縁日は、毎年八月二十七日の夜である。下蛭田を六組にわけてお祭りの当番をする。以前は縁日の夜、若い男女の踊りで賑わったが、近年踊りはなくなり、安産を祈願する参詣者で賑やかである。各戸では「だんご」をこしらえて祝う。
当夜近所の婦女たちがお堂に集まり、念仏を唱和奉納する。
八聖山不動尊念仏
帰命頂来(きみょうちょうらい)お不動そん お不動そんの父上は
てんひら大師と申します 母上様のおん名をば
あくしち夫人と申します 父の魂かりうけて
三年三月でもようして 三年三月で宿られて
六年六月で誕生し ささやの上にとあま下る
おんよういかにと拝すれば 額(ひたい)にしかいの波をよせ
口には金歯をふくまれて 右のおん手に剣をもち
左のおん手にぎゃくなわを 足には磐石(ばんじゃく)ふみしめて
上から災難くる時は たいけんもちて取り払い
横から災難くる時は ぎゃくなわもちてからめとり
下から災難くる時は 大磐石でふみしめる
悪魔よけとてごまをたく ごま壇はるかに拝すれば
四方のすみにはしめを張り ごまたくおとの有難や
不動の火炎(かえん)であくま除け なむ大師不動そん
なむ大師不動そん
帰命頂来(きみょうちょうらい)お不動そん お不動そんの父上は
てんひら大師と申します 母上様のおん名をば
あくしち夫人と申します 父の魂かりうけて
三年三月でもようして 三年三月で宿られて
六年六月で誕生し ささやの上にとあま下る
おんよういかにと拝すれば 額(ひたい)にしかいの波をよせ
口には金歯をふくまれて 右のおん手に剣をもち
左のおん手にぎゃくなわを 足には磐石(ばんじゃく)ふみしめて
上から災難くる時は たいけんもちて取り払い
横から災難くる時は ぎゃくなわもちてからめとり
下から災難くる時は 大磐石でふみしめる
悪魔よけとてごまをたく ごま壇はるかに拝すれば
四方のすみにはしめを張り ごまたくおとの有難や
不動の火炎(かえん)であくま除け なむ大師不動そん
なむ大師不動そん
大田原市滝沢に伝わる不動尊念仏の文句は大体は同じであるが、どちらも口伝え、書きうつしであるため言葉や語句の相違が見られる。大田原市成田山住職高野照汪師集録の不動尊念仏は次の文句である。
不動明王
お不動様の御利生は 無力の我等を憐れみて
父と母との御恵み 御顔は忿怒(ふんぬ)の御相(みそう)とて
父の大悲の厳しさを からだは丸くやわらかき
母の大悲を現(あらわ)して 抱きよせては頬ずりの
涙を流す御姿 右手の剣は一切の
煩悩断ち切る智恵の剣 智恵は我等を救うなり
背に負う火焔も燃え盛る 大智の炎の現れぞ
左に下げし御繩は 心の我まましばる繩
左にたれし御髪は 我等がすがるみ手の糸
頭の上の蓮花座は 人を上座にすえるため
右の御眼はみ仏を 賛えまつると上をみる
左の御眼は我等をば 哀れみ救うと下をみる
黒き体は尊くも 我等をみとる御為に
下僕の相となり下り 坐り給える石の座は
苦労にたゆる姿なり 強いみ仏不動尊
怨敵退散繁栄は 他に勝ち自に勝ち勝たざらば
我等に楽土はないと説く 祈りまつらん御真言
のうまくさまんだ、ばさらだん、せんだ、まかろしやだ、そわたや うんたらたかんまん
お不動様の御利生は 無力の我等を憐れみて
父と母との御恵み 御顔は忿怒(ふんぬ)の御相(みそう)とて
父の大悲の厳しさを からだは丸くやわらかき
母の大悲を現(あらわ)して 抱きよせては頬ずりの
涙を流す御姿 右手の剣は一切の
煩悩断ち切る智恵の剣 智恵は我等を救うなり
背に負う火焔も燃え盛る 大智の炎の現れぞ
左に下げし御繩は 心の我まましばる繩
左にたれし御髪は 我等がすがるみ手の糸
頭の上の蓮花座は 人を上座にすえるため
右の御眼はみ仏を 賛えまつると上をみる
左の御眼は我等をば 哀れみ救うと下をみる
黒き体は尊くも 我等をみとる御為に
下僕の相となり下り 坐り給える石の座は
苦労にたゆる姿なり 強いみ仏不動尊
怨敵退散繁栄は 他に勝ち自に勝ち勝たざらば
我等に楽土はないと説く 祈りまつらん御真言
のうまくさまんだ、ばさらだん、せんだ、まかろしやだ、そわたや うんたらたかんまん
八聖山不動尊