この取調べに対して片府田村では、前記六か所はもともと片府田村のもので、決して入会地ではなく、その証拠には、その地内には片府田村の百姓の耕作地があり、そのための税の負担もしている、との言い分がある。
幕府では係り役人江川太郎左衛門及び万年七郎左衛門の手代、二名を派遣して実地に検分をさせたところ、右の六か字は片府田村の地内にあり、片府田村の農民の耕作地であり、税負担もしていることに違いなく、宇田川方のいう入会地とは、それよりも東北の台地、上平野のことで、宇田川・片府田・新宿・鹿畑・倉骨・奥沢・赤瀬・大和久八か村の入会地のことであると裁断した。
そこで近接組合村の代表者が集まり、相談の上安永四年(一七七五)示談が成立した。
差上申済口証文之事
宇田川村訴上候ハ、相手片府田村地内字富士山腰通り・字野山・字蛇田台・字後国原・字下夕川原・字あせご台
右六ケ所ハ前々より秣場ニテ、倉骨村・鹿畑村・奥沢村・新宿村・片府田村・宇田川村都合六ケ村入会ニテ、秣刈来リ候処、地元片府田村差障秣為刈取不申、却而宇田川村地内字滝沢・字滝沢川原・字滝下右三ケ所ヲ入会秣場抔と申掛、難渋之趣申上候
一 片府田村答上候ハ、宇田川村より申掛候字六ケ所之義ハ、字も相違仕り、字湯坂上・字上原・字加丹沢・字堀田・字あせごと申場所ニテ湯坂上ハ百姓持林、其外御高受之田畑之地所ニテ、前々より入会場無之、且字富士山下境塚ヨリ、くぞっぱ見通し内ハ、片府田村地内ニ相違無之旨申上候
右出入御吟味之上、猶又地所為二御改一、江川太郎左衛門様・万年七郎左衛門両御手代被二差遣一御糺御座候処、宇田川村申立候六ケ所之義、字湯坂山ハ木立山ニテ秣場ニ無之、其外之義ハ片府田村田畑耕地之名所ニテ、尤も田畑之間ニ御高外芝地有之候得共、入会秣場とハ不二相見一、且字富士山下よりくぞっぱへ見通し、宇田川村・片府田村両村地境ニテ、右見通し内ハ片府田村地内、前々川欠之損畑三反歩余有之旨、片府田村申立、宇田川村ニテハ両村地境之義ハ、蛇尾川端片府田村地内用水堰際之欠上松山より、くぞっぱへ見通し、右松山より北之方ハ、欠通り見上ケ境ニテ、片府田村申立候字富士山下よりくぞっぱへ見通し、内ハ宇田川村地内字滝沢川原、畑数四拾九枚之川欠壱町壱畝歩、并ニ字滝沢之内川欠畑壱反歩余、都合壱町壱反壱畝歩程之場所ニ候趣申立、御吟味中ニ御座候処、入会秣場組合并ニ隣郷村之役人共取扱、内済為レ仕度奉レ願、則双方へ異見差加へ候処、双方共ニ納得仕リ、出入内済仕訳左ニ申上候
一 宇田川村申立候片府田村地内、字富士山腰通リ・字野山・字下夕川原・字蛇田台・字後国原・字阿せご台右六ケ所ハ、蔵保根村(倉骨村)・鹿畑村・奥沢村・新宿村・宇田川村・片府田村都合六ケ村秣場と申立候得共、村々入会場之義ハ、上平野と申蔵保根・鹿畑村・奥沢村・新宿村・片府田村・赤瀬村・大和久村右七ケ村先芝地ニテ、尤も右村々田畑荒地も、少々入交リ候得共、右場所ハ前々より秣場ニ相極リ、字田川村ハ地先ハ無之候得共、前々より入会ニ差加ヘ、都合八ケ村入会秣場広野ニ御座候
