諏訪神社(佐良土) 旧村社

446 ~ 446
○主祭神  健御名方命
○例祭   七月二十八日(例祭)
○由緒沿革 神社の起源でも述べたが、源平の戦いにおいて、平家に属した那須太郎光隆以下九人の兄弟と源義経の命に従わなかった十郎為隆は信州にのがれ、当地の諏訪大明神に帰国の願をかけたところ、その大願が成就し、帰国がかなった。そのため、兄弟は諏訪大明神の御加護を崇敬し、文治三年、太郎光隆は森田に、四郎久隆は片府田に、五郎之隆は佐良土に、六郎実隆は滝田に、十郎為隆は苅田村に信濃国諏訪神社を勧請したといわれる。

本社は那須家代々の崇敬の社であり、特に佐良土城主那須資晴にいたって、その崇敬はいよいよさかんになり、祭祀料として毎年籾五〇俵を奉納した。その後、佐良土城は廃城となり、その子資景が福原に住むとともに、祭祀は氏子に帰したと伝えられている。

なお、本社には石製の棟札があるが、次のとおりである。文治三年未六月 那須九人依大願仁 諏訪大明神当所奉勧請 境内三町余 社領二百御寄附 那須家安全之棟札等度々焼失仁付 文治四年石之棟札石面仁祀置者也

              神主郡司忠重
       (裏面)
光隆 泰隆 〓隆 久隆 之隆 実隆 満隆 義隆 朝隆

これについて那須郡誌は、兄弟九人願主となって勧請したようになっているが、信すべきではないと述べている。

      (『栃木県神社誌』、『下野神社沿革誌』『那須郡誌』)

諏訪神社(佐良土)