伊勢参り道中日記

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「伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度愛宕(あたご)様へは月参り」という文句がある。いつまでも健康で、何度も伊勢参りができるような境遇であったら幸せな人生というべきであろう。しかし、当時の此の辺の百姓にあっては一度の伊勢参りがせいぜいであったろうし、果さなかった人が多かったであろう。
 二度以上のお参りは稀れなことであったろうと思われる。昔は信心と生活が結びついていた。旅行は、即神仏もうでであった。家内安全、豊作祈願を行くさきざきの神社仏閣に祈って旅をつづけるのだった。
 文政二年(一八一九)小船渡村の花塚兵吾の旅日記がある。彼は同年正月九日(旧暦)に小船渡を出立、何人かの仲間とつれだち、福原まで、家人やら知人やらに送られる。ここで見送り人たちと別れて旅立つ。それからこくめいに通る町や村々を記している。
 江戸では浅草の観音様、上野の弁天様、湯島天神、神田明神、芝の愛宕様、泉岳寺等を詣でる。
 往きには東海道を通り、鎌倉八幡宮、江ノ島の弁財天へもお参りをし、途々の神仏に参詣し、伊勢神宮に着く。内宮、外宮、二見浦、更に浅ま山へも参詣をすませ、ここで何人かは帰途につき、彼はまた何人かで更に西国へ足をのばす。紀州の新宮から那智山、熊野神社、きみ井寺、和歌山、高野山、大阪、吉野、奈良、宇治、近江の石山寺、大津、三井寺、比えい山、京都、神戸、すま、明石を経て、四国は金毘羅様だけ参拝、福地山、天の橋立、近江の竹生島、米原へ来て、ここから中山道(なかせんどう)へ入る。
 岐阜、まごめ、妻ごめ、福島、信州松本、善光寺へ詣でる。軽井沢、高崎、佐野、栃木、大平山、宇都宮、喜連川、福原、小船渡へ帰着する。
 四月一日(旧暦)帰宅。総日数八十一日を費している。

道中記

(表紙)  文政二年
 伊勢
   熊野  道中記
   金ぴら
      卯ノ六月十日書之
(裏表紙) 下野国那須郡
   小船渡村
    花塚兵吾
 
 卯ノ正月九日 出立
一 福原へ 二リ  此所迄送り者出る也

一 喜連川へ 三リ  此所 吉野や源左衛門宅へ泊り はたご百四十八文

一 氏家へ 壱リ半

一 阿久津へ 三十丁  此間ニはしせん 五文ツヽ

一 白沢へ 壱リ  此間ニはしせん 五文ツヽ

一 宇都宮へ 三リ

一 雀之宮へ 二里

正月十日

一 石ばしへ 壱リ半  此所沢屋泊りはたご 百廿四文

一 小金井へ 壱リ半

一 志んでんへ 二拾九丁

一 小山へ 壱リ拾丁

一 まゝ田へ 壱リ

一 野木へ 壱リ半  此間下野・下ふさ之国さかひ也

一 古河へ 三拾丁  此間ニ土井大勢(ママ)守様有

一 中田へ 壱リ半  此所にまめのこふやく有 此間にとね川有舟渡し廿四文ツヽ

一 くりはしへ 半道  正月十一日此所泊り はたご百三十弐文

一 幸手へ 二リ

一 杉戸へ 壱リ半

一 かすかべへ 壱リ半

一 越かへへ 二リ廿九丁

一 さふかへ(草加) 壱リ半

正月十二日

一 せんじ(千住)へ 二リ八丁  町中に大はやし有  此所江戸屋平衛門宅泊り はたご百六十四文

一 江戸日本橋迄 二リ

江戸へ入浅草くわんおん参詣夫より御門ぜき上野し能原のべんてん、ゆしま天神、神田明神参詣夫よりすじかへめ付、やなぎ原通リニテ馬喰町へ付

一 馬喰町二丁目泊リ 此所より切手出ル

此所□すや忠兵衛宅はたご百八十文

夫より両国ばしへ行次ニこびき丁、両がひ丁、日本ばし夫より大名こふじ通リニテ芝あたごへ参詣次て芝神明、芝町せんかくじ、此所にえんやはんかんけらい四拾七人のはか所有壱人六文ツヽニテ見物夫より品川へ行

  日本ばしより
一 品川へ 三リ  此間ニ川有舟せん十弐文ツヽ

一 川さきへ泊リ 二リ半  此所木の国や はたご百三十八文

一 かな川へ 二リ半

一 ほどか屋へ 壱リ九丁  此間にやきもち坂有

一 戸塚へ 但し五十丁 二リ半  此所 追分有 右東海道、左かまくら道

一 かまくらへ 二リ九丁

此所八まん参詣仕夫より御宮を廻り此所にほう物有ふじのまきかりの時入用の物、日おとしのよろい、くさりかたひら、じんかさ、御はたのきれいろ/\ほう物有其外じんだいこ、六文ツヽニテかひ申候

一 片瀬へ 拾八丁

此所よりえのしま迄舟出し一人三十六文くらいニテ参ルこれはのらすかちもよし

十五日

一 え能嶋へ泊り 弐リ九丁

はたご弐百文 此所下宮上宮弁才天三所奥ノ院ハ二丁程岩あな登、松明ニテ参詣致ス

一 ふ志沢へ 壱リ九丁  此所湯行  上人様より十念申請テ

一 四ツ屋へ 壱リ  此間ニ川有舟渡し拾弐文

此間ニ追分有(右大山不どう道左東海道)

一 平塚 二リ半

一 大ひそへ(大磯)二十七丁  此所ニとう石有

一 梅沢へ 二リ

一 小田原へ泊リ 二リ  此所ふかわや はたご百三十弐文

一 湯本へ 壱リ半

此間ニ泊リや有 箱根権現へ参詣仕夫より少し行御関所有

江戸馬喰町より之切手有之御番所へ差上罷通ルなり

一 御関所ハ小田原之城主御願所也

一 箱根宿へ 二リ半八丁

此所望通リ茶屋ニ付片はたご四十八文 夫より少し行相州遠州国さかい也

一 三志まへ泊リ 三リ廿九丁  此所はたや 百廿八文

一 ぬまつへ 壱リ半

一 原へ 壱リ半

一 吉原へ 三リ六丁

此所藤の白酒名物也  次ニ藤川(冨士川)舟渡し廿八文川向ニ藤川くるミ餅名物也

一 神原へ(蒲原) 二リ廿九町

  十八日
一 由井へ泊リ 壱リ

此所 木せん四十文 米壱升六十八文 此間ニさつき峠此所ニごまのはいなどいずる所也 夫より少行おやしらず子しらずといふ所也  右□左うミなり どなたもごまのはい御用心可ヒ成候

