告諭第三号
害虫ノ農作物ヲ損フハ、猶伝染病ノ人畜ヲ襲フカ如シ、人若シ之ノ駆除予防ヲ怠ランカ、終ニ凶歉ヲ来タシ、幾千万ノ正貨ハ茲ニ海外ニ□出ス、豈ニ□セスシテ可ナランヤ、前年ハ深ク茲ニ鑑ムル所アリ、特ニ短冊形苗代ヲ普及セシメ、害虫発生初期ニ於テ駆除予防ヲ命シタリ、是レ則未然ニ其害毒ヲ防遏セシメタルニ外ナラス、然ルニ農家一般克ク此旨ヲ体シ、刻苦励精幸ニ豊穣ヲ告ケ、以テ今日アルヲ得タリ、惟フニ時局ノ発展ハ益々大ニシテ、之ニ伴フ施設ハ弥弥急ヲ要スルノ秋、事毎ニ農家ノ考慮ヲ要スヘキモノアリト雖、短冊苗代ノ如キ洵ニ耕作上最先ノ急務ナリトス、今ヤ□□ノ期ニ当リ、宜シク前年ノ実蹟ニ鑑ミ、其歩武ヲ弛フセス、之レカ整地ヲ行ヒ、害虫ノ駆除及雑草抜取リヲ厳ニシテ、以テ其目的ヲ達スルコトニ努ムヘシ
明治卅八年四月廿五日 栃木県知事 白仁武
右ノ通、告諭相成候ニ付テハ、能ク其旨趣ヲ体シ、短冊苗代ノ如キハ必ス形ノ如ク整備シ、雑草、抜キ取リ、害虫駆除予防法等、普ク行渡リ候様、一般ヘ即達セラルヘク、万一旧慣ニ泥ミ、短冊形苗代ノ制ニ反スル向キモ有之候而ハ、不都合ノ次第ニ付、其辺十分注意セラルヘシ
明治卅八年四月廿六日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
県令第二三号
稲苗代田又ハ、本田ニ発生シタル稗ハ、該苗代田若クハ本田ノ作人ニ於テ、毎年所轄郡市長ノ定ムル期間ニ、之ヲ抜キ取ルヘシ、違背シタル者ハ、拘留又ハ科料ニ処ス
明治卅八年四月廿八日 栃木県知事 白仁武
訓令第一八号ノ内
右之通達相成候ニ付テハ、追テ其期日ヲ定メ、実行方訓令可相成候得共、前以テ心得置カレ候様、一般ヘ示達セラレ度候也
明治卅八年五月二日 湯津上村長杉井学時
各区長 殿
郡令第二号
本年四月県令第二十三号ヲ以テ、稲苗代田又ハ本田ニ発生シタル、稗抜取方ヲ令セラレタリ、就テハ、該苗代田若クハ本田ノ作人ハ、左ノ期間内ニ於テ、之レカ抜取ヲ実行スヘシ
明治卅八年五月五日 栃木県那須郡長 雨宮克
記
一苗代時期 五月十五日ヨリ 六月五日迄
一本田時期 八月十日ヨリ 九月十日迄
右ノ通、稗抜取リ時期ヲ定メラレ候ニ付テハ、一般へ触示シ、必抜取ラシメ、違反者無之様致度、且抜取方実行ニ付テハ、各大字ニ於テ協議ノ上日取ヲ定メ、着手セラルル等、便宜処置セラルヘク候也
明治卅八年五月十日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
稲作稗抜取及害虫駆除ニ関シ左ノ通実行スル事
短冊形苗代ノ制ニ依ラサル者ハ、速ニ蹈切ルヘシ
右之通実行セラルヘシ
明治卅八年五月廿四日 村長 杉井学時
一捕虫網壱個ツヽ各大字へ配布ス
稲田害虫駆除、夜間ハ苗代毎ニ燈火誘殺シ、其蛾数及昼間捕虫網ニテ取リタル数、採卵数概略取調報告スヘキ旨、其筋ヨリ注意ニ依リ、右実行方、十分行届候様、示達セラレ度候也
卅八年六月廿七日 村長 杉井学時
