5 宗門改

242 ~ 249
 江戸幕府が、キリスト教信仰を禁止するためにとった制度である。時代により精粗の差はあるが、国民一人々々の宗旨を改めて人別帳をつくり、異教徒でないことを証明した檀那寺の請状が記されている点はだいたい共通している。この人別帳は、檀那寺が請状を認めるところから「寺請証文」とも称され幕府諸藩地頭を通じて原則として毎年作成され、これによって各戸の家族構成がわかり、一村の人口も把握できたので、当時戸籍台帳の役割も果したものである。明治四年宗門人別帳の廃止が布達されるまで続いた。
 
   安永六酉年       下野国那須郡
  宗門御改帳             扣
    三月 日        下湯津上村
    宗門御改帳
一 与惣治印  旦那寺当村真言宗   威徳院印
一 女房               同寺印
一 まち(女子)           同寺印
一 ふゆ               同寺印
一 丹治(男子)           同寺印
一 女房               同寺印
一 安左衛門(隠居)         同寺印
一 女房               同寺印
一 母                同寺印
一 久兵衛(下男) 是ハ余瀬村より差置申候 同村真言宗蓮徳寺旦那寺請状取置申候
    〆拾人  内 男四人 女六人
一 喜左衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 喜伝次(男子)          同寺印
一 国蔵(二男)           同寺印
〆三人  内 男弐人 女壱人
 
一 又治印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 女房               同寺印
一 たの(妹)            同寺印
一 五左衛門(隠居)         同寺印
一 女房               同寺印
一 伊次(男子)           同寺印
  清五郎(下男)          同寺印
    〆七人  内 男四人 女三人
 
一 三蔵印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 母                同寺印
一 弥七(隠居)           同寺印
    〆三人  内 男弐人 女壱人
 
一 重左衛門印 旦那寺当村真言宗   威徳院印
一 女房               同寺印
一 梅(女子)            同寺印
一 政之助(男子)          同寺印
一 富次郎(二男)          同寺印
一 条助(弟)            同寺印
一 女房               同寺印
一 ふく(女子)           同寺印
一 勘右衛門(隠居)         同寺印
一 女房               同寺印
    〆拾人  内 男五人 女五人
一 伴右衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 とめ(女子)           同寺印
    〆三人  内 男壱人 女弐人
 
一 伝右衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 さの(女子)           同寺印
一 次郎(男子)           同寺印
一 源左衛門(隠居)         同寺印
    〆五人  内男三人 女弐人
 
一 治右衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 喜十(男子)           同寺印
一 女房               同寺印
一 ふゆ(女子)           同寺印
    〆五人  内 男弐人 女三人
 
一 庄蔵印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 女房               同寺印
一 太郎(男子)           同寺印
一 母                同寺印
一 直三郎  是ハ黒羽町ニ店借仕罷在申候 同寺印
一 女房               同寺印
一 さの               同寺印
一 佐七               同寺印
    〆八人  内 男四人 女四人
 
一 彦左衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
    〆壱人  男
一 庄右衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 ちやう(女子)          同寺印
    〆三人  内 男壱人 女弐人
 
一 文次印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 母                同寺印
一 平治衛門             同寺印
    〆三人  内 男弐人 女壱人
 
一 文五郎印  旦那寺当村真言宗   威徳院印
一 母                同寺印
    〆弐人  内 男壱人 女壱人
 
一 喜野右衛門印  旦那寺当村真言宗 威徳院印
一 女房               同寺印
一 さよ(女子)           同寺印
一 弥次右衛門(隠居)        同寺印
一 女房               同寺印
    〆五人  内 男弐人 女三人
 
一 善蔵印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 女房               同寺印
一 亀治(男子)           同寺印
一 松太郎(男子)          同寺印
一 なみ(女子)           同寺印
一 富弥(男子)           同寺印
一 四郎兵衛(隠居)         同寺印
一 女房               同寺印
一 太七(下男)  是ハ蛭畑村より差置申候 真言宗頂蓮寺旦那請状取置申候
    〆九人  内 男六人 女三人
一 藤三郎印 旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 母                同寺印
一 祖母               同寺印
一 よう(女子)           同寺印
一 喜惣兵衛(下男)  是ハ佐良土村より差置申候 天台宗同村法輪寺請状取置申候
一 清七(下男)
一 すみ(下女)  是ハ蛭畑村より差置申候 真言宗頂蓮寺請状取置申候
  きよ(下女)
一 玄達(医者)  是ハ佐良土村より借家仕罷在候 天台宗同村法輪寺請状取置申候
    〆九人  内 男四人 女五人
 
一 勝右衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 せん(女子)           同寺印
一 忠七(弟)            同寺印
    〆四人  内 男弐人 女弐人
 
一 惣左衛門印  旦那寺当村真言宗  威徳院印
一 女房               同寺印
一 丑太郎(男子)          同寺印
一 松(女子)            同寺印
一 惣右衛門(隠居)         同寺印
一 女房               同寺印
    〆六人  内 男三人 女三人
 
