天祭とは天念仏が改名されたものであり、二百十日より前に天気の良い日を選んで行う、日天・月天など十二天を祀った厄除け、天災除けの祭りである。またこの行事は男がすべてをとり行なう女人禁制の祭りであり、参加する者は塩物を断ち、砂糖を菜としたという。
大字湯津上では、昔この祭が盛んに行なわれていたが、十五年ほど前から姿を消している。片府田では天祭がもとで寺が焼失して以来中止されたという。
かつて、大字湯津上では地区を三分して寺(威徳院)で二年、神社(笠石神社)で一年と、交代で当番をつとめた。そして境内地に高さ九間のヤグラを組み、天棚・中棚を設け、天棚には行者、中棚には囃方(はやしかた)が乗って、三日三晩バカバヤシを打ち鳴らした。
煮炊きに使用する火は太陽の光からとったもので、祭りが終るまで火を絶やさぬよう気を配った。
行者には、部落内の若者が五人指名され、体を清め線香水を飲んで行者の資格を得、以後三日間その役がとかれるまでしめ繩の外には出られない。二人の大行様(おうぎょうさま)が行者を監視した。
一日目(ぶっつけ)
神主、僧侶が参拝したあと、一番どりが鳴く前に行者は水垢離をしてヤグラの天棚に上る。
二日目(なかび)
投げ餅を行い、赤飯をたいて祝う。
三日目(ぶっきり)
神主・僧侶が先導となり、幣束・梵(ぼん)でんを持ち、太鼓をたたきながら富士権現まで送り、最後を告げる。祭りがすべて終了するとどじょう汁を食べて精進あげをした。