5 佐良土宮内少輔(さらどくないしょうゆう)

427 ~ 427
 資晴の父那須資胤の家臣、佐良土に住した。当然資晴の家臣でもある。佐良土城の近く、字城外にあった屋敷跡が宮内少輔の館跡といわれる。
 永禄十年(一五六七)資胤が梅平の大金備後守重宣を攻める時の、広瀬繩釣城(出城)の戦いなどに名前がでてくる。大金軍側の笹沼因幡(いなば)と姻戚関係にあったと、那須記に載っている。資晴が大阪の秀吉に挨拶に行った時、従者としてついて行った足軽、佐良土久助という者は、宮内のゆかりの者であろうか。