原因は霖雨(長雨)、旱魃、冷害、風、虫(蝗・うんか)害等の自然的原因による。三年に一度の不作、三十年の小飢、五十年の大飢と云われた。飢饉の惨状は言語に絶し、路傍に死骸が横たわる有様であった。
一一八一年(養和元年)には、都の内だけで四万人以上の餓死者が出たという。
近世に下っても、再々不作に見舞われ、年貢金を借入れ、その支払いの延期願いや、年貢米の減免願いが各村々から出された。
これは上湯津上村と佐良土村両村の年貢減免の願書である。
乍恐以書付奉願上候
一、御知行所上湯津上、佐良土両村役人共一同奉申上候儀ハ当未年田方甚ダ違作ニ付、米方御上納相届兼ネ両村小前一同難渋仕候、依レ之佐藤喜右衛門様エ両村ヨリ願出申候御見分成下サレ候所、去々巳年ノ違作同様皆無同前ノ場所多分ニ御座候様ニ相見へ申候、誠ニ米方御上納相届兼ネ申候間、何卒御勘弁ノ以二御慈悲一田方御上納五分通リ御引方奉二願上一候
右願ノ通リ御引方被二仰付一被二下置一候ハバ両村役人小前一同相助リ偏ニ難レ有仕合ニ奉レ存候以上
野州那須郡上湯津上村
百姓代 治三郎
組頭 八百吉
組頭 庄二郎
名主 江崎源治右衛門
割元格 江崎勇三郎
同州同郡佐良土村
百姓代 忠助
組頭 治助
表書之通リ相違無御座候 以上
佐藤喜右衛門
御地頭所様御内
御役人衆中様
一、御知行所上湯津上、佐良土両村役人共一同奉申上候儀ハ当未年田方甚ダ違作ニ付、米方御上納相届兼ネ両村小前一同難渋仕候、依レ之佐藤喜右衛門様エ両村ヨリ願出申候御見分成下サレ候所、去々巳年ノ違作同様皆無同前ノ場所多分ニ御座候様ニ相見へ申候、誠ニ米方御上納相届兼ネ申候間、何卒御勘弁ノ以二御慈悲一田方御上納五分通リ御引方奉二願上一候
右願ノ通リ御引方被二仰付一被二下置一候ハバ両村役人小前一同相助リ偏ニ難レ有仕合ニ奉レ存候以上
野州那須郡上湯津上村
百姓代 治三郎
組頭 八百吉
組頭 庄二郎
名主 江崎源治右衛門
割元格 江崎勇三郎
同州同郡佐良土村
百姓代 忠助
組頭 治助
表書之通リ相違無御座候 以上
佐藤喜右衛門
御地頭所様御内
御役人衆中様
(江崎源治衛門家文書)
平安時代の昔から、備荒貯蓄の制度があり、稗、粟、その他穀類を積立て飢饉に備えた。
明治時代に入ってもこの制度はつづいた。
凶荒預備蓄積規約書
那須郡蛭田村
緒言
凶荒預備蓄積者凶歳損毛不作ノトキ饑餓ヲ救助スルノ備ニシテ貧富異ヲ積分与同一ニシ共に飢ヲシノギ活生ヲ課ヲ要スルナリ
明治十二年十二月 蓄積惣代 蜂巣市重
〃 平山金十郎
戸長 蜂巣伊造
注 個人別稗積石明細帖省略ス
この頃上・下合併して蛭田村となり戸数七十戸
那須郡蛭田村
緒言
凶荒預備蓄積者凶歳損毛不作ノトキ饑餓ヲ救助スルノ備ニシテ貧富異ヲ積分与同一ニシ共に飢ヲシノギ活生ヲ課ヲ要スルナリ
