坪(つぼ)と講中(こうちゅう)

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坪とは江戸時代の五人組の名残りであり、約一〇戸ぐらいずつで構成されている地縁的相互扶助集団の単位である。本村において坪は組と重複し、蛭田を除く全域では普通組と呼ぶ場合が多いようである。しかし、戦時中に一〇軒前後で適当に分割してつくられた十戸組とか、戦後行政上の便宜をはかるために設けられた組とは異なるものである。また坪内の家々を組内(くみない)と呼び、組内の家同志は冠婚葬祭すべてに協力し、特に葬式には喪家の者の手をわずらわせず、組内の者が全般の執行をするという重要な役割を担っている。この組内の義理を欠くような家は、冠婚葬祭等に手伝いを一切断わられたり組内をはずされるといったこともある。
 自分の組を含めた隣接組を講中と呼び、組内だけで手にあまる場合はこの講中が手助けのため参加する仕組みになっている。
 前述のとおり、坪という名称は蛭田地区で集中的に使われている。蛭田地区は行政上の区分で上・中・下に三分割され、それぞれいくつかずつの坪からなっている。なかでも人口が集中する下蛭田は、行政上さらに一・二・三組と分割され、二、三組はそれぞれ二つずつの坪で構成され、一組だけは表(おもて)坪という一つの坪が道の上と下の二班に分かれ、冠婚葬祭の協力も道の上と下では別々に行なっている。また下蛭田全坪では、葬式の棺かつぎである陸尺(ろくしゃく)を順回わしに行なっているが、比較的新しい坪である二組の富士山(ふじやま)坪だけは例外である。
 ○上蛭田
   西(にし)坪 九軒
   東(ひがし)坪 一二軒
   入(いり)坪 一〇軒
   表(おもて)坪 一〇軒
 ○中蛭田
   橋場(はしば)坪 一二軒
   若葉(わかば)坪 一八軒
 ○下蛭田
         一班(道の上)  一二軒
   一組―表坪
         二班(道の下)  一一軒
     /荒地坪 八軒
   二組
     \富士山坪 一二軒
     /四つ谷坪 一三軒
   三組
     \星の宮坪 一一軒