鉄炮所持願

216 ~ 217
野生の猪、鹿等の動物は、現在本村内に見られないが、その昔、今より一四〇年位前には、作物を荒して百姓を困らしていたものであろう。鉄炮所持願いの中にそのことが記されている。
    乍恐以書付奉願上候
一 御知行所野州那須郡湯津上村役人一同并百姓庄八願上奉候村方ノ儀ハ、那須野広原迄取続キ一躰手広ノ場所ニ御座候処、近年不作打続キ困窮ノ者斗リニテ自然ト人寄リ少ナニ相成荒地亡所ノミ出来候儀仕リ、農業も不行届ニ御座候処土地柄ニテ、山林深ク猪鹿多ク田畑相荒、耕作ノ妨ニ相成既ニ御年貢等ニも相拘わり、難渋至極仕候間増御鉄炮壱挺、源次右衛門伜庄八エ拝借御預ケ仰付ケラレ下置カレ度存ジ奉リ候。左候得バ猪鹿其外鳥獣防ギノため且ハ御田地大切ニ御座候間、兼々家業出精ノ同人エ相預ケ用えさせ度存じ奉候。尤も御鉄炮ノ儀ハ御法もこれ有リ候御品々ノ儀ニ候得共御知行所田畑等此上荒所出来候テハ、乍恐預ケ度存ジ奉リ候間、何卒格別ノ御憐愍を以て御願立ノ儀、御聞済成シ下シ置かれ候ハバ、人気引立候一助ニも相成村方一統難有案(ママ)心仕候。此段御取成シを以て宜敷仰上ゲラレ下置カレ候様偏願上奉候。以上

            御知行所
              野州那須郡湯津上村
                 源治右衛門伜代印
                  願人   庄八印
                  百姓代  治三郎印
                  組頭   源次右衛門印
                  名主   勇三郎
  御地頭所様
     御役人中様
    (鉄炮の無許可所持の罰則は、所払い、追放、重過料等に処せられた。)
(江崎源治右衛門家文書)


火繩銃(鈴木堅一家所蔵)