金属回収

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昭和十六年には、軍需生産の原料として金属類の国家への供出が定められ、貴金属をはじめすべての金属が回収の対象となり、戦争末期にはなべ・かまなどの日用品にまで及んだ。
 法輪寺の梵鐘も回収の対象となって去った。箒橋は、昭和六年に完成したこの村でただ一つの近代的永久橋であるが、ここに使用されている鉄材も回収の対象となり、解体のため仮橋の構築にとりかかった段階で終戦を迎え、その後暫らくの間、欄干が取り外されたままの危険な状態に放置されていた。