一 沖津へ(興津) 弐リ半十二丁

一 江尻へ 壱リ

一 くのふへ 三リ  此所茶屋へ付 片はたご四十八文

くのふ山参詣安内せんは何人ニテも弐百文 御本社へ参詣御石ノまへは又弐百文ニテ入なり

一 府中へ 三リ

此所 阿べ川くりこ餅名物也次ニ阿べ川おぶひせん廿八文但し五文取なり

  十九日
一 丸子へ泊リ 壱リ半  此所宇津之やだんご名物有

此所幸名や 木せん五十弐文米壱升六十六文

一 おカベへ 二リ九丁

一 藤えだへ 壱リ廿六丁  此所御城有 本田ほうき守様御高三万五千石

一 志まだへ 二里八丁 此所大井川有 おふ(ぶ)ひせん八十一文 外酒て十弐文

一 かなやへ 壱リ  此坂登テさよの中山阿めで餅名物有坂下りてよなき石有 其石ハ道中なり

一 日坂へ 壱リ廿四丁  此所わらび餅の名物有

廿日

一 かけ川へ泊リ 壱リ廿九丁

此所しまや百拾六文 此所御城有大田備中守様御高三万五千石町はなれて右に□高井有、秋は山へ行道なり 但し五十丁詰メなり

一 森宿へ 三リ

此間四十八瀬川有 はしせん五文ツヽ  但し本ごふ川共いふ、はしせん二ケ所

一 市ノ勢へ 三リ  これより坂大なんじよなり

一 ミくらへ 壱リ半  此所ニこおり取川有 舟せん十弐文

  廿一日
一 ふえへ泊リ 壱リ半  此所大屋庄兵衛宅 はたご百三十弐文此大屋と申ハふえの宿ヲ通りぬけらんかんばしをわたり行なり但しふえの宿よりハ三丁ばかり行なり 是へ泊ルベシ 是より御山迄登五十丁

一 秋葉山へ 五拾丁  御山より下り五拾丁也

一 戸倉へ 五拾丁  此間天りう川有舟渡し拾弐文

一 石打へ 二リ

此所三河屋□通リ此三河屋の少し上より熊村迄すぐ道有左へわかるほそ道なり

一 芝村へ 壱リ

一 熊村へ 壱リ

一 大平へ 壱リ廿丁

一 須山へ泊リ 壱リ半  百廿四文

一 大野 壱リ半

此間坂大なんじよなり 此所ニ四ツばいと申坂有石坂也

一 鳳来寺へ 壱里

一 門谷へ 九丁下リ  此間ニ川有舟渡し弐文ツヽ

一 新城へ 三里  此所より壱里三拾六丁詰メ也

一 大木へ 二里半

  廿三日
一 ごゆへ泊リ 二里半  百廿四文

一 阿か坂へ 拾六丁

一 ふ川へ 二リ九丁

一 おか崎 壱リ半  町長しおか崎はしと申はし有長サ弐百八間也よこはゞ四間也

一 ちりうへ 三リ半

  廿四日
一 なるみへ 泊リ  三拾丁  百八文

此所なるみしぼりでも御かひヒ成候方は入口ニテ四五間の内より外になし

一 みや川へ 壱リ半

少し行阿津田明神大社有此宮川よりなこや迄町つゞく、此さかひハ石ノぼんぐひなり 宮よりなごや迄は壱リ半

一 なごやへ 壱リ半

御城有 御高六十万五千石 次ニ天しやくら、しやちほこ見ゆる、町家ひろし、次ニひや嶋の大はし有

一 地目寺へ 壱リ半

一 津嶋へ 三リ  津嶋牛頭天王へ参詣仕候

  廿五日
一 さや 泊リ 十八丁  此所 百六拾四文

此所よりくわな迄舟ぢ三リのる舟せん壱人前ニ付弐拾九文 舟役所ニテ御状目ヲ同行舟方へ相きかせ夫より舟ニのる 桑名へ行、桑名見ゆると舟の中ニテ舟玉として御ゆハひヒ下候といいかける様弐文ツヽ出ス

一 桑名へ 三里  松平下総守御高拾万石 名城也

町家多し 夫より壱リ程行やきはまくりの名物有

一 四日市 三リ八丁  此所ニ はしせん四文ニ、六文二ケ所有

  廿六日
一 かんべ 泊リ 三リ  百拾六文

此所御城有御高 壱万三千石

一 志らこへ 壱リ半  此所子安様有 ふだんさくら有

一 上野へ 壱リ半

一 津へ 二里半  此所和泉守様御高三拾五万石

町家多し此間はしせん八文ツヽ

一 くも津へ 二リ

一 六軒茶屋へ 壱リ

  廿七日
一 松坂へ 泊リ弐百文 壱リ  此所大和屋与平宅泊リ 此間くし田川有舟渡し弐文ツヽ

一 くし田へ 壱リ半

一 いな木へ 壱リ

此所いな木屋清兵衛たはこ入本家也 此間ニおはた宿有次ニ宮川舟渡し有 此舟ハ大神宮様より御向舟なり舟ちん不入

  廿八日
一 中川原へ 泊リ 壱リ半  此所笠屋片はたご百廿四文片はたごハ佐八様出る

此所迄むかいかご出る也 夫より籠ニのる二見ケうらへ行

一 伊勢川崎へ 三拾丁  此間ニ川有舟ちん拾弐文ツヽ

一 二見へ 壱リ半

此所茶屋へ付 佐八様より重樽ちやうたい致し、夫より二見カうらへ、大神宮へ参詣仕夫より内宮へ行伊勢川崎の川迄又かへる

  廿九日
一 内宮へ 但シ五十丁詰メなり 弐里

佐八神主様正月廿九日八ツ半時着仕ゆる/\休足仕申候テ御地そう申請候、二月朔日ニ大々御神楽上夫より御山参詣其外ハナ□社夫よりかへる

二日ニ浅間山へ行萬金丹本家浅間ケ竹ニ有此所ニテ相もとめ申候

一 浅間御本社迄 六十丁

御本社エ参詣仕夫より奥之院へ参詣いたし夫より下り茶屋へ付佐八様より重樽ヒ下ゆる/\休足仕夫より佐八様へかへる三日休足四日四ツ時出立中川原迄送ヒ下かごにて出るなり

外宮様へハ中川原へ帰る時ニ参詣いたし申候

一 中川原へ 五十詰也 二リ

此所迄太夫様御出ヒ下弁当ちやうだい夫より国へ帰る者と、西国致ス者此所ニテいとまこへしてわかれる也

一 田丸へ  此所壱万石御城下也

  二月四日
一 原大辻へ 泊リ 壱リ  此所 松坂泊リ(木せん廿四文 米壱升七十五文)

此所 追分有 右ハかしや左ハやき山こヘ

一 大かぜへ 壱リ

一 とち原へ 壱リ半

一 阿ほへ 壱リ半

一 味也へ 壱リ半  此所望通り (木せん拾六文 米壱升八十文)

此間舟渡し 六文ツヽ

一 野尻エ 壱リ  此所ニたきの原大明神有参詣仕森の内名木拾弐本有

一 柏野へ 壱リ

一 さ紀へ 半道

一 こまへ 半道

  五日
一 ま湯みへ泊リ 壱リ  此所 (木せん三十文 米壱升八十文)此所坂有

一 長嶋へ 二リ  此町より舟のるべからずかたく無用之事

一 美浦へ 二リ  此間坂有 大なんじよなり

一 むませへ 壱リ

一 船津へ 壱リ

一 古えへ 半道

此間ニ川三ツ有右まわれハ一瀬わたる阿しき川也大水には舟渡し也 次ニこまや坂有、岩山ニテ大なんじよ也 峠ニ茶や有上下壱リ斗リ此峠ノ茶やより岩山わる道有、是ハまわるべからず大なん所なり

  六日
一 おわ志へ泊リ(尾鷲市) 壱リ半

此所 大和屋半六 (木せん三拾弐文 米壱升八十五文)