区長 殿
害虫駆除ニ関シ、郡吏・警察官後記日割ヲ以テ出張、視察相成ル筈ニ付、尚業者ニ於テハ充分実行候様、一般へ周知方被取斗度及通知候也
明治三十八年六月九日
湯津上村役場
殿
午前 片府田・新宿・蛭田・蛭畑・佐良土・品川
六月十日
午后 湯津上・狭原・小船渡
今回ノ駆除執行ニ付、捕虫セシ害虫ノ数報告スヘキ旨、其筋ヨリ申越サレ候ニ付、其大字内一同ノ捕獲セシ概数ヲ取調、至急報告相成度、此段伝達ニ及候也
明治卅八年六月十六日
湯津上村役場
各区長 殿
訓令第七九号ヲ以テ、被害稲茎抜取施行シ、后記要項ニ依リ、各作人ヲシテ、螟虫ノ蝕入セル稲茎ヲ、抜取ヲ令セラル、要項ニ基キ左記日割ノ施行スヘシ
明治卅八年九月十八日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
被害稲茎抜取施行要領
以上訓令第七九号要項中
左記抜取日割
九月廿一日 大字狭原・小船渡 同廿二日 湯津上
同 廿三日 佐良土 同廿五日 蛭畑
同 廿六日 蛭田 同廿七日 片府田・新宿
同 廿八日 品川
本年籾種子、左記日割ヲ以テ、塩水撰実行スル事ニ有之候間、其区内一般ヘ周知候様被取斗度 此段及御照会候也
但シ当日ハ、郡役所ヨリ視察トシテ、郡吏出張有之筈ニ付、比段申添候也
明治三十八年四月二十日
湯津上村 農会
区長
殿
農事指導員
来ル本月卅一日晴雨ニ不拘、栃木県農事試験場技師ヲ招聘シ、当署ニ於テ、害虫駆除予防方法ノ講話会相開キ候条、万障御差繰リ、当日午前十時迄ニ御出席相成様致シ度、及御案内候也
明治三十八年七月十四日
渡辺川西警察分署長
湯津上村区長
御中
農事指導員
害虫ノ農作物ヲ損フハ、猶伝染病ノ人畜ヲ襲フカ如シ、人若シ之ノ駆除予防ヲ怠ランカ、終ニ凶歉ヲ来タシ、幾千万ノ正貨ハ茲ニ海外ニ□出ス、豈ニ□セスシテ可ナランヤ、前年ハ深ク茲ニ鑑ムル所アリ、特ニ短冊形苗代ヲ普及セシメ、害虫発生初期ニ於テ駆除予防ヲ命シタリ、是レ則未然ニ其害毒ヲ防遏セシメタルニ外ナラス、然ルニ農家一般克ク此旨ヲ体シ、刻苦励精幸ニ豊穣ヲ告ケ、以テ今日アルヲ得タリ、惟フニ時局ノ発展ハ益々大ニシテ、之ニ伴フ施設ハ弥弥急ヲ要スルノ秋、事毎ニ農家ノ考慮ヲ要スヘキモノアリト雖、短冊苗代ノ如キ洵ニ耕作上最先ノ急務ナリトス、今ヤ□□ノ期ニ当リ、宜シク前年ノ実蹟ニ鑑ミ、其歩武ヲ弛フセス、之レカ整地ヲ行ヒ、害虫ノ駆除及雑草抜取リヲ厳ニシテ、以テ其目的ヲ達スルコトニ努ムヘシ
明治卅八年四月廿五日 栃木県知事 白仁武
右ノ通、告諭相成候ニ付テハ、能ク其旨趣ヲ体シ、短冊苗代ノ如キハ必ス形ノ如ク整備シ、雑草、抜キ取リ、害虫駆除予防法等、普ク行渡リ候様、一般ヘ即達セラルヘク、万一旧慣ニ泥ミ、短冊形苗代ノ制ニ反スル向キモ有之候而ハ、不都合ノ次第ニ付、其辺十分注意セラルヘシ
明治卅八年四月廿六日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