第一条 稗数量百拾六石五斗目的トシテ年々十二月三日ヲ期トシテ一ケ年弐拾三石三斗ツツ積立、毎五ケ年ニシテ積替アル事
第二条 積方ハ戸数分限割合満期積替ノ節ハ銘々原石数吃度(キツト)積替スル事
但積替ハ五ケ年目ニ至リ戸長及惣代ヨリ日限ヲ報知スヘシ
第三条 毎年十二月三日積立、其積立戸長ヨリ報知ノ日限ニ無遅延銘々持参、戸長并村惣代立会ニテ改メ請取封印収蔵スル事
第四条 五分迄ノ不作ニテハ平年ノ如ク之ヲ積事
第五条 凶荒ニ際シ七分以上ノ損毛不作ノトキ村協議ノ上郡役所エ届後、積立ノ多少ニ不拘貧民エ分配人口ニ割合事
第六条 蓄積ニ付テノ費用(備庫料、又ハ積替、俵〆直シ、繩、人足料等)人口ニ割合事
第七条 蓄積取締ハ戸長及村惣代ハ公撰ヲ以テ二人ヲ置キ是ヲ負担スル事
第八条 戸長及村惣代蓄積ノ事ニ付奔走スルトキハ日当義務トシテ無給候事
第九条 転居スル者ヘハ、蓄積ハ原積数ヲ以テ割戸シ、入籍スル者ハ其年ヨリ村規約ニ準シ蓄積スル事
栃木県下野国那須郡蛭田村凶荒予備蓄積方法規前条々之通協議決定候依テ此段御届申上候也
明治十二年十二月 蓄積惣代 蜂巣市重
〃 平山金十郎
戸長 蜂巣伊造
注 個人別稗積石明細帖省略ス
この頃上・下合併して蛭田村となり戸数七十戸
(蜂巣英夫家文書)
この後十三年後の明治二十五年にきめられた片府田の財産管理規則がある。これは村内全大字毎に作られた。
片府田共有財産管理規則
第一条 本大字有財産現在額左ノ如シ
一、稗 七石
但一時寄留ノモノ又ハ極貧者ハ除クモ妨ゲナシ
但 世話人 阿久津伝一郎
〃 鈴木治三郎
右条項大字毎戸協議之上決定シ後証ニ供ス
明治廿五年八月七日
大久保万治 鈴木仙平 鈴木弁次
鈴木庄作 鈴木章四郎 鈴木栄吉
鈴木金平 高野宇三郎 鈴木熊太郎
鈴木初太郎 鈴木松吉 大久保清二郎
阿久津岸平 阿久津伝一郎 阿久津要吉
大久保政吉 大久保政八 平山徳松
高野由太郎 鈴木松吉 高野清七
高野藤吉 高野市郎 高野惣八
鈴木貞三郎 鈴木宗三郎 鈴木熊八
鈴木治三郎 鈴木定吉 阿久津勇吉
阿久津熊治郎 吉成峯松 吉成岩五郎
鈴木栄太 鈴木久三郎
第一条 本大字有財産現在額左ノ如シ
一、稗 七石
第二条 本大字ハ勤勉貯蓄其他相当ノ方法ヲ定メ漸次ニ財産ヲ起設シ、専ラ増殖ヲ謀リ将来諸税其他有益ノ費途ニ備フベシ
第三条 財産ノ資金ト為ルベキモノヲ得タルトキハ逓信省ニ預入凡(オヨソ)金五拾円前后ニ満ルトキハ下戻シ、確実ナル土地ヲ購入スベシ
第四条 蓄穀ハ凶荒予備トシテ現在ノ外ニ年々毎戸稗五升乃至一斗ヲ積立、向十ケ年間ニ大成ヲ謀ルベシ
但一時寄留ノモノ又ハ極貧者ハ除クモ妨ゲナシ
第五条 蓄穀ハ時々積替ヲ為シ腐敗ヲ防グベシ
第六条 財産管理保存ノ事務ヲ補助執行スル為メ本大字住民ノ公選ヲ以テ世話人弐名ヲ置ク、其任期ハ二ケ年トシ交迭ノ際ハ村長及該大字人民二名以上立会ノ上受授ヲ為スベシ
