仏葬式(出棺から野辺送りまで)

512 ~ 514
村内の大部分が仏葬式である。本村では葬式をジャンボ・ジャーボ・ジャンボンなどという。葬式は、普通死去の翌日か翌々日に行われるが、友引(ともびき)や寅の日・申の日に行うことは忌み避ける。また役付中に大松明(おおたいまつ)が見られるとおり、以前は夜行なったのである。葬式はすべて組内の人達の助けで進行するが、なかでも棺をかつぐ人を