6 大金豊後守

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 鷹ノ巣城の主で、梅平の大金備後守重宣の弟である。はじめ那須家の敵方、常陸の佐竹方についていたが、論功行賞の不満から、資胤方に来り、資胤より亀山の石塚と、湯津上の地を賜わり、鷹ノ巣に館を構えた。
 永禄九年八月、治武内山で、那須勢と佐竹勢との戦いに奮戦して討死した。地元に次のような文書がある。
一、大金長門守殿高野巣落城ニ付奥方若殿壱人有之候テ佐竹殿ニ遣わし候
一、家中年寄妻子内談の上民家ニ下ル
郷の内屋敷立、堀を廻しそこを堀之内と名付ケ候
  高野巣本の武士十八人
   堀之内        物頭 西之根 江崎近江
家老  〃 佐藤佐渡    〃  大塚  関谷因幡
〃   〃 長山長門    〃  西之根 斎藤石見
〃   〃 木村越後 六人 〃  根本  星丹後
出頭  〃 植竹民部 討死 請人 西之根 大野杢助
社家  〃 深沢外記    〃  兵庫内 本口治郎
請人目付〃 斎藤泉     〃  田中  神長泉
 〃 大河内武熊隼人    〃  中根  磯数馬
   中根 浅井馬之助   出頭 寺知恵
   荒屋 藤荷五郎左衛門 目付     木下因幡

(永山正樹家文書)