但 世話人 阿久津伝一郎
〃 鈴木治三郎
第七条 世話人ハ財産台帳其他必要ノ帳簿ヲ置キ種類数量所在等ヲ明記シ置クベシ
第八条 蓄穀ノ積替又ハ預金下戻其他財産ニ増減変更等異動アリタルトキハ村長ノ指揮ヲ得テ決行シ大字一同ヘ公示スベシ
第九条 世話人自己怠慢ニ依リ生ジタル損失ハ世話人其責ヲ負フモノトス
第十条 第四条ノ蓄穀方法ハ公然ハ毎戸五升宛ト為シ、字内蓄積ハ毎戸壱斗宛貯積スルモノトス
右条項大字毎戸協議之上決定シ後証ニ供ス
明治廿五年八月七日
大久保万治 鈴木仙平 鈴木弁次
鈴木庄作 鈴木章四郎 鈴木栄吉
鈴木金平 高野宇三郎 鈴木熊太郎
鈴木初太郎 鈴木松吉 大久保清二郎
阿久津岸平 阿久津伝一郎 阿久津要吉
大久保政吉 大久保政八 平山徳松
高野由太郎 鈴木松吉 高野清七
高野藤吉 高野市郎 高野惣八
鈴木貞三郎 鈴木宗三郎 鈴木熊八
鈴木治三郎 鈴木定吉 阿久津勇吉
阿久津熊治郎 吉成峯松 吉成岩五郎
鈴木栄太 鈴木久三郎
(鈴木政雄家文書)
共有財産管理規則は各大字毎にできて村当局に提出された。各条文は十ケ条前後のもので大体同じである。記録に残る各大字の財産は次のようである。
大字湯津上
一、土地二反八畝廿五歩
一、倉庫 一棟
一、稗 百四十四石
大字佐良土
一、土地五町九反廿五歩
一、稗 十三石
一、渡船 六艘
大字蛭田
一、土地四町八反八畝廿六歩
一、稗 三十八石
大字狭原
一、稗 九石二斗五升
大字小船渡
一、板倉 一棟
一、稗 八十石
大字新宿
一、田一反二畝廿六歩
一、稗 三石五斗
大字片府田
一、稗 七石
大字蛭畑
一、土地二反廿六歩
一、板倉 一棟
一、稗 百石
片府田村勤倹儲(チヨ)蓄規約
這回、困難挽回凶荒予備ノ御諭達ニ随ヒ、勤倹儲蓄ノ三領ニ依リ、多年ノ積弊ヲ矯正シ以テ之ヲ挽回予備ノ目的ヲ達センガタメ村内同盟熟議ノ上本年十一月十五日ヨリ来ル明治廿一年十二月三十一日迄ヲ壱期とナシ左ノ規約ヲナス
勤勉
第一、年中休日ハ左ノ日数外二十二日ヲ超過スベカラザル事
但休日ト雖モ午前五時ノ間以上就業スヘシ(注、午前中五時間ハ作業)
第二、就業時間ハ一日十時間以上タルヘキ事
節倹
第四、神仏或ハ祝日祭日等ニ托シ猥リニ集合飲食セサル事
第五、諸興行ヲ催サヽル事
第六、身分不相応ノ粧飾ヲナサザル事
儲蓄
第七、毎戸壱人別稗五合宛年々儲蓄ヲナスベシ
但三年以下ノ児童ハ本文ノ数ニ入ル事ヲ不得
取締
惣代戸長ハ之カ商議ヲ為シ厳械(ママ)ヲ加フヘキ事
右之条項各自熟議ノ上同盟契約ス依テ各姓名ヲ自記捺印スルモノ也
(総員三三名) 大久保萬次 印
以下略
一、土地二反八畝廿五歩
一、倉庫 一棟
一、稗 百四十四石
大字佐良土
一、土地五町九反廿五歩
一、稗 十三石
一、渡船 六艘
大字蛭田
