其怠り積り/\て困窮の基と成り行、此道理を心得て、向後無益の催し堅無用也。家来仕ひ候ほどのもの抔は、いたわりの心なく荒気を以昼夜片時も隙なく家来仕候はば、下人も心身つかれ、辛労に絶兼て主人をも可恨事か様の事こそ神仏の怒り悪みもあるべき也。相応に休息いたさせ、心を和らげ、家来々々の辛労をも思ひやるべき事無ては叶はず。遊日という事を古来より立たるは、心躰の労を養ふ事、慈悲の筋の心得猥になす事無用也

一 有来る所の神社仏閣 定式の祭等信心怠るべからず。謂れなき事を取立 異躰の信心致事 愚の至なり。向後、神社仏閣有来りの外無用也

一 近年、若者共中虫癪種々の病を持、或は手足筋骨弱く病身にて終に短命なり。是又風俗の悪敷より起るなり。古の人を聞くに、元来強く昼夜家業に怠りなく、耕作に情を入れ働き強く活気にしてたるみなく、気血廻り能食を解し、手足筋骨のつかねも自ら強く、無病息才にて命も長き由、当世の人は元気たるみだじやくに生れ、身の労をいとい朝寝昼寝を望み、無情にて身体すこやかならず、是を俗に横平ものといふ。如此人情下りたれば手足筋骨も自然と弱く、食物も腹中に滞り、虫癪種々の病ひを生し、風寒暑湿も身に入悪病と成り命を失ひ家を失ふ。元気強く家業を怠りなく稼くときは、病ひおのづから出ず、元気たるみ怠り油断横平にして、楽に月日を暮すときは、決て右の通病を生じ、其外色々の悪事出来、此道理必至なり。此意味可心得事。

一 春秋灸治をいたし、煩ひなきやうに常々可心掛、何程作に精を入たりといふ共、煩時は其年の作をはづし、身代を潰事必定也。女房子供にまで無油断灸致すべし。

一 心得違へるものハ、懐胎の内或は出生の子を殺す事、世上にある事の由、縦は小さき虫たり共、生を請たるものを謂れなく殺事は、仁者のせさる所なり。神仏も怒りあるべきなり。殊更人間の身躰を受、適々此世に生れたる命を殺事誠に不仁の至なり。可恐の専一に思ふべし。

一 愚なるもののならい、初きに不便を加へ、子供を我儘に遊ばし、辛労させぬをてふあいと思ひ、気儘に生育る故、其子成長して耕作の仕方も知らず、或は気随徒らものと成、親に難儀を懸る事なせり。又は親におくれて後も、耕作の差図、家内の差図もたんれんせさる事なれば出来かたくして、身の上失ふもの多し。誠に子を不便に思はば、少々の内夫々家業を習はしめ、成人に随て所帯の様子をもおしえ、朝起いたし作場へ出し、からきめを見すれば、其子親の無き後も迷惑することなし。是こそ子をふ便に思といふ也。扨又子供に手習抔いたさする事、百姓の身の上にては其程考え遠慮あるべき也。手習抔あまり出情させ其身に応ぜざる芸能人に勝る時は、若輩の者は自然に自慢の気を生じ、人をあなどり己が分量を忘れ、或は小歌・浄瑠璃・三味線等と心に寄せ、其品々の遊芸を学ぶ事農業に怠る本となりぬべし。詩歌連俳弓馬の道は、百姓抔の学ふべき道に曽てなし。百姓町人は、それ/゛\の家業を備わる事を弁ふべし。己々は家業の外学ぶ事無用たるべき也。右の趣、親たるものは子供に能能家業を専らになさすべき也。

一 勝手能き百姓下人召仕えものの内、奢りあるものは仕業の差図斗り申、耕作の儀等等閑に相心得、下人に打まかせ、大方作場へもふ見舞ものある由、身上能間は左様に怠りても、ひけ目見えさる様なれ共、身楽積り/\て身上摺切にし、下人も次第々々に少くなり、後には止事を得ず自分耕作をなすべし。其の時前々奢楽たるくせありて難儀なるべし。其後兼て思ひ合朝暮怠りなく 差図に心を可尽也

一 村中の内にて、耕作に精を入身持能いたし、身上能もの壱人あれば、真似を致郷中のもの自然と能稼もの也。たとへば一郡皆身を持稼くべき道理なり。しかる時、一国の民豊になり後には隣国までも其風に移るべし。百姓は永代に田畑を便とするものなれば、能身を持身上能なるときは、大きなる幸也。一郷に徒もの、無作法もの壱人あれば、郷中皆其気に移り百姓間公事絶ず。

