文治三年(一一八七)那須与一の建立とも伝えるが、桑嶋陸田師の説によれば、承安二年(一一七二)七月福原城主那須資隆が居城の鎮護仏として、那須家に伝わる秘仏をこの地に安置して祀ったともいう。三百年後お堂が焼失したので天正五年(一五七七)烏山城主那須修理太夫資胤(資晴の父)が、七間四方のお堂を新築し、近郷一千人の生爪を剪り集め、これを本尊如来の胎内に蔵して、領内泰平、領民息災延命の祈願をした。その後再び失火があり、現在の堂宇は宝暦(一七五一)年間に建築したものであるといわれる。昭和六年一月御仏体紛失し居ることが判り字民諸所を尋ねた処、小川町浄法寺大森某が拾得しあり無事戻り同年一月十三日再び安置された。
岡薬師本尊
岡薬師堂