此所海有壱丁程行ハやき山登リ是より一丁ツヽの改メ立石有是より東の方ニ海見ゆる 四十六丁目ニ八思山日輪寺有五十一峠より下リ三拾八丁迄ハ日本一大なんじよなり

一 美きさと(三木里)へ 三リ

此所舟に乗てよし廻ルハ二リなりそね迄舟路は壱リ舟賃は壱人分三十弐文ツヽ

一 そ称へ 舟路 壱リ

そね太郎そね治郎と申坂大なんじよなり

一 にき嶋へ 壱リ八丁

此所望通り 舟せん十弐文米壱升八十五文 此間ニ大亀坂ト申なん所なり

一 あたしかへ(新鹿) 壱リ  此間大ふし峠ニ同ふしの松今ハ志ん松ニ御座候

一 大泊リへ 壱リ  此間ニ坂有上下ニ廿八丁中程ニ田丸出見せ有

  七日
一 木之元へ泊リ 半道  此所叶や 木せん三十文 米壱升八十五文

此町之出口ニ西之方ニ高サ廿間程の岩有東海之中ニ鬼か城有次ニ海辺ヲわたる高サ拾七八間のいし二ツ 但し二王の□□次ニ花の岩屋有

一 阿たわへ 二リ半  出口ニ追分 右ハ本宮 左ハ新宮道

次ニ志原川 舟せん三文 此所おや志らすという事は左ハ大海にてなミ打つこと山のごとしなり又壱リ斗リ行又子志らずと云川有 新宮入口ニ川有舟せん廿五文ツヽ彼所へ相納切て受取罷通申候

一 新宮へ  二リ

日本第一熊野新宮入口ニテ山役銭廿四文納メ御札出る也 夫より門之内ニ入左之方ニ国とこたちのミこと 次に御本社拾弐社天神七代地神五代之尊あり次ニ天よりふり来ル釜有

一 御城主水野土佐守様  御高 三万七千石

此間廿丁程行左之いそ辺ニ天句たらいと云う岩有

一 みき崎(三輪崎?) 壱リ  此間ニなちくろといふ小石有

一 宇くひへ 壱リ  此間ニ大くし峠小くし峠云坂有

一 はまの宮へ 壱リ

  二月八日   きいの国
一 那知山へ 泊リ 壱リ  第一番札所

此所 実方院泊リ はたご弐百文 山役銭百弐拾四文相払、九日朝御本堂参詣仕右之方ニ日本一の大滝有 此間ニ大くもとり坂小くもとり坂といふきう坂大なんじよ也

一 小口へ 四リ  此所 望通り木せん拾弐文米八拾文 此間ニ川有舟せん二文ツヽ

一 清川へ 三リ

  二月九日
一 熊野本宮へ 廿五丁  此所ニテ安内取壱人前弐文ツヽ

日本第一御本社参詣末社ハ天神七代地神五代其外参り所なし夫より音なし太夫へ行

一 音なし太夫泊り

夫より御そなへ餅ヲ上ゲ餅壱升百文壱人前ハ百四拾壱文相成御話ヒ下候故弐百文差上申候御酒出る也 夫より拾八丁行□坂有 おぐりはんくわんてるての姫、湯行上人ノ塔有

一 湯のミねへ  此所湯有ゆせん 三文ツヽ 此間ニなべわり峠下共ニ大なん所なり

一 湯川へ  此間ニめうと坂二ツ有

  二月十日
一 野中 泊リ  此所 丸や和兵衛 木せん廿八文米壱升九十文

一 かち津ゆへ(近露?) 半道  此間ニ柏峠大坂峠拾丈峠なん所也

一 十丈村へ 壱リ半

一 高原へ 半道

一 芝村へ 半道

此所川有 此間ニ□□峠ニ茶や有此所望通り木せん十弐文米

一升九十文 上下ニ弐リ

一 仲美すへ 弐リ半

一 田なべへ 壱リ半

城主安藤□□様御高三万七千石 町家多し町過テはた路行□午のあなと云あな有

一 みなべへ 二リ  みなべ峠片倉峠むすび松二本有次ニ川有舟せん弐文ツヽ

  二月十一日
一 ゆハ志路へ泊リ 壱リ  此所 江戸善四郎 木せん三十文米一升八拾五文

一 き里べ 壱リ  此間ニ権現之社有

一 いなみへ 半道

    二月十二日
一 上野へ泊リ 壱リ  大風雨ニテ此所さかひ也 木せん三十文米壱升八十五文

一 小松原へ 二リ

一 道成寺 拾弐丁  天音山道成寺本尊参詣□□之帳物有何人ニテも百文ツヽ

一 原谷へ 二リ  此所望通り 木せん十六文米壱升八十二文

一 伊勢起へ 二リ  此間ニ川有上下ニ五拾丁次ニ川有

一 湯あさへ 壱リ

此間ニ坂有不らづ峠京か峠 次ニ徳生寺有是はひばり山中ぢやう姫のほふ物開帳致し八文ツヽ 次ニありた川水増ニテ拾六文ツヽ

一 宮原へ 壱リ半

此間坂上リテこふぼう太し御つめニテぢざふをほり付此坂廿五丁峠に茶や有 下り五十丁なんじよなり

  二月十三日
一 かも谷へ 泊リ 壱リ半  此所 木せん廿八文米壱升八十五文

此間ニ藤田峠ニ地蔵堂有開山之石塔有少し下り□□の筆松のの松二本同硯石此所名所多し次ニ藤代権現之社有之東の方ニ鈴木亀井之屋敷有子孫今有

一 藤白へ  壱リ

一 幾み井寺へ きの国 壱リ  第二番札所

此所よりいも山せ山へ拾八丁舟にのってよし舟せんは何人ニテも百八拾四文但し拾人かきり、夫よりいも山せ山へ上り、御身代様前ニ亀石有 次に女夫石へそ石牛のはだ石有次ニ三ツはた有右の方ニ茶や有此所ニテ仰られし古歌有

〽 和歌の浦塩見ちくればかたをなミ阿しべをさしてたつなきわたる

次ニ鏡山塩釜明神有次ニ亀のこふ石有夫より玉ツ嶋明神社有次ニ宝蔵有きやら山の岩おおし上岩有 天句岩山禰んころ石有夫より鳥居入右之方ニ公方様御玉屋有次ニはし有右之方ニはす池弁才天右みこし石駒石俵石なかれ石夫より東照権現参詣夫より西之方ニ天神社次ニかたをなみ夫より若山へ行

此間右之方ニ五百らかん大堂有次ニね上り松名木有 和歌の浦名所ハ其数しれず

 和歌のうらより
一 若山へ 壱リ

此所紀伊中納言様御城下町家多し 御城谷之前ニ見ゆる也 御高五十五万五千石

一 八軒屋へ

此所より三四丁行右ハこかわ寺へ本道左ハねころへ廻る道也粉川かけ越し道也ねころ廻ルハ半道廻りなり 此間川有舟ちん六文ツヽ

一 根こ路へ 二リ半  此所こくうぞふさま有 名所多し次ニふどふ様参詣仕

一 粉川へ泊リ 三リ  此所大阪甚三郎宅 木せん三十五文米壱升八十五文

一 第三番札所 きの国

一 大津へ 壱リ  此間きの川 舟せん五文ツヽ

一 花坂へ 四里

此所情浄心院之茶屋有、地そふの酒出る也、安内も出る也、是より大門迄五拾丁也、少し行、五十丁目の立石有、夫よりけさかけ石、ねぢり石、おし上石、次ニ長坂なと在、次ニぼんじ石、かゞみ石なり、夫より大門へ入清浄心院まで拾八丁、此間に町家宿つゞいて有、寺数ハ百ケ寺余