一 公儀御法度並領主の法度を背、或者公事抔起り、其ものを奉行所に召され、彼是の入目一郷の費大成事也。都而六ケ敷事出来ざるやうに人々相慎可念事。

一 名主の心持は、我と中悪敷ものなりとも、無理成儀申かけず、又中能ものなりとも少も依怙贔屓なく、小百姓まで念頃(ねんごろ)にいたし、年貢の割高、役の割合高下なく、正直に可申渡事。百姓の潰る事大方は、名主を初頭立たるもの共介抱なきゆへ也。先郷中諸々也かゝりものあらば、小百姓当座に米銭出来兼る事あり。名主抔取替間を合せ、暮に至り年貢米にて高利を加差引事も有之にや、此差引高利にて、又々年貢未進出来、無拠高利にて米金を借り間を合う。順におくれ立終に家を潰すべし。一村の内に、富貴成ものあるときは、村中助と成る事もあり。又其村衰微の基となる事もあるべし。其本は、米金貸方の善悪による事也。貧窮にて油断なる百姓へは米金を貸、右に言ことく高利を取、或は田畑を質に取、人の難儀をいたわりなく、自分の利欲のみにて己のみ貯へ多成時は、一応村の通用宜きやうにて、自然と大小村衰微困窮と成。然ば、郷中かゝりもの等有之節は、名主より当座に割合、又は一年に二度も三度も割合 明白の勘定を以小百姓無断借金ふへざるやうに、名主常々心を附かい了簡いたすべき事明白也。又村内に富貴のものある時は、貧窮の百姓も自然と奢の風俗に成り、又は其ものの仕方にまけまじと肩をならべ、我意を立て共々奢り成り行。其奢り次第に打募り、はては家を失ふ事必定也。扨又富貴にして奢気なく、物事内わに立廻り、米金貸とても高利をとらず、度々金を借り来るものへは異見を加え、身上持様念頃に教へ、慈悲介抱の心にて米金銭を貸事也。富貴成るものともは、右の心得を以、村々煩なきやうに米金を貸、倹約を教、非道の仕方有間敷事。

一 百姓は、畢境耕作に追はるると、作を追ふとの違ひにて、身上の善悪有事なり。作を追とは、春の用意を冬致し、夏の用意を春いたす事なり。作に進むというは、たとへば春普請に可用鍬鎌の先をば暮の内に拵置、年明き麦の根をふみ耕し、堰川除に掛り、其より段々農業に懸るべし。追ると言は、耕すべき時節普請の用意鍬鎌を拵へ、雨の降る日は猶又作耕事もおくれ、夫より堤川除に掛り、春田をうない夏入用の薪をこり、野菜を植田に肥を送りまくばる事もひたとおくれ、三度もうなふべき田を弐度うない、細にいたすつき土をあらくいたし、三度取べき草を二度取やうに追はるる故、年々ふ作に成り、正月より極月迄油断なく心をくばり、風雨雪抔のとき野へ出ざる日は、鍬鎌農具を拵へ莚を織り、繩をない抔する業を怠るべからず。末々の考なく正月より遊を過ごし、田畑もうなはずとかくにおくれ、俄に仕付ける時は疎略になりて、其年の作違ときは廻り悪舗なり、人馬を持事もなりかね、年々不作の基となり、食物とぼしければ非道のものを食ひ、病人となり後には借金利倍引かれ、妻子離散し家を失ふもの多し。扨又正月遊び過たるものども博奕の類、かけの勝負を催間舗ものにもなし。月待日待の砌抔当座の慰にして双六を引など 始はことかろくして次第々々に重くなり、金銀失ふのみならず 暇を費し家業を忘れ、正月を打過二月迄も勝負繁利、終に種々の悪事出来して一村の乱と成べき事必定也。名主五人組無油断吟味をとげ、法度にふ背様堅申合可相慎事。

一 耕作の難儀は大雨・大風・旱損・水損・根朽・虫附也。大風大雨の類は人力を以てふせぐようなし。水損の場は、常々無油断水道を付掘を深くし、或は堰川除等に心を付け、其難をのがるべし。大水考なく溝をせばめ、水道をさらはず、年々の手入怠るゆへに、長雨洪水の節はあふれ出て大水損と成。又旱損場は所により掘をほり、流を埋留清水を貯へ、又は田毎に井戸をほり、或は土地の高下を考小堤を築、水持能田を溜池に仕立るの工風あるべき也。兎角耕作の道に精力を尽さば、大方の天変も分を以のがるべき事 耕作の仕付麁略にして入るべき肥もふ入、取べき草をもとらず、作る田畑も天地陰陽の順気能年には相応に出来といふとも、少も寒暑不順なれば忽不作と成り、一向に実のりなきもの也。偖又耕作出情の百姓は、大がい天気不順にても左程の違ひなきもの也。皆人の知れる所の専一也。随分精力を尽し、等閑になすまじき事。

