出産は主に婚家で行なわれ、納戸(なんど)もしくは自分の部屋を使用するが、昭和の初期ごろまでは納戸出産が一般的であった。この場合は納戸の畳をあげ、床板の上に藁を敷き、その上にうすい布団を敷いて、直径が四・五糎の藁束を二一把用意し、それに寄りかかり坐産で子を産んだ。藁束の二一という数はおびやあき祝いまでの日数を示し、これを一日一把ずつ取り除いてゆくのが慣習であった。この出産時に、蓑を逆さまにして縁側の柱に縛り付け、安産のまじないとする家もあった。出産の手助けは、隣近所の子供をとりあげることが上手なおばさんがその役割を果たし、特にトリアゲバアサンと呼ばれる人もいた。後産(あとざん)は納戸の下などの縁の下に埋めたり、墓に小さな穴を掘って埋めたりした。また。「子供が発熱したときは、とっておいたヘソの緒を飲ませるとよい」との俗信があり、よく干して保存しておく家が多かった。