一 こうや

二月十五日八ツ時分清浄心院へ付、夫より奥の院へ行、安内出也、少し行一之橋、右左ニ諸大名様之石日(碑)かず知らず右之方ニぢや柳左ニあせかき地蔵尊有、かごみ井戸有、夫より無めうのはし、次ニ御堂は廿間ニ六間也、長者のまんどふ、ひんの一とふ、本堂おくの院ハこふぼふ大し様御入定の所、三国一所なり 残らず参詣仕り、夫より罷帰り申候

夫より酒肴出る也、地そふ申受候、八人ニテ金壱分相納申様、六日ニ四ツ時出立仕候、夫より下向ながら安内出、七堂らかん、金堂、やくし女らい、本堂廿五間四面、赤金かわらやね、其外諸堂多し、夫よりふどふ坂ふどふ堂有、次ニ右ニ足あと有、大なんじよなり

一 かミやへ 五拾丁  此所出口ニ追分 右ハ京道 左ハまきのお道

一 志そん院へ 二リ

此所こふぼふ大しの丹精のゆらい有、其外たから物 えんぎ開帳有、其上七社天神あり 此所、望通り木せん十五文、米壱升百四文 これより本枡(ます)なり、次ニ川有、舟ちん不入 酒手出し 此間ニ坂有

一 大畑へ 二リ  此間坂有 此峠三ケ国境 紀州、河内、和泉
  二月十六日  いつみ
一 ききの尾へ 泊リ  百丁  第四番札所 寺数七拾五ケ寺

此所ニテ九重之守御請可被成候 此所寺ニ泊リ 百廿四文

一 横山へ 五十丁

一 川中へ 壱リ半  此間しのだの森へわかる道有

一 山田へ 壱リ半

一 大島へ 壱リ  此所ニ泉州一ノ宮有

一 いづみ境へ 壱リ  此所川ちや金十郎宅 望通り 木せん十八文、米壱升八十五文

此所町家ひろし、又明国寺前日本一のそてつ有、元ハ壱本えだハ百十一本なり 明国寺門前ニ菊一文字四郎源之包光金物の本家なり、但し菊一文字四郎かずあれ共源包光ハ一軒なり、これニテ御もとめ可被成候、夫より鉄炮町通り次で大はし有少し行、なにはや平兵衛にわニかさ松有、高サ七尺四方へ拾八間程也、次ニ住吉大明神へ参詣鳥居の内ニ石どふろふ数多し 七堂らかん有、次ニ住吉丁、天下茶屋有、此所休てよし

  二月十七日
一 大坂へ泊リ 三里、長町七丁目河内や四郎兵衛宅泊リはたご百七拾文〓やねニ此印有二月十七日七ツ時着仕ゆる/\休足仕十八日大坂道頓ほり角大芝居見物仕候壱人前三百九十文ニテ宿へしきり弁当共ニ夫より十九日ニ安内取生玉大明神参詣 高津人徳天王次ニ妙法寺名本松有 次ニ高来はし西御門せき東御門せき 座間天神宮にんぎやう芝居かるわさ三国一のハレそば柳こふり、水分はし日本一の舟つきなり 夫より阿ミだ池□□□□四ツはしきせるハ菊切リニ〓印本家なり御もとめのよし但しかけねなし 夫より長町七丁目かへり勘定仕罷立夫より六丁程行天王寺参詣其外参所多し

一 平野へ 五拾丁  此間ニ川有はしせん不入

  二月十九日  かハちの国
一 藤井寺 泊リ 二リ  五番札所 此所わたや 百廿四文

此間ニ石川と申川有大水にハ舟渡し也 是より大黒村と申所ニ日本一のさい所大黒なり 夫より坪井村八幡宮有 がんき名水有是ヲのミ候ハバ長命と申事ニ候

一 上ノ大子へ 二リ

此所大師堂有 左リハたいま寺道 峠ニ岩や有 中状姫のはす糸の取し所也 岩屋ニ三尊みだ有

一 たいま寺江 壱リ  此所中将姫のはす糸のまんだらかいてう何人ニテも百廿四文

一 新所へ 壱リ

一 御所へ 壱リ

一 土佐へ 壱リ半

一 津ぼ坂 大和国 半道

六番札所 御堂ハ八間四面□□ハ八角作リ堂 夫より奥野院五丁なり岩ニ五百らかん有 これハ大師様夜一夜ニ御作りなり 夫より本堂へ帰リ坪坂より下りて家あり此所より左リ行テよし大キニちか道

一 津地田へ 壱リ半  此間吉野川 舟せん六文ツヽ

一 む津田へ 弐拾丁  此間桜坂上リ

  二月廿日
一 吉野へ泊リ 五拾丁

此ニ簪や 百弐拾四文 中飯共ニ 夫より加子、鳥居仁王門入御本堂八間四面右之方ニつゞじの柱えんの行者作り左の方ニ西国廻リ候たるくわんおん堂有前桜四本あり夫より町行テ左の方より水院有よしつね駒つなぎ松矢からしの有岩によしつね駒ヲのリ上リたるつめあと有弁けいわが力ヲためし見て石へゆび壱本ニてくぎヲさし其くぎ石有其外宮々宝物かい帳してよし此所よりだら仁助出る本元也 これより奥之院へ 五十丁也此間川有舟渡し三文ツヽ

一 上市へ 壱リ  此間上下壱リ斗リ坂有

一 滝之畑へ 壱リ半  此間坂有

一 とふ之みねへ 壱リ半

大門より女人きんぜいへ弐丁程下リ御本社ハ大しよくくわん釜たり公大明神御本社右之方十三間之堂有 其外諸堂末社多し 夫より大門迄帰る 右行

一 おう寺へ下リ大和国 五拾丁  此所右之方へ三四丁行テ本堂有又右之宿へもどる

一 第七番札所 安郡へかけぬけちか道有

一 安郡へ 壱リ  此所安郡山万願寺本尊文殊ぼさつ有

一 おい分へ此所まんぢう名物 壱リ半  此所茶やへ荷物頼置参詣仕候又此所までもとる也

一 長谷寺へ 大和国 四拾弐丁

第八番札所仁王門より本堂へ百間之余ろふか有石かんぎ坂有本堂より奥之院行

一 おいわけ 此所迄もどる也  おいわけより

一 見わへ 壱リ

此所名物そうめんありみわ入口より右之方ニみわ大明神社有社領百七拾石也日本弐拾弐社なり

  二月廿一日
一 柳本へ泊リ 壱リ  此所たゝミや 百弐拾四文

此間左之方ニ宝蔵院七堂らかん有郡山へぬけ道三四リ廻りなり

一 丹は市へ 壱リ

一 おひと紀へ 弐リ  此所より左ニ郡山見ゆる御城見ゆるなり

一 なら江 壱里  此所望通り 片はたこ四十八文

此所入口より弐拾丁程行こりやく大明神元□寺あり五重之とふ有正徳大師の御作みふかせん六文ツヽニテ登る也

是より安内とる さる沢が池きぬかけ柳八重桜ちごかんおん様三ケね若宮大明神八拾末社壱ケ所ニ有大黒殿楠木其外相生之松石とふろふ両かハニ数知レず 次ニ春日大明神御本社四社くわいろふ□東西三拾五間也金とふろふかすしれず 次ニ三笠ノ山金長の石若宮八まん大宮八まん宮、次ニ三月堂、二月堂有、念仏堂前ニ大つき金有目方四万八千九百目と申事ニ候 夫より大仏堂三拾三間四面高サ拾六丈大仏様御丈五丈三尺五寸なりくわいろふ東西百間南北九拾間ト申次ニ春日大明神御朱印高弐万五千石