県令第二三号
稲苗代田又ハ、本田ニ発生シタル稗ハ、該苗代田若クハ本田ノ作人ニ於テ、毎年所轄郡市長ノ定ムル期間ニ、之ヲ抜キ取ルヘシ、違背シタル者ハ、拘留又ハ科料ニ処ス
明治卅八年四月廿八日 栃木県知事 白仁武
訓令第一八号ノ内
一本年四月県令第二三号田稗取締規則稗抜取ノ期間ハ、市町村ノ状況ニ依リ郡長之ヲ定メ、知事ニ報告スヘシ
一稗ノ抜取リハ、成ルヘク発生ノ初期ニ於テ、抜取ラシムルヲ要ス
一抜取リタル稗ニシテ、種実アルモノ及不用ノ種子ハ、水路又ハ其他ニ散セサル様注意シ、之ヲ焼却又ハ田畑以外ノ地ニ埋没セシムヘシ
右之通達相成候ニ付テハ、追テ其期日ヲ定メ、実行方訓令可相成候得共、前以テ心得置カレ候様、一般ヘ示達セラレ度候也
明治卅八年五月二日 湯津上村長杉井学時
各区長 殿
郡令第二号
本年四月県令第二十三号ヲ以テ、稲苗代田又ハ本田ニ発生シタル、稗抜取方ヲ令セラレタリ、就テハ、該苗代田若クハ本田ノ作人ハ、左ノ期間内ニ於テ、之レカ抜取ヲ実行スヘシ
明治卅八年五月五日 栃木県那須郡長 雨宮克
記
一苗代時期 五月十五日ヨリ 六月五日迄
一本田時期 八月十日ヨリ 九月十日迄
右ノ通、稗抜取リ時期ヲ定メラレ候ニ付テハ、一般へ触示シ、必抜取ラシメ、違反者無之様致度、且抜取方実行ニ付テハ、各大字ニ於テ協議ノ上日取ヲ定メ、着手セラルル等、便宜処置セラルヘク候也
明治卅八年五月十日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
稲作稗抜取及害虫駆除ニ関シ左ノ通実行スル事
一稗抜取ハ、本田ヘ移植迄ニ、必二回以上実行スヘシ、但其日取ハ各大字ニ於テ定ムルコト
二苗代害虫駆除ハ、本田ヘ移植迄毎日実行スヘシ
三稗抜取・害虫駆除ノ方法ハ、各大字内ヲ数区ニ別ケ、各坪組ニ監督者一名ツヽヲ撰ミ、其受持内ヲ普ク監督シ、必実行セシムル事
四監督者ヘハ、別ニ監督委任書ヲ交付スヘキニ付、其人名ハ至急役場ヘ報告ノ事
五稗抜取及害虫駆除ヲ為サヽルモノ、又ハ之ヲ怠リタルモノハ、其人名ヲ役場ヘ報告ノ事、役場ニ於テハ、説諭又ハ告発スヘキ事
六害虫駆除ヲ実行スルニ付、毎戸ニ捕虫網壱個以上ヲ必備置ク事、但此ノ網ハ、可成一手ニ買入レ、毎戸ニ配布スルヲ要ス
短冊形苗代ノ制ニ依ラサル者ハ、速ニ蹈切ルヘシ
右之通実行セラルヘシ
明治卅八年五月廿四日 村長 杉井学時
一捕虫網壱個ツヽ各大字へ配布ス
稲田害虫駆除、夜間ハ苗代毎ニ燈火誘殺シ、其蛾数及昼間捕虫網ニテ取リタル数、採卵数概略取調報告スヘキ旨、其筋ヨリ注意ニ依リ、右実行方、十分行届候様、示達セラレ度候也
卅八年六月廿七日 村長 杉井学時
区長 殿
一大字監督員ニモ示サレ度、且取締トシテ、警官其他時々出張可相成筈ニ候
害虫駆除ニ関シ、郡吏・警察官後記日割ヲ以テ出張、視察相成ル筈ニ付、尚業者ニ於テハ充分実行候様、一般へ周知方被取斗度及通知候也
明治三十八年六月九日
湯津上村役場
殿
