耐乏生活

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国を挙げて戦時体制への移行は益々強化されたが、物資の不足は次第に甚しくなり、昭和十五年六月には、砂糖とマッチが切符制となった。砂糖は一人一カ月半斤(やがて無配)マッチは一日五本と決められた。四月には主食が配給統制となり、米は大人一日二合三勺(十九年から二合一勺となる。農家保有米は平均四合)と決められた。魚肉野菜類をはじめ菓子類・調味料・油脂・衣料品など、あらゆるものが店頭から姿を消し、生活必需品のほとんどは、酒・煙草を含めて切符制か通帳による配給制がとられるようになった。学生服・運動靴・学用品なども、一クラス数名に抽籤で配給された。
 このような物資の不足は代用品をうみ、また自給自足の生活に創意がこらされた。甘藷や、とうもろこしの幹の搾り汁が甘味料の代用になった。さとうきびや棉の栽培も見られるようになった。ガソリンの不足によって木炭バスが登場した。