南郡町数知れず 安内銭は八拾八文何人ニテも定メなり

一 九番南郡南えん堂 なら是切り  国境 大和山城

一 木津へ 壱リ半  此間ニ川有 舟せん拾弐文ツヽ

  二月廿二日
一 玉水へ泊リ 弐リ  此所竹や政七 木せん三十八文米壱升八十二文

一 長池へ 壱リ半

一 新田へ 壱リ  此所町中追分 右ハ宇治 左ハ京道

一 宇治へ 壱リ  此所茶所御用茶屋五軒有 名茶也 本八右衛門宅ニテもとめてよし

一 十番山城宇治みむろ堂江 拾八丁  是より拾八丁行わうばく山万福寺参詣所多し

一 六地蔵へ 壱リ

一 下の大子へ 壱リ

此間坂有大難所なり女人きんぜいの山也 峠ニハ寺斗リ泊リやなし

一 上の大子へ 山城国 卅七丁  十壱番札所

御堂ハ御かり屋に御座候本堂御ふしんさいちうニ御座候拾八丁下りて茶屋一軒有此間上リ下リ弐拾四丁坂有御山へ八丁登リ立石有 此間国境 山城江州

一 岩間寺へ 山城国 五拾丁

拾弐番札所 此間廿五丁下リ廿五丁平地也

  廿三日
一 石山寺へ泊リ あふみの国 五拾丁  十三番札所

石光山石山寺 領五百石也 仁王門より坂石迄両方ニ紅葉ノ木有御にハには石山弐拾塔有諸堂多し仁王門より左ニ宿屋有此所よりせたのからはし見ゆるなり此所ひらや 木せん三十八文米八十二文

一 せたへ 拾八丁

此所 右せた 左ぜぜ 札所三拾壱ばん二ばんトさかさ打なされし方 右へ分リテせたのからはしわたりして又是へもとる也又長命寺より舟壱そふ壱〆三四百文くらいでかひ切って大津迄ものられる也

一 くさつへ 弐リ  此所 追分 右ハ東海道 左ハ中山道

一 森山へ 壱リ半  此間川有少シ水増しニテ廿四文ツヽ

一 鏡へ 弐リ半  此間よりむかて山見ゆる也

一 むさへ 壱リ半

一 ふえ 壱リ  此所よりくわんおんじへ拾弐丁登り

一 観音寺へ あふミノ国 拾弐丁

三拾弐番札所 御堂前より左りの方ニ三十一ばん長命寺ぬけ道有至ってほそ道なり拾八丁下り大なんじよなり

一 楽師へ 拾八丁

  廿四日
一 八幡宿へ泊リ 壱リ半  此所 木せん三十弐文米七十五文

此所泊リや宿ノ中頃三四軒より外ニ無之候

一 長命寺 あふミの国 壱リ半  三拾壱番札所

此所より薪村へハ舟に乗てよし舟ぢ壱リ 舟ちんは人数多くて得八拾八文位ト御座候 おか路ハ三リ廻リなり乗ってよし此所より大津迄舟路八リ私共八人にて壱〆四百文ニかへ切って大津まてのり候此事とく用無御座候足やすめにハよし なぐさみ舟ハのらず

廿五日朝のり出し廿五日夕方のり付申候

  廿五日 舟ぢ
一 大津泊リ 八里  此所とりや 木せん四十八文米七十五文

一 三井寺 大津  十四番札所

奥之院へ女人きんぜいハれたるつきがね有 此所よりから咲へかけぬけ道有

一 からさきへ 五拾丁  此所からさき一ツ松名木有からさき明神有

一 坂元へ 半道  此所三王ごんげん弐拾壱社有 ひ永山へ五拾丁なり

一 ひ永山へ 登リ五拾丁

御本堂は薬し如来也 堂廿四間ニ十八間くわいろふ打廻り五拾間也少し登リテ大日堂十八間ニ拾弐間南向 伝きょう大師御びう所有其外参リ所多し そうかんとふ御知行五千石寺数百五拾軒 かけ越くらまへ行也

一 屋せ村へ 五拾丁 此所泊リ茶屋四軒有 此間坂有

一 くらま 百丁

此所茶屋ニて安内取様三人ニテ百文 夫より仁王門より内大明神有 次よしつねがくもんしせう屋敷跡有

前ニなミだの滝有

哥に ふきまよふミ山おろしにゆめさめてなミだもよふす滝の音哉

夫より阿ミた堂 金の車有次に御本堂ハ焼失ニ付未タ出来不申ほふ物もやけ候て太刀トかふと金斗リ三文ニテかへ帳いたし 夫よりかけ金坂人目をしのぐびやうふ坂 宇紀世を廻る車坂 是迄拾壱丁登り峠によしつねせへくらべ石有 此所にて

哥に かへり越かへりこんとはおもへ共定メなき世の定なければ

次ニ下りてふどう坂奥の院ふどう様有 裏に僧正谷兵供場 よしつねこしかけ石前ひん水石次ニひさつき石かくれ石硯石筆すみの跡

哥に か志ましやくらまの山のく津わむししばしとどめてのりの声きけ

次ニ岩切り丸大刀跡駒足跡 次たへなへくぐりよしつね道具立石有 天句(狗)の手跡次ニきふねへ行

一 きぶねへ 弐拾弐丁  此所きふね明神有

一 市原へ 壱リ半  此所 小野小町寺有

一 上かもへ 壱リ  大明神社有

一 下かもへ 壱リ  大明神社有

一 京都へ 京都右へ 半道

六角道前餅屋惣左衛門宅へ二月廿六日七ツ時分着仕緩〻休足仕候廿七日ニ安内取夫より白川之院様へ参詣仕三十六文 白川御役所相納夫より安内取物見致ス神酒御供御守リいただきかハらけ盃引なかし夫より

一 十九番 京高堂

打初メて夫より吉田へ参リ御役所百拾五文差上かたきぬを着し御役所より安内出参詣いたし御本社ニテ神酒御供御守いただきかけし盃引ながし夫より

一 十六番 京清水

一 十七番 京六原寺

一 十六番 京今□

一 三拾三軒堂

一 大仏堂 焼失ニ付跡斗リ

一 御門せき

一 十八番 京六角堂

右之通リ所々参詣致し札納罷帰リ申候安内銭何人ニテも百六拾四文 二月廿八日とふりう仕品々かい買物仕廿九日朝はたご弐百文相払荷物前原迄相廻し多目ニ付百文ツヽニテ相廻し申し候 夫レより四ツ半時罷立二条之御城北野天神おむろの御所 夫より

