馬頭町小口梅平の、大金久左衛門重貞が著した『那須記』に洩れている、当地方の歴史を書こうとして『那須拾遺記』十六巻を著し、享保十八年(一七三三)冬上梓(じょうし)した。
年老いて別邸を岩船台に建て、臨川亭と名づけて住んだ。享保十七年(一七三二)自ら法名を撰んで、浄慧覚湛と言い、石塔を刻んで墓に建てた。
嗣子長治郎もまた武元と称し、算数の学に長じ門人に教授した。安永五年(一七七六)正月吉辰日付の、算術免許状一巻を門弟伊王野鮎ケ瀬富蔵に授けた。(『那須郡誌』)
那須拾遺記について、その内容の目録を載せることとする。
那須拾遺記自序
延宝年中に梅ケ平大金重貞老、那須記十六巻を撰す、其の功莫大なり、然りといえども、金丸八幡並に泣地蔵・雲岸寺等を漏せり、此の八幡宮は那須の大社にて、殊に与一宗隆、屋嶋にて扇子の的を射給いし時の立願にて、四国土佐の材木を下して造営せり、扨又泣地蔵は古今奇代の霊像にて、利益広大の菩薩なり。又雲岸寺は日本四道場の随一にて、昔は数十宇の寺院堂塔あって、寺領も二万余石、衆徒も一千余人住して、並びなき大伽藍にてありけるを、関白秀吉公の兵火に懸りて回録に及び、今はわずかなる寺院なり。是等の那須記に載らざることを、予歎く事久し、冊子に記せんことを思い共、伝え聞く八幡縁起は、昔佐竹と那須と雌雄を争いて、数ケ度合戦に及ぶや、或時佐竹の軍士、内陣へ乱入、縁起並びに額を外して奪いりと、故にわずかに見聞する所を記せんと欲すれば、愚老本より文学につたなく、譬えば井中の蝦蟆(がま)の、狭き思慮の如き管見短智を以て、諸人の笑を招かん事必せり。扨て又与一扇子の的を射たる事は、諸書に載るといえども、彼の美名の朽ちんことを惜みて、又ここにも記す。
是等を初めとして数ケ条を贅(ぜい)し、分ちて十六巻とし、号して那須拾遺記と云う。後代に残し置き児女の翫(すさ)びとするものなり。博智の門哲是を正さば幸ならん。
享保十八癸丑冬至 野州那須郡湯津上村
臨川亭 木曽長次郎武元述
那須拾遺記巻首総目録
巻之一目録
一、国の始りの事 二、下毛という国名の因縁付名所の事 三、那須という郡号の因縁の事 四、金丸八幡の由来の事 五、那須の与一射芸を習う事 六、為隆宗隆兄弟源氏へ属する事
巻之二目録
一、宗隆扇子の的を射る事 二、那須中所々諏訪大明神縁起の事 三、金丸八幡宮造営の事 四、温泉大明神勧請の事
巻之三目録
一、沼の井八竜神の由来の事 二、宗隆卒去付御霊の宮の事 三、田中泣地蔵菩薩霊験の事 四、円応寺開基の事
巻之四目録
一、放家僧敵討の事 二、綾織が池の事付絹綾木綿等初の事 三、光厳寺烏盞梅月の事 四、大閤秀吉公北条攻付八ケ国の諸大名開退の事 五、足利茂氏強弓の事
巻之五目録
一、雲岩寺兵火の事付同寺開基の事 二、秀吉公那須野迄出陣の事付藤翁丸出世の事 三、堺八騎の勇士断絶の事付玄蕃勇力の事
巻之六目録
一、那須資晴大阪登城の事 二、堺忠次大阪にて狼藉者を討つ事付越後下りの事 三、清雲の弟子と成る事付島野勘兵衛を討つ事
四、新発田へ使者に行く事付那須へ帰参の事 五、清雲忠次を慕う事付那須資景久瘧霊剣にて治する事
巻之七目録