右入会秣場境片府田村之方ハ、右村地内字富士山木立際、右富士山より南之方湯坂山と申木立山之立木際、夫より新宿村御林立木際通リヲ入会境と相心得、夫より西之方片府田村地内へ入会候義無之、右入会場之外片府田村田畑之間ニ、御高外之芝地有之候得共、当郡之義ハ都而芝地脇ニ付、片府田村ニ不限、田畑間之御高外之芝地有之候村方多候得共、他村より入会秣刈取候義ハ無之候得共、宇田川村ニ限リ、片府田村之田畑間々ニ、御高外之芝地へ入会秣刈取来り候と申謂無御座候間、以来共ニ八ケ村入会字上平野之外宇田川村之者共片府田村地内へ立入、秣等決シテ刈取不申様取扱候処、納得仕候間其通相極申候
一 宇田川村・片府田村地境之義ハ、字富士山下ヨリくぞっぱへ見通し境ニテ、右見通し内ハ御高受畑川欠損地三反歩余有之、片府田村地内之段同村申立、宇田川村ニテハ右見通し境とは相違ニテ、右見通し内は宇田川村地内字滝沢川原、畑数四十九枚之川欠反別壱町壱畝程之川欠検地有之、宇田川村地内之段、同村申立候論所改反別五町歩余有之候由、依之右論所之通リ七分三分之積ヲ以、右五町歩余の所三町五反歩余ハ宇田川村地内、壱町五反歩余ハ片府田村地内之積リニ取扱候処、右之通リニテハ双方より申立候御高内畑之川欠地所へ不差障候ニ付、少茂申分無之旨双方共ニ申立候間、則双方并ニ取扱人立合、右地所割渡し、境杭相建、両村地境ニ相極申候
右出入書面之通リ相扱候処、双方共ニ聊申分無之納得仕、相互ニ意趣遺恨も不相残和睦仕、出入内済仕、偏ニ御威光と難有仕合奉存候然ル上ハ右一件ニ付、御願ケ間敷義申上間敷候、為後証、双方并ニ取扱人連印、済口証文差上申処如件
小林孫四郎御代官所
野州那須郡鹿畑村
組頭 与右衛門
名主 久左衛門
同 御代官所
同州同郡新宿村
組頭 十蔵
名主 四郎左衛門
松野孫太夫知行所
同州同郡同村
組頭 定四郎
名主 与右衛門
久世平九郎知行所
同州同郡蔵保根村
組頭 伊佐衛門
名主 太郎右衛門
同 知行所
同州同郡奥沢村
組頭 藤右衛門
名主 亀右衛門
大田原飛騨守知行所
同州同郡大和久村
組頭 元右衛門
名主 治部
同 知行所
同州同郡赤瀬村
名主 条右衛門
久世平九郎知行所
同州同郡三色手村
名主 忠治
加賀美甚治郎知行所
同州同郡小種島村
名主 治郎兵衛
加賀爪藤八郎知行所
同州同郡同村
名主 庄右衛門
本田隼人知行所
同州同郡同村
名主 斎宮
小林孫四郎御代官所
同州同郡福原村
組頭 文六
名主 条右衛門
那須与一知行所
同州同郡同村
組頭 文平
名主 岡之丞
名主 治郎右衛門
小林孫四郎御代官所
同州同郡片府田村
百姓代 与惣右衛門
組頭 兵助
名主 友八
〃 源蔵
〃 儀右衛門
〃 助右衛門
久世平九郎 松野孫太夫知行所
同州同郡宇田川村
百姓代 与治右衛門
組頭 安右衛門
〃 宗兵衛
〃 折右衛門
〃 伝右衛門
名主 幸蔵
〃 茂右衛門
御評定所
江川太郎左衛門様 御手代
川村陽兵衛様
万年七郎左衛門様 御手代
里見政治郎様
右両御手代様御見分御改之上、地所絵図面御仕立被遊、御評定所へ御上リ被遊候、絵図面写控双方惣代之者、連印ニテ引訳申処、如斯御座候、以上
宇田川村訴訟方
安永四未年 名主 茂右衛門
七月 日 〃 幸蔵
組頭 伝右衛門
〃 折右衛門
〃 宗兵衛
百姓代 与治衛門
片府田村相手方
名主 助右衛門
〃 儀右衛門
〃 源蔵
〃 友八
組頭 兵助
百姓代 与惣右衛門
(宇田川文書)
(『大田原市史』より)