一 さがへ 弐リ半  此所しやカ堂有 硯石至テ下値候但しかけねなし 次ニ二そん院有

一 あたご山へ のぼり五拾丁  登リ五拾丁の内中程ニ茶屋有

かハらけなけの名物二ツ 壱文ツヽ 夫より峠ニハ寺斗リ御本社ハ焼失ニ付御かりやニ御座候 夫より下リ壱リ半平地壱リ半此間川有三文ツヽ

  廿九日
一 亀山へ泊リ 三リ  此所 枡や 木せん四十文米八十文

一 阿のふ寺へ たんば国 廿丁  弐拾壱番札所此間坂有なん所也

一 戸の畑へ 三リ半

一 吉之禰へ 山志ろ 壱リ  弐拾番札所

一 青村 壱リ

是より半道斗リ行 追分有左リへ行 此間ニよど川きつねわたし十六文ツヽ これより左ニ御城見ゆる也

一 屋わた八幡へ 壱リ半

八丁登リ御本社有其外末社多し かけ越□坂本江行下り拾六丁也

一 坂本へ 拾六丁

此所舟渡し拾六文 舟上リ候テ左リニかち道有是ヲ行てよし但し此所より五拾町詰めなり

  卅日
一 惣た川へ 泊リ 弐リ  此所 亀屋 木せん三拾弐文米七十五文

此所より高月の御城見ゆるなり 永井日向守様御高五万五千石 町家多し

一 惣持寺へ つの国 壱リ  弐拾弐番札所

一 郡山へ 壱リ

一 かち尾寺へ つの国八丁登リ 弐リ

廿三番札所 大門わきニ茶や一軒有夫より三丁登リ下リ五拾丁

一 池田 三リ

但し作リ酒屋七拾五軒有ト申事ニ候 池田諸白ハこれなり

一 中山寺へ つの国 五拾丁  弐拾四番札所

一 お浜へ 半道

次ニ川有大水ニテ七拾弐文ツヽ若し大水ニテ川とめ候ハバ中山宿より右へ廻レハ大はし有五六丁廻りなり

  三月一日
一 西之宮へ泊リ 二リ半  此所 木せん 三十二文 米 七十二文

一 宇原住吉へ 弐リ八丁  此所 住吉大明神社有

一 上野へ 五拾丁  此所よりまや山拾八丁登リ壱リ廻リ也

一 布引滝へ 三拾丁  女滝男滝名滝有

一 生田森へ 拾八丁

但し生田明神右之方森有社内ニかかり原井右之方ニ有左ニかうらい竹えびらの梅あつ盛の□有也

一 かふべ宿へ 八丁  此所 町家多し泊リやなし壱丁斗行て楠墓有

一 兵庫へ 拾丁

此所 津き嶋山来光寺参詣いたし夫より四五丁行清盛の石日(碑)有石ニテ拾三重之とふ有

一 すまへ 壱リ

此所はつれにすま寺有、安内取夫より大門にあつ盛馬のすそたらひかぐニかゝり有 夫より右之方の山ニ松四五本有是は源かね政月みの松と申也

哥に あわじ嶋かようちどりのなく声にいく夜ねさめ能すまの せき盛

夫より少し行左之方ニ若木桜有御本堂正くわんせ音宮に開帳有 次ニよしつねこしかけ松じんごふこふごうノつりざお竹有

地永(まゝ)三年二月 日  たゞのり様

哥に 雪くれて此日たかけヲやととせバ花やこよひわあかしなるまじ

此所より一ノ谷

夫より罷行あつ盛の塚有南ニつな引天神社有右之方ニ熊がへノ治郎日乃丸おふぎにてあ津盛ヲまねぎし所有次てつかへかミね次南ニあん徳天王屋敷跡有神ごふこふごふのかふとはちふせの山有次源平咲かけのつゝぢ左ニあり 今ハすなニテハかる也いろ/\名所多し 夫より少し行あつ盛石塔有前茶や二軒名物そば有此所売りごいおもしろし

  国境  摂州 播州

一 たるみへ 壱リ半  此所泊リやなし茶やばかり 左ニあハじ嶋見ゆる也

一 あかしへ 壱リ半

柿本人丸大明神有 城主松平兵衛様御高六万石町家多し 泊リやハすくなし

  三月二日
一 大久保へ泊リ 壱リ半  此所平の屋百弐拾四文中飯共ニ也

一 長池へ 壱リ  此所より左へ分ル

一 ベふへ 壱リ半  此所住吉大明神有 手まくらの松名木有

夫より三拾丁斗リ行住吉大明神おのへの松三代めの名木也

おのへかね茶や志めうの餅有

一 おのえへ 三拾丁斗リ

一 高砂へ 弐拾丁斗リ

此所つか屋伊七衛門宅三月三日九ツ時着仕夫より荷物頼置石のほうでんへ参詣ニ参る 少し行川有行もどりニ八文通りぬけなれハ六文 夫より石のほうでんハ参詣そねの松ヘハ行不申候 夫より高砂へかへる

一 石のほうでん 三拾丁

やどより弐丁斗リ行相生の松 是牛頭天王有又宿へかへり片はたご六拾四文切て銭五文片舟五文女にて舟の内ハ舟まかなヘニ相定右通り相払 夫より晩ノ四ツ時分出舟仕夫より四国丸亀へ五日八ツ時分宿へ上リ米屋八太夫へ付 夫よりこんぴら様へ行

一 丸亀江 船路三拾六里

城主京ごく能登守様御高五万三千石町家広し夫よりこんぴら山一の金鳥居迄百五拾丁夫より御本社へ拾八丁此間ニ泊リや多く有 御山八丁登リ左ニさぬきふじ見ゆる也 夫より参詣いたし

一 金毘羅山大権現  諸堂末社多し別当金光院御守料百廿九文

夫より善つうじいや谷ヘハ参詣致し不申候参詣致せバ二三リまハリ也

一 三月五日晩ふ元(もと)吉田屋吉右衛門宅はたご百拾四文 六日四ツ時出立又米屋八太夫へ帰リ片はたご百文

御番所切手代五十文相払夫より四分ニテ右之舟へ相定六日晩ノ明七ツ時出舟仕候 七日の晩海上ニ泊リ八日ニハなきあしく候四リ斗リもどり日くれニ牛まと(牛窓町)上リ此所泊リ相定メ通リ相払片はたご百十壱文此間ニいんべ村(伊部)びぜんやき名物とつくり品々有

 牛まとより
一 片上へ 五リ廿五丁

一 美津石へ 三里  此間ニ坂峠  国境 播州 備前

一 宇ねへ 弐里  此間ちくさ川渡し 八文ツヽ

  九日
一 宮の尾へ泊リ 壱里半  此所松屋 木せん三十弐文 米六十八文

一 くがへ 壱り  此所花やき□の名物有

一 片嶋へ 壱リ

一 正条へ 半道  次ニ川有 舟せん十弐文

一 いかるがへ 壱リ

一 山田へ 壱リ

一 青山へ 半道

青山より三丁斗りてまえニ左へ分りしよふしや寺へ行ちか道なり至テ小道なり右ニひめしの天子(天守閣)みゆる也 此間川有はしせん二文ツヽ

一 西坂元へ 壱リ

一 しよしや寺へ はりまの国登り 拾八丁  弐拾七番札所

一 東坂元へ 拾八丁  此所右ハひめし左ハほっけ寺ひめしへ廻れハ半道斗リなり

一 ひめじへ 壱り

かわるひ名物下値ニ候但しかけね有此所ニ城有 少し行川有大水ニテ廿五文ツヽ

一 きちケ花へ 弐リ余

  十日
一 畑村へ 泊リ 壱リ  此所 木せん三十五文 米七十文 此所ニ泊リや二軒有

一 法花寺へ はりまの国 半道  弐拾六番札所 少行奥之院有

一 笠原へ 壱リ

一 はん上へ 壱リ  此間青野原ものみ之松有

一 青の原へ 壱リ  此間ニ滝の川舟渡し大水ニテ拾文ツヽ

一 佐保社へ 弐拾五丁  此所ニ大社有

一 馬瀬へ 弐リ

一 加茂川へ 壱リ

一 清水寺へ はりまの国 壱リ  内十八丁登リ

弐拾五番札所 寺数六十軒有申候寺ハ六十石也 三国境 播州 丹州 摂州

一 市の原へ 下リ 五拾丁

一 ふる市へ 弐リ

  十一日
一 阿た木へ泊リ 五拾丁  此所 木せん三十文米七十文

此間ニ川有 はしせん二文ツヽ次ニ大山と申所泊リや有

一 おいれへ 弐リ  此笹山坂登 のぼり八丁下リ三十丁大なん所なり

一 こくりうへ 五拾丁  此間ニ宿や所々ニ少しツヽ有申候

一 福地山へ  城主□木出羽守様御高三万弐千石也

此所よりこふ森迄三リ下リ舟有乗り合舟ニ御座候間乗り候方々共少しハ乗り合まちても乗てよし舟ちんハ廿八文位にて舟ぢ二リおかも三リなれどもとふし 国境 丹波 丹後

一 かふ森へ 三里

一 外宮へ 拾八丁  大神宮四拾末社有

  十二日
一 内宮へ 拾八丁  此所 ふしみや 木せん三十文米七十五文大神宮様末社有参詣仕夫より少し行右ハすぐ道左は天の岩とひ行道なり少し廻りなれ共かけぬけの道なり安内ニ子供出る壱文位ニ御座候