午前 片府田・新宿・蛭田・蛭畑・佐良土・品川
六月十日
午后 湯津上・狭原・小船渡
今回ノ駆除執行ニ付、捕虫セシ害虫ノ数報告スヘキ旨、其筋ヨリ申越サレ候ニ付、其大字内一同ノ捕獲セシ概数ヲ取調、至急報告相成度、此段伝達ニ及候也
明治卅八年六月十六日
湯津上村役場
各区長 殿
訓令第七九号ヲ以テ、被害稲茎抜取施行シ、后記要項ニ依リ、各作人ヲシテ、螟虫ノ蝕入セル稲茎ヲ、抜取ヲ令セラル、要項ニ基キ左記日割ノ施行スヘシ
明治卅八年九月十八日 湯津上村長 杉井学時
各区長 殿
被害稲茎抜取施行要領
第一 町村毎ニ抜取施行ノ日割ヲ定メ、予テ当庁へ報告シ、各作人ヲシテ一致共同被害茎ヲ抜取ラシムヘシ、但各個ノ作付ニ応シ、供役人員ヲ定ムルヲ可トス
第二 村内ヲ便宜数個ニ区分シ、各部ニ督励員ヲ置キ、町村長指揮ノ下ニ、施行ノ督励ヲナス事
第三 抜取リタル被害茎ハ、督励員ヲシテ適当ノ集積場ヲ定メ之ヲ集積シ、其乱ヲ防キ、且害虫迯竄セシメサル様、相当ノ方法ヲ立ル事
第四 被害茎抜取ト同時ニ、稗ノ残留セルモノヲ抜取ラシメ、第三項ニ準シ措置ス
第五 施行成蹟ノ莞否ハ、精密ニ之ヲ勘査シ、不十分ナルヲ認ムルトキハ、更ニ期日ヲ定メ之ヲ施行セシムヘシ
第六 施行ヲ終リタルトキハ、各大字別ニ作付反別及、抜取タル被害茎ノ重量等ヲ記載セル、成蹟報告ヲ、当庁ヘ差出スヘシ
以上訓令第七九号要項中
左記抜取日割
九月廿一日 大字狭原・小船渡 同廿二日 湯津上
同 廿三日 佐良土 同廿五日 蛭畑
同 廿六日 蛭田 同廿七日 片府田・新宿
同 廿八日 品川
追テ、本月十六日区長集会ニ於テ協議ノ通、当日抜取世話督励員等ヘハ、各区長ヨリ通示シ、当日十分尽力セラレ候様致度、尚積置場所、秤等前以テ準備致置カレ度候
本年籾種子、左記日割ヲ以テ、塩水撰実行スル事ニ有之候間、其区内一般ヘ周知候様被取斗度 此段及御照会候也
但シ当日ハ、郡役所ヨリ視察トシテ、郡吏出張有之筈ニ付、比段申添候也
明治三十八年四月二十日
湯津上村 農会
区長
殿
農事指導員
来ル本月卅一日晴雨ニ不拘、栃木県農事試験場技師ヲ招聘シ、当署ニ於テ、害虫駆除予防方法ノ講話会相開キ候条、万障御差繰リ、当日午前十時迄ニ御出席相成様致シ度、及御案内候也
追テ当日ノ講話ハ、傍聴無料ニシテ、標本等ニ依リ小児ニモ解シ得ラルル様、説明セラルル筈ニ付、一般農業者ヲ可成多数御勧誘相成度申添候也
明治三十八年七月十四日
渡辺川西警察分署長
湯津上村区長
御中
農事指導員
以上のように、短冊形苗代の普及を中心として、害虫駆除や田稗抜取りなどに至るまで、徹底した指導がなされた。特記さるべきは、警察が農業指導にも一役かっていることで、最後の例は、農事講話会についての、川西警察分署長からの案内状で時代の変遷を思わせるものがある。
また学童を動員しての苗代害虫駆除は、何時頃から始められたものかはっきりしないが、昭和十年ごろまでは小学校の春の行事の一つとして行われていた。