○例祭 四月十六日、二月二十日、一月十一日
○由緒沿革 貞和四年九月、福原城主那須五郎が勧請し、往時は那須家で社殿を修理したという。しかし、那須郡誌では、次のように記している。この五郎は那須肥前守資村が次子資勝であろう。資勝は沢村氏を継ぎ沢村五郎と称した。那須系図説をみると資藤(文和四年、東寺の戦に討死)は「始沢村資保(五郎資勝後に資保と改む)の養子に約あり、兄資旨早世故に家督す」とあって年代があっている。すなわち福原城主ではなく、沢村城主とすべきであるとしている。
(栃木県神社誌、那須郡誌)
小船渡二荒神社