一 中の茶(茶屋)へ 壱リ  此間石坂上下壱リ斗リ大なん所也

峠より大江山見ゆる也

一 がんとふ茶やへ 壱リ半

一 宮津へ 壱り半  城主松平伯耆守様御高七万三千石

ミやつ入口より家中通リニテ舟場前茶や江荷物頼置成相ふ元(麓)迄壱リ半舟ニ乗リ小舟一そふ百文ニテ上下かい切り乗り夫よりきれとのもんじへ半道上りて参詣門前茶や有ちえの餅ふんべつの酒さへかくでんがくいろ/\名物有 夫より舟乗りて行次ニ舟渡し六文舟ニのりても入也 次天のはし立三十六丁松林也 両方ハ海也文じぼさつ夜一夜の御作也 夫よりふもとへ上リ御山へ拾八丁登リ参詣仕 此舟ハ宿より少し行キて乗リ候と壱人拾文位て上リ乗申候

一 丹後国 成相寺へ ふもとより登り 拾八丁

弐拾八番札所 仁王門之所大キニくづれ仁王門無御座候 下りて又宮津迄舟乗てかへる

一 宮津へ 成相より 弐リ

此所ちりめんきぬるへ(類)名物下値ニ候但しかけね有也

一 くんた(栗田) 壱リ半

此間ニ七まがり八峠有入口ニさんせう太夫くび引の松有 ゆらのミなと見ゆる

  十三日
一 ゆらへ泊リ 壱リ半  此所 木せん四十五文 米七十八文

少行さんせう太夫屋敷跡有此所ニ音無川有舟渡し四文ツヽ

一 中山へ 壱リ半  此大舟崎有

一 田なべへ 弐リ  城主牧野佐渡守様御高三万五千石也

一 市場へ 弐リ

一 松尾寺へ たんご国 弐リ  内拾三丁登リ

此所より五拾丁詰メ也 弐拾九番札所 此所国境 丹後 若狭

  十四日
一 高浜へ泊リ 弐リ  此所丹波屋 木せん三十弐文 米七十二文

一 本郷へ 弐リ

一 お浜へ 壱リ

此所入口ニ八百ひくに宮有内宮外宮 其外もゝさくら有 宝物いろ/\ 心ざしニテかい帳品々御守有此所より町へかけ越して出る也

一 城主酒井修理大部様御高拾万三千石也

一 おにうへ 壱リ

一 熊川へ 三リ半

一 山中へ 壱リ

此所ニ御番所有男は構なし但し女改メる也 此所より三十六丁詰也

一 ほら坂へ 半道  少しの小坂有

一 おいわけへ 半道

  十五日
一 会津へ泊リ 弐リ半  此所しを屋 木せん三十八文 米七十四文

此所より竹生嶋迄舟ち三リ舟ちんハ七十弐文定メなり 三月十六日朝五ツ時出舟仕候な紀回致し候て四ツ半時竹生嶋へ付舟玉積りとして六文つゝ夫より参詣仕

  あふミの国
一 竹生嶋 今津より舟ぢ 三里  卅番札所

御堂ハ五間四面辰向也 奥ノ院にわ宮々宝物開帳有めうがせん八文ツヽ 日本無双のけい地なり 夫より長はまへ舟ニてゆくなり

一 長はまへ 竹生嶋より 四リ

此所へ七ツ時分ニ丹より上リ酒手五文ツヽ出ス 夫より米原へ行なり

  十六日
一 米原へ泊リ 弐リ八丁

此所北村源重郎宅へ 京都より荷物相廻し置候手形引替シニ荷物ヲ受取申候但シ蔵敷壱人前拾文ツヽ相払申候 此所泊リ山田屋 木せん四十五文 米七十七文 夫より追分 右中山道 左北陸道 少し行又右へ分ルばんばへ出る也

一 はん場へ 壱リ  此所より中山道なり

一 さめがひへ 壱リ

一 柏原へ 壱リ半  此間ニ国境 ミの 近江

ねもの語りのえんぎ長久寺村茶やニあり

一 今すへ 壱リ

一 せきカ原へ 壱リ

一 たる井へ 壱リ半

出口に道分有右へ行なり少し行て□□の名物有 熊坂長半

物ミの松有大はカ有長者の屋敷跡てるての姫清水あり

義経様哥に さしおくもかたミとなれやのちの世に源氏さかひによし竹となれ

御石塔三ツ有

一 赤坂へ 壱リ半  町中ニ追分 右ハ中山道 左ハたにくミ道

一 池田新田へ 壱リ半  此所せつたい茶有白石入口ニ川有 舟ちん十弐文定メなり

一 白石へ 壱リ半

此所よりたにくミへ百丁之内少し上下ニ十弐丁程の坂有又吉汲山の足跡有石也 夫より念仏池是ハ念仏おとないれハ水玉ニあかる也 夫より拾四五丁行谷汲様なり 仁王門有少し石だんのぼる也

  三月十七日
一 谷汲へ泊リ 百丁  三拾三番札所 打留

御堂ハ拾間四面南向也但シ御出役銭拾三文おいつる代三十三文相納但し内廻リ三へんヒ成候ておかみ候ヘハ御こぞう様十念ヲ受、夫より御えい歌ヲ上可申候 夫よりからえんへ廻り先祖ぼだいのためニ相納メて地蔵様へ水ヲたむけ夫より我等がかミを切って納也

卯月三月十七日  谷汲寺相納 三拾三所 目出度諸願成就相納敬白

此所門前枡屋 木せん四十文 米七十五文

此所より左へ分リ善光寺道至テ小道也 此間ニ川有舟ちん拾文ツヽ

一 阿えた市へ 三リ  此間ニ川有舟渡し六文 次ニ大川有舟渡し拾六文

一 ぎふへ 弐リ  此所金物品々名物有金花山金高佐治右衛門かし元也

金花山ハ数有ル共金高ハ一軒也 もとめてよし

一 かのふへ 半道  是より中山道也 城主永井伊賀守様御高三万五十石也

一 宇怒まへ 四リ八丁

此間かつ山ト申所ニ道之上ニ岩や有出口ニくわんおん様奥にハ地ぞうさま有 此所ニて西国大名おしよせ候時ハふせぎとめる所なり

一 おふ田へ泊リ 弐リ  此所辰巳や 木せん三十八文 米七十五文

此間木曽川有水まして舟せん三十六文

一 ふし見へ 弐リ

一 美竹へ 壱リ  此間坂二ツ有十方峠藤白峠有

一 木そ 少くでへ 三リ  此間ミや峠

一 大くでへ 壱リ三十丁

此十三峠中頃ニ出茶や有三ののはつやき名物之餅有次西行ほうしの塚有

  十九日
一 大井へ泊リ 三リ半  此所中田屋 木せん四十文 米八十五文

一 中川へ 弐リ半六丁

一 おちあへへ 壱リ五丁

此間ニ拾石峠ニ狐のこふやく二ケ所本家ハ金かんばんニ小笠原秘伝寿仙ト有所本元なり 国境 ミの 志なの

一 まごめへ 壱り五丁  此間泊リや少し有

一 津まごめへ 弐リ

一 三とめの(三留野)へ 壱リ半  此間ニ少し泊や有

  廿日
一 野じりへ泊り 弐リ半  此柏やはたご百十弐文中飯共ニ

一 須原へ

此所より三リ斗リ行てねざめの茶や有此所より壱丁斗リ行てりうせん寺ト云寺ニうら嶋太郎のつりをいたせし所也 けい地ミやうがせん五文 此間ニ木曽ノかけはしばしやうの哥ニ