一、土地四町八反八畝廿六歩
一、稗 三十八石
大字狭原
一、稗 九石二斗五升
大字小船渡
一、板倉 一棟
一、稗 八十石
大字新宿
一、田一反二畝廿六歩
一、稗 三石五斗
大字片府田
一、稗 七石
大字蛭畑
一、土地二反廿六歩
一、板倉 一棟
一、稗 百石
(永山正樹家文書)
片府田村勤倹儲(チヨ)蓄規約
這回、困難挽回凶荒予備ノ御諭達ニ随ヒ、勤倹儲蓄ノ三領ニ依リ、多年ノ積弊ヲ矯正シ以テ之ヲ挽回予備ノ目的ヲ達センガタメ村内同盟熟議ノ上本年十一月十五日ヨリ来ル明治廿一年十二月三十一日迄ヲ壱期とナシ左ノ規約ヲナス
勤勉
第一、年中休日ハ左ノ日数外二十二日ヲ超過スベカラザル事
但休日ト雖モ午前五時ノ間以上就業スヘシ(注、午前中五時間ハ作業)
一月一日二日三日三十日 孝明 ○二月一日十一日 紀元 (注、紀元節)旧正月元日二日三日七日十四日十六日○三月一日二十日 春皇 (注、春季皇霊祭)○四月一日三日 神武 (注、神武天皇祭)○五月一日○六月一日二日三日田植始メ休○七月一日二日三日田植終休○八月一日旧七月盆十四日十五日十六日○九月一日二十三日 秋皇 (注、秋季皇霊祭)○十月一日十七日 神嘗 (注、神嘗祭)旧九月十五日村社祭礼○十一月一日三日 天長 (注、天皇誕生日)○廿三日 新嘗 (注、新穀感謝祭)○十二月一日
第二、就業時間ハ一日十時間以上タルヘキ事
節倹
第三、冠婚葬祭トモ其分限ヲ顧ミ節倹ヲ旨トシ、勉メテ費用ヲ省カシムヘキ事、但葬儀ノ節ハ酒類ヲ禁ス
第四、神仏或ハ祝日祭日等ニ托シ猥リニ集合飲食セサル事
第五、諸興行ヲ催サヽル事
但営業ニスルモノ及ビ特別協議ヲ以テ戸長ノ認可ヲ経タルモノハ此限ニ非ス
第六、身分不相応ノ粧飾ヲナサザル事
儲蓄
第七、毎戸壱人別稗五合宛年々儲蓄ヲナスベシ
但三年以下ノ児童ハ本文ノ数ニ入ル事ヲ不得
取締
第八、隣保五戸ヲ組合トシ勤倹法ヲ謹守シ専ラ情誼ヲ厚フシ互ニ艱難ヲ相救フヘキ事
第九、毎組合組頭壱員ヲ置キ勤倹法一切ノ事ヲ担任ス
第十、此勤倹規約法ニ背ク者アルトキハ隣保ノ者篤ク忠告ヲ加エ決シテ背事勿ラシム
第十一、隣保ノ忠告ニ依ルト雖モ尚悔悟ノ情アラザルニ於テハ、組頭ヨリ村惣代及ビ戸長エ申立ベシ
惣代戸長ハ之カ商議ヲ為シ厳械(ママ)ヲ加フヘキ事
第十二、儲蓄ノ穀ハ村惣代ニ於テ積立戸長ハ毎年十二月中現石ヲ検査ナスヘキ事
右之条項各自熟議ノ上同盟契約ス依テ各姓名ヲ自記捺印スルモノ也
(総員三三名) 大久保萬次 印
以下略
(鈴木政雄家文書)
右規約には、作成の日付がないので、その年月は不明であるが、明治三十五年三月一日付の、大字片府田節倹法健(ママ)議書なる書類の中に「此倹勤法ハ茲ニ始メテ設ケタルモノニ非ズシテ、明治拾八年頃ヨリ当字ニ定メラレシモノナレドモ」とあり、恐らく、明治十八年頃作成されたものと思われる。