米雑穀有高書上帳

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次に掲げたのは、慶応三年三月現在で、小船渡村各戸の米と雑穀の保有量を調べたものである。小船渡村は三給で家数六軒、名主が三人いた。人別三三人、一戸平均五人余であるが、名主の家三軒で二三人を占めているので、一般百姓の家は三人平均となる。

 集計をみると、籾五斗入れ三〇俵、石数にして一五石、五合摺として七石五斗、内一割の目減りをみて正味六石七斗五升、稗が六九俵で三四石六斗、一合摺として三石四斗五升、大麦九俵で四石五斗、この正味二石七斗、小麦六俵二斗で二石六斗、雑穀の計八石七斗五升である。
 米・雑穀の合計一五石五斗、一人一日の食糧白米一合三勺五才、雑穀三合として三三人の六〇日分、米が二石六斗七升三合、雑穀五石九斗四升、それに馬七疋の飼料として雑穀一石二斗六升をとる。残りは白米四石七升七合、雑穀一石五斗五升、計五石六斗二升七合となる。これが六月以後秋作が出来るまでというと早くても八月になるから、約九〇日分の食糧で、米雑穀合わせて一日一人平均二合弱である。
 これは、報告のための一応の調査であろうが、当時の農家の食糧事情の一端を窮うことができるであろう。
(表紙)  慶応三年       小船渡村
    米雑穀銘々取調有高書上帳
      卯三月 日       三給
 
         桑山弁吉知行所  名主 惣三郎
 一籾拾俵   五斗入  一稗弐拾五俵  五斗入
 一大麦四俵  〃    一小麦弐俵   〃
 一大豆    五升種
   〆四拾壱俵  人別 拾人  男女共
 
            同知行所  百姓 喜三郎
 一籾三俵   五斗入  一稗弐俵  五斗入
 一大豆壱俵
   〆六俵    人別 三人  男女共
 
       倉橋三左衛門知行所  名主 弥右衛門
 一籾八俵   五斗入  一稗弐拾三俵  五斗入
 一大豆壱俵  〃    一小麦弐俵   〃
 大豆     五升 種
   〆三拾四俵  人別 七人  男女共
            同知行所  百姓 金之介
 一籾弐俵   五斗入  一稗壱俵   五斗入
 一小麦弐斗        一大豆三升  種
   〆三俵弐斗  人別 三人  男女共
 
        酒井岩五郎知行所  名主 治右衛門
 一籾五俵   五斗入  一稗拾五俵  五斗入
 一小麦弐俵  〃    一大麦弐俵  〃
   〆弐拾四俵  人別 六人  男女共
 
            同知行所  百姓 次三郎
 一籾弐俵   五斗入  一稗三俵   五斗入
 一大麦壱俵
   〆六俵    人別 四人
 
 惣  〆百拾四俵弐斗
    内訳
  籾三拾俵
   此石 拾五石  此石 五合摺立
      七石五斗  内七斗五升減り
   正味  引 〆六石七斗五升
  稗六拾九俵  此数三拾四石六斗  正味一合摺立
      三石四斗五升
  大麦九俵  此数四石五斗  正味弐石七斗
  小麦六俵弐斗  此石弐石六斗
  白米六石七斗五升  雑穀正味  〆八石七斗五升
  合 拾五石五斗
  右 人別  〆三拾三人  男女共
  三月廿九日より五月廿九日迄
  日数六拾日の間  但し一日一人に付  正味四合三勺五才
   白米 一日壱合三勺五才
    右人別六拾日の間  〆弐石六斗七升三合   備置分
    引〆四石七升七合              余数
   雑穀 一日正味三合宛
     右別六拾日の間  〆五石九斗四升     備置分
    引〆弐石八斗壱升
    馬七匹  但シ一日正味弐升壱合  大豆無之稗・籾三升積り
     日数六拾日の間  〆壱石弐斗六升  馬飼料
    雑穀正味  引〆壱石五斗五升  余数
   白米  雑穀  合 五石六斗弐升七合  余数
    右余数の儀は 当秋作出来迄の夫食備置分

(花塚尚郎家文書)