湯津上村には、原始時代の土石器類などの出土品や、上下侍塚をはじめとする諸々の古墳群および国宝に指定されている那須国造碑など、この村の古い歴史と長い伝統を物語る貴重な資料が数多く現存している。こうした風土の中にある村であるため、民俗伝承についても、古い事象がそのまま温存されてきている例を、かなりみることができる。特に神仏習合の名残りをとどめる光丸山の祭りや、那須国造碑を祀る笠石神社の笠石の由来と虫切りなどは、民俗信仰の上からも重要な資料と言えるであろう。また旧暦七月十四日(現在は月遅れ盆の八月十四日となる)の夜、佐良土地内で行われている大捻繩引き(だいもじき)は、栃木県の文化の中に海洋文化が流れていることを物語る興味ふかい行事である。
衣食住は人間生活の三要素といわれるもので、庶民の生活誌調査の上で重要な調査の項目となっている。
一昔前の庶民の服装・食生活・住居は今に比べると著しく粗末であった。食制一つを例にとってみても、現在はあたりまえの食事とされている米飯が、明治・大正のころは稗や麦を入れたいわゆる揉飯(かてめし)に対して「コメノメシ」「ギンメシ」と呼ばれ、日常の食事においてはほとんど口にすることはなかった。現在は食生活が向上してきて、一汁一菜などと言う言葉も忘れ去られようとしているが、かつての本村の食事はこの言葉で代表されていたものである。服飾生活は、現代の洋装主流に対しかつては和装が主で、自給自足の衣料がかなり用いられていた。住居は萱葺き屋根にイロリのある民家で、間取りは広間型が多かったようである。
以下、本村の民俗について各種の調査を参考として、簡単に記述をすすめていくことにするが、これらの中には、現在は全く廃れて過去の語り草となってしまったもの、家により、またはある地域によっては現在も尚行われているもの、形を変えたり、またはその一部が今におもかげをとどめているもの、ほとんどが昔のままと思える姿で残っているものなど、その実態は多様である。しかし一般には次第に簡略化され、忘れ去られようとしている現在、これらの調査と記録、資料の保存は重要なことで、近く完成する歴史民俗資料館の建設は、まことに時宜を得たものと言うことができよう。