一 少したりとも土地を捨置事は、天道の恵に背といふもの也。茶漆或は薬草の類、其外に果木・竹木・篠等に至迄、何成共工夫して土地に合たるものを心見仕立、夫々に心を付、老農に尋向其法を受て仕立る時は、尺寸の地も無益に年数を経ずして大き成益を得べし。山間野原土地の善悪に与らず、其地々々に相応の草木あり、其好む所に随て植立ば、葎の下日陰の場所といふとも、用るにあらずといふことなし。とりわけ茶は、木の下宜と古書にも見へたり。木下は北向にても能茂るもの也。土地に合たる所、村毎に是を仕立る事尤よし。茶郷中になき時は其費莫大なり。譬は一軒の家にて、一日に五分宛の茶買時は、家拾軒に積りては年の茶代金四両余と成。拾軒の小村にて金四両余の年貢を思ふべし。しかるを、少し宛いつとも知れず費事、愚なるものは聊も心附所なく、此一ケ条を以諸事検量の筋を考、土地に生るるものを何によらず大切に存、無益の費なきやうに可心事肝要也。

一 酒猥に呑事人々たしなむべし。酒は老を養ひ気血を廻らし、其功能多し。百姓たる者も用えて耕作の情力を助け、一入出情働の足ともなさば大き成益也。扨又呑過る時は、家業を忘れ病を生し、悪性のものは弥悪意をくわだて、喧〓口論腕立を好、法度を背き、親兄弟友達にうとまれ、其害をなすことあげてかぞへがたし。向後大酒を慎み申べし。扨又金銭を費事も莫大也。譬ば、百石の村にて酒壱升に付代四拾八分、酒を一日五升宛買込時は、壱ケ月分の酒壱石五斗、壱ケ年合て拾八石也。此代金弐拾弐両余也。金壱両に米壱石買にして米弐拾弐石也。此米を百石の免に廻すときは、弐つ弐分と成。二分三分取を増事甚難儀ならずや。百石の小村に積て右の通の千石万石を積る時は福敷なり、是を以年中の費を考へ、倹約を守り猥りになきやうに慎むべし。

一 何卒能牛馬を持様に心かけべし。夫に付、牛馬を深く哀むべし。牛馬の心底をはかり見るに、のんどかわく時も湯水を呑度と言事叶はず、飢来れども食物を喰ひたしといふ事かなはず。鞍はだ悪敷脊をこすり切、其疵骨髄に徹すれども 其趣意をいふ事かなわず。重き荷物を附られ山坂を越ゆる時、即時にたおれ死ぬ程なれ共、自荷物捨つる事かなわず。その苦患いふべきやうなし。世の中に牛馬の思ひたゝりて病をなし、或は無益の病にて死ぬるもの あまたあるよし 俗の取沙汰致処なり。其心を能考へ、くらはだ能こしらへ、馬草をも能飼べし。されども貧なるものは、心のままになりがたければ、子供或は下部抔は、己が気の向かざる時は、馬草を飼はずして、主親の前にては、飼たる抔と偽り申事も、ある間敷ものになし。主たるものは、無油断心に付、牛馬大切にいたすべし。牛馬の恩を以渡世をいとなみながら、疎略になす事甚不仁の至也。能々弁ふべし。

一 郷中耕作の善悪、名主組頭の役にいたし見廻り、其上壱ケ月に壱度宛日を定 惣百姓寄合 耕作の善悪評議いたし、耕作悪敷く作たるものには、能様に手段をおしへ、横平ものには異見を加へ村中相揃能身を持 法度に不背様に 無懈怠評議穿鑿をなすべき事。

 右十九ケ条令書写知行所村々へ相達候 一ケ村にて一帖宛写取置 小前大小の者へ前文の通 毎月耕作評議の砌り 読聞せ可申候 尤右様の趣は 諸書有之 慎み可守事に候得共 読見いたし候のみにて捨置 不用時は益なし。依て度々読聞せ候得は 後々には、子供抔□行歌覚る様に自然に身に深弁へ 可慎事に候間 無懈怠相守時は 民の助に相成候間 精々可致もの也

   寛政七卯年
       五月           関本兵衛

(永山正樹家文書)


百姓身持教訓(永山家所蔵)