一、清雲湯津上村に居住する事 二、同仙術幻法を行う事付唐の左慈が事 三、菅原宗頼江戸にて狼藉者を討つ事 四、於殿中柳生但馬守と戸田越後仕合の事 五、神谷蔵主と真利谷忠次仕合の事
六、但馬守より忠次方へ書通の事
巻之八目録
一、成田左馬佐断絶の事 二、同分限帳の事 三、清雲卒去付信広白川下りの事 四、小川甚五左衛門討たるる事
巻之九目録
一、貴人対面の法奇特の事付日光山由来の事
巻之十目録
一、黒羽西磯敵討の事付長寿王の事 二、真利谷信広卒去の事
三、霊剣にて狐離るる事付黒赤守札奇特の事 四、湯殿山権現御崇霊剣の事付霊剣権輿の事 五、福原定増と大島広宅仕合を止むる事付福原資豊と広宅仕合の事
巻之十一目録
一、那須家跡式争論の事 二、大島広宅山居の事 三、景弥病死付守牒青蛇と化する事 四、福原清也と鈴木峯之助仕合の事 五、福原定増江戸にて仕合の事 六、別伝流は他に異る事 七、鈴木正武古法心陰に帰依する事
巻之十二目録
一、湯津上村古廟石碑の事 二、同碑銘論の事 三、同水戸中納言殿御堂建立の事 四、侍塚を啓発有って誌石を尋ね給う事 五、石碑の近所に岩窟多く有る事 六、中川の崖より大太刀出る事 世界一元の事
巻之十三目録
一、河田氏母に孝道付那須女人西国の事 二、河田新六湊祝町にて仕合の事 三、那須山吉六天稲荷の事 四、一丈軒と玄隆仕合の事 五、南部茶屋の因縁並大金森重狂歌の事付露計歌にて死罪を免るる事 六、烏山室井兄弟報仇の事付仙台にて女子父の敵討の事
巻之十四目録
一、秋の夜天体問答の事 二、鈴木正武朝鮮国の三使と詩問答の事 三、大島見性死去の事 四、鈴木正武病死の事 五、唐土に鳳凰出現の事付中華輿地の事 六、牛居淵水牛の事付川童の事
巻之十五目録
一、那須中名所旧跡の事 二、同神社の事 三、同仏閣の事 四、同三十三ケ所順礼の事 五、那須中古城古館の跡の事 六烏山八景の事 七、松野松林寺九景の事 八、岩船臨川亭八景の事 九、那須中土産物の事
跋 総目録終
延宝年中に梅ケ平大金重貞老、那須記十六巻を撰す、其の功莫大なり、然りといえども、金丸八幡並に泣地蔵・雲岸寺等を漏せり、此の八幡宮は那須の大社にて、殊に与一宗隆、屋嶋にて扇子の的を射給いし時の立願にて、四国土佐の材木を下して造営せり、扨又泣地蔵は古今奇代の霊像にて、利益広大の菩薩なり。又雲岸寺は日本四道場の随一にて、昔は数十宇の寺院堂塔あって、寺領も二万余石、衆徒も一千余人住して、並びなき大伽藍にてありけるを、関白秀吉公の兵火に懸りて回録に及び、今はわずかなる寺院なり。是等の那須記に載らざることを、予歎く事久し、冊子に記せんことを思い共、伝え聞く八幡縁起は、昔佐竹と那須と雌雄を争いて、数ケ度合戦に及ぶや、或時佐竹の軍士、内陣へ乱入、縁起並びに額を外して奪いりと、故にわずかに見聞する所を記せんと欲すれば、愚老本より文学につたなく、譬えば井中の蝦蟆(がま)の、狭き思慮の如き管見短智を以て、諸人の笑を招かん事必せり。扨て又与一扇子の的を射たる事は、諸書に載るといえども、彼の美名の朽ちんことを惜みて、又ここにも記す。
是等を初めとして数ケ条を贅(ぜい)し、分ちて十六巻とし、号して那須拾遺記と云う。後代に残し置き児女の翫(すさ)びとするものなり。博智の門哲是を正さば幸ならん。
享保十八癸丑冬至 野州那須郡湯津上村
