3 秀衡街道跡

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 平安の末期、平泉の藤原全盛期、中央京都との交通が盛んであった頃の通路であったろう。(金丸に秀衡窪、秀衡山の地名あり)現在水田となり道路の形に低く平らかで、下蛭田にその面影をとどめている。