 かけはしや命をからむつたかづら

一 ふく嶋へ 弐リ半  此所町家広し 出口也 御番所有

一 宮の越  壱リ半

此所より少し行はし有右之方ニ木曽よし中の日(碑)石有夫より北の方ニ城跡あり

  廿一日
一 屋こ原(藪原)へ泊リ 弐リ  此所山城屋はたご百十弐文中飯共ニ

此所くしるひ(類)下値ニ候但しかけ値有もとめてよし 此間ニ鳥居峠有此峠日本一の高イ所也

一 ならいへ 壱リ半  此所重ばこ硯ふた其外品々名物至テ下値ニ候かけ値多し

一 にえ川へ 壱リ半

出口ニ御番所有但し間ノ宿梅沢村ト申所ニテ熊野なとヲすすめ候共もとめべからず

一 元山へ 弐リ

一 せばへ 三拾丁  出口ニ追分 右ハ中山道 左ハ善光寺道

一 郷野原へ 壱リ廿四丁

一 むら井へ 壱リ半

一 松本へ 壱リ半  城主松平丹波守様御高五万石

此所もめんしぼり多く有至テ下値ニ候

一 おカたへ(岡田) 壱リ  此所ニ赤坂峠上下ニ壱リ斗リ

  廿二日
一 かり屋原へ 二リ  此所古井やはたご百十弐文中飯共也

一 会田へ 壱リ十丁

此所こふぼう大しけさかけのまつ有 次ニ大刀峠上下ニ壱リ斗リ

一 青柳へ 三リ

一 お見へ 壱リ十丁  出口ニ追分 右ハ山道 左ハ善光寺道

此間ノ宿さるかばんばの柏餅名物有 坂峠へ登リ拾八丁下リ壱リ計リ此間少し泊や有

一 いなり山へ 三リ

一 篠之井へ 壱リ  町中追分 右ハ江戸 左ハ善光寺道 是より□らきへ廿二リ

此所和泉や文右衛門宅荷物頼置 夫より善光寺へ行又此所へかへる也

一 丹波嶋へ 弐リ

此間ニ川有舟渡し川二ツ有日の内ニもどれバ三十六文ニテ手形出る也一夜泊リ候ヘバ又三十六文役所へ相納罷通リ

  廿三日
一 善光寺へ泊リ 壱リ拾弐丁

此所げんきんや 百廿四文 大門前より二百拾八間敷石有 善光寺如来堂ハ南向東西拾八間南北卅間三方正面きさはし六ケ所ニ有 善光寺毎朝開帳有 かいたん廻りミやうがせん六文 夫よりけちミやくを受ミやうがせんと申してハ壱文も不入かみヲ一丈六拾四文ニてかひ納請申候 以上

一 篠之井へ 弐リ

此所へかへり荷物置を取蔵敷六文片はたご四十八文相払 夫より江戸道行 此間ニ川有舟ちん廿四文

一 屋しろへ 壱リ  此間宿ニ木めんさなだ多く有至テやすしかつてよし
一 戸倉へ 壱リ半

一 佐か代へ 壱リ

一 上田へ泊リ 三リ

町家多し 此所津々や百拾弐文上田じま名物也 やすしかってよし

一 城主松平伊賀守様御高五万三千石也

一 運野へ 弐リ

一 田仲へ 半道

一 小も路へ 弐里半  浅間山左ニ見ゆる也 次ちの川と一水赤川有

一 おいわけへ 三リ半  是より中仙道也

一 く津かけへ 壱リ三丁

  廿五日
一 かるい沢へ泊リ 壱リ五丁  此所ふくちや 百十弐文

此間宇すい峠是より拾八丁峠ニ茶や有下リ弐リ余なり 此峠上リ右ニ白山見ゆる也

一 坂本へ 弐リ八丁  此間横川村御番所有此村より右へわかるめうきへ行なり

一 白雲川へ 弐リ  御本社へ参詣中ノ竹へ上下二リ廿丁也

至極けひ山也 此間ニはしせん六文

一 松えたへ 卅丁  此所よりはるな山へわかる也

此間ニ坂有なん所也 次ニはし銭二文也二ケ所

一 三軒茶やへ 弐リ

一 二軒茶や 泊リ 八丁  此所百拾六文此間坂有

一 明神前へ 弐リ半

一 八本松の茶やへ 壱リ  此所荷物置候 夫より春名山へ参リ 又此所へ帰る也

一 春名山へ 壱リ

仁王門より少行テ右の方ニふどう様有上ニくらかけ岩有 少登て石の切どふし有、是より右之沢ニ亀石有 御本社参詣仕前神楽堂其外末社御本社之上ニぼんでん見ゆる高サ拾丈程此所けひ地いろ/\多し 奥の院ハ登リ拾八丁次ニ壱リ四方の地也 中ハ池 日光山へかけ越し道有といふ

一 八本木の茶やへ 壱リ  此所へかへる也

一 むろ田へ 弐り

一 たか咲へ 三リ廿八丁  此所きぬるい(絹類)下値也

  廿七日
一 くらかのへ泊リ 壱リ拾九丁  此所わき本ちん 百四十文

一 玉村へ 壱リ半  此所追分 右ハ江戸 左ハ日光道

又めのまへかけるニハ江戸道へ参る

一 五りやうへ 壱リ半

此御番所有高砂やといふ茶やへ付 切手もらい役所納罷通る也 此とね川舟渡し廿文定なり

一 芝村へ 壱リ  此間川有舟ちん十文

一 きざ木 三里半拾丁

一 大田へ 弐里

一 八木へ 弐拾丁

一 屋な田へ 半道  此間川有 舟ちん廿文

  廿八日
一 佐野 泊リ 弐リ半  此 丸や 百拾五文

一 岩船へ 弐リ  此所 参詣仕

一 大手ごんげんへ 一リ半  此所 参詣仕 夫よりとち木へ行

一 とち木へ 壱リ半  此間川有舟渡し八文

一 みぶへ 弐リ

  廿九日
一 宇都宮へ泊リ 四リ九丁  此所わき本ぢんはゝや百四拾八文

一 白沢へ 三リ  此所 はしせん五文

一 阿久津へ 壱リ  此所 舟ちん八文

一 氏家へ 卅丁

一 喜連川へ 壱里半

一 福原へ 三里

  日数 惣〆 八拾壱日
   卯四月朔日 宿帰宅仕候
 
  下野国那須郡小船渡村  花塚兵吾

(花塚直茂家文書)