臨川亭 木曽長次郎武元述
那須拾遺記巻首総目録
巻之一目録
一、国の始りの事 二、下毛という国名の因縁付名所の事 三、那須という郡号の因縁の事 四、金丸八幡の由来の事 五、那須の与一射芸を習う事 六、為隆宗隆兄弟源氏へ属する事
巻之二目録
一、宗隆扇子の的を射る事 二、那須中所々諏訪大明神縁起の事 三、金丸八幡宮造営の事 四、温泉大明神勧請の事
巻之三目録
一、沼の井八竜神の由来の事 二、宗隆卒去付御霊の宮の事 三、田中泣地蔵菩薩霊験の事 四、円応寺開基の事
巻之四目録
一、放家僧敵討の事 二、綾織が池の事付絹綾木綿等初の事 三、光厳寺烏盞梅月の事 四、大閤秀吉公北条攻付八ケ国の諸大名開退の事 五、足利茂氏強弓の事
巻之五目録
一、雲岩寺兵火の事付同寺開基の事 二、秀吉公那須野迄出陣の事付藤翁丸出世の事 三、堺八騎の勇士断絶の事付玄蕃勇力の事
巻之六目録
一、那須資晴大阪登城の事 二、堺忠次大阪にて狼藉者を討つ事付越後下りの事 三、清雲の弟子と成る事付島野勘兵衛を討つ事
四、新発田へ使者に行く事付那須へ帰参の事 五、清雲忠次を慕う事付那須資景久瘧霊剣にて治する事
巻之七目録
一、清雲湯津上村に居住する事 二、同仙術幻法を行う事付唐の左慈が事 三、菅原宗頼江戸にて狼藉者を討つ事 四、於殿中柳生但馬守と戸田越後仕合の事 五、神谷蔵主と真利谷忠次仕合の事
六、但馬守より忠次方へ書通の事
巻之八目録
一、成田左馬佐断絶の事 二、同分限帳の事 三、清雲卒去付信広白川下りの事 四、小川甚五左衛門討たるる事
巻之九目録
一、貴人対面の法奇特の事付日光山由来の事
巻之十目録
一、黒羽西磯敵討の事付長寿王の事 二、真利谷信広卒去の事
三、霊剣にて狐離るる事付黒赤守札奇特の事 四、湯殿山権現御崇霊剣の事付霊剣権輿の事 五、福原定増と大島広宅仕合を止むる事付福原資豊と広宅仕合の事
巻之十一目録
一、那須家跡式争論の事 二、大島広宅山居の事 三、景弥病死付守牒青蛇と化する事 四、福原清也と鈴木峯之助仕合の事 五、福原定増江戸にて仕合の事 六、別伝流は他に異る事 七、鈴木正武古法心陰に帰依する事
巻之十二目録
一、湯津上村古廟石碑の事 二、同碑銘論の事 三、同水戸中納言殿御堂建立の事 四、侍塚を啓発有って誌石を尋ね給う事 五、石碑の近所に岩窟多く有る事 六、中川の崖より大太刀出る事 世界一元の事
巻之十三目録
一、河田氏母に孝道付那須女人西国の事 二、河田新六湊祝町にて仕合の事 三、那須山吉六天稲荷の事 四、一丈軒と玄隆仕合の事 五、南部茶屋の因縁並大金森重狂歌の事付露計歌にて死罪を免るる事 六、烏山室井兄弟報仇の事付仙台にて女子父の敵討の事
巻之十四目録
一、秋の夜天体問答の事 二、鈴木正武朝鮮国の三使と詩問答の事 三、大島見性死去の事 四、鈴木正武病死の事 五、唐土に鳳凰出現の事付中華輿地の事 六、牛居淵水牛の事付川童の事
巻之十五目録
一、那須中名所旧跡の事 二、同神社の事 三、同仏閣の事 四、同三十三ケ所順礼の事 五、那須中古城古館の跡の事 六烏山八景の事 七、松野松林寺九景の事 八、岩船臨川亭八景の事 九、那須中土産物の事
跋 総目録終
(針生宗伯編著『那須拾遺記』より)