一 要助印  旦那寺当村真言宗    威徳院印
一 女房               同寺印
一 母                同寺印
    〆三人  内 男壱人 女弐人
(――中略――)
    人数〆百八拾壱人 内 男九拾九人 女八拾弐人
    家数〆四拾弐軒  内 三拾五軒 百姓  七軒 水呑
 
右判形之者拙僧旦那紛無御座候、御法度之切支丹宗与申者御座候ハハ、拙僧何方迄も罷出申訳可仕候、為其銘々判形差上申候、為後日仍而如件
  安永六年 酉三月 日
                   威徳院印
 川口重郎右衛門殿
 小林善左衛門殿
 今岡武右衛門殿
 安藤次郎左衛門殿
 
右之通宗門御改、銘々旦那寺判形取差上申候、毎度怪敷者壱人も無御座候、尤村中人数壱人ニ而も不隠置、有躰書上申候、他所より召置候召使之者、男女共ニ寺請状、主人方へ銘々取置申候、行衛不知者は不及申上、縦存候者たり共相改不申上候而ハ一切差置申間敷候、右之趣相背申候ハヽ、此判形之者如何様之曲事ニ茂可被 仰付候、為後日仍而如件
 安永六年 酉三月 日
             下野国那須郡
               下湯津上村
                 組頭  新助
                 名主  与惣次
   御役所様
(永山正樹家文書)

      天保十一年
   下野国那須郡下蛭田村宗門人別相改書上帳
      子三月 日
                    蜂巣伊左衛門

     差上申す宗門改めの事
一 切支丹宗門の事、累年堅確に御制禁の為、弥々以て此の度当村中御穿鑿仰付けられ候処、怪しき者壱人も御座無く候、切支丹宗門の訴人仕る者、其の品々により御褒美仰せ下さる可く候旨御条目の趣慥に承知奉リ候事

一 此の以前、切支丹宗門にてころび候者之有候はば、御改め遊ばされ候、先祖にも切支丹宗門又は、日蓮宗の内御停止の悲(ママ)典御座無く候事

一 何宗共知れ申ささる出家、御改め遊ばされ候、村中に左様の出家御座無く候事

右の通り、名主五人組惣百姓常々心掛け、怪しき者壱人も御座無く候様相改め、御条目の趣相守り申す可く候、其の為、村中惣百姓水呑迄、残らず連判仕り、差上げ申し候、後日の為仍て件の如し
  天保十一年子三月
 
    真言宗檀那寺下蛭田村頂蓮寺印
            四十一年    伊左衛門印
            三十三年    妻
          親 六十七年    伊蔵
          母 六十五年    かね
          聟  二十歳    伊右衛門
          娘  十九年    妻
          伜  十三年    万之助
           〆七人 内 男四人 女三人
 
    真言宗檀那寺同村頂蓮寺印
            三十二年    嘉蔵印
            二十九年    妻
          親 六十一年    五兵衛
          母 五十六年    りつ
          伜   五年    金之助
          娘   二年    てつ
          姉  十七年    たき
           〆七人 内 男三人 女四人
 
    真言宗檀那寺同村頂蓮寺印
            三十八年    仙蔵印
            三十一年    妻
          親 六十四年    利兵衛
          母 六十一年    利き
          娘  十一年    喜ね
          〃   九年    利な
          〃   六年    ふく
          悴   三年    鉄吉
           〆八人 内 男三人 女五人
 
    真言宗檀那寺同村頂蓮寺印
          兄  三十年    粂蔵印
          弟 二十八年    亀次
          嫁  十九年    ふさ
           〆三人 内 男弐人 女壱人
 
    真言宗檀那寺同村頂蓮寺印
            三十九年    金蔵印
            二十八年    妻
             十四年    熊太郎
            六十九年    粂
              八年    金作
           〆五人 内 男三人 女弐人
 
    真言宗檀那寺同村頂蓮寺印
            五十五年    久吾印
            四十一年    妻
          悴 三十四年    芳蔵
          娘 二十四年    はつ
           〆四人 内 男弐人 女弐人
 
 (――中略――)
 
右の通り拙僧檀那に紛れ御座無く候、若し御法度の宗門の由、申す者御座候はば、何方迄も罷り出で、御法度の宗門に御座無く候通り、申分け仕る可く候、旦那寺替え候者御座候はば、早々御改め申上ぐ可く候、後日の為請状仍て件の如し
  天保十一年子年三月
               野州下蛭田村
                  真言宗 頂蓮寺印
   加々美鶴次郎様御内
     川名祐之進様
 
右の通り宗門人別村中相改め、残らず書上げ申し候、壱人成り共、隠居り申候はば、名主五人組御詮議の上、曲事にも仰付けられ候、勿論御改め以後、出生並に死去候者御座候はば、相改め差上げ申可く候、以上
               野州那須郡下蛭田村
  天保十一年子三月       百姓代 久吾
                 組頭  嘉蔵
                 名主  伊左衛門

(蜂巣英夫家文書)


宗門改帳の一部(蜂巣英夫家所蔵)