第一節 湯津上村

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 湯津上・佐良土・蛭田・蛭畑・新宿・片府田・狭原・小船渡の八大字及び品川・中の原がある。
 和名抄に載っている石上(いわかみ)郷は、大字湯津上を中心としたものである。延喜式(醍醐天皇の延喜七年(九〇七)藤原時平等撰す)に京都より下る奥州街道(一名関街道)の宿場の順序を載せてあるが、それによると、塩谷郡の新田(にいた)(旧熟田(にいた)村松山)・石上(いわかみ)(湯津上)・黒川(伊王野地方)をへて奥州の雄野(福島県古関村旗宿)となっている。
 又別に、黒川(芦野)と大野(伊王野)の説もある。石上(いわつかみ)は石神(いわかみ)の意味で、岩石の神々しい所に名づけるとしている。湯津上は「五百箇磐上(いおついわかみ)」がちぢまったのである。即ち五百箇(いおつ)(数多い意味)がつまって「ゆつ」となり「磐上(いわかみ)」の「いわ」が省かれて「かみ」が残り「ゆつかみ」となったのであると言われる。
 石上郷及びこの周辺の村は、箒川をへだてて小川町梅曽に那須官衙(かんが)があり、また東山道の宿駅として人文が発展したであろうことは、那珂川・箒川沿岸のおびただしい古墳群、笠石周辺の住居遺跡の状況等に徴しても明かなことである。
 湯津上に残る古文書に「湯津上村」と「柚上(ゆずかみ)村」「柚子上(ゆずかみ)村」との混用がたいへん多いところをみると、「ゆずかみむら」と濁って発音していたものと思われる。