目次
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第三編 文化
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第二章 人物・史跡・文化財
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第三節 文化財
3 秀衡街道跡
434 ~ 434
平安の末期、平泉の藤原全盛期、中央京都との交通が盛んであった頃の通路であったろう。(金丸に秀衡窪、秀衡山の地名あり)現在水田となり道路の形に低く平らかで、下蛭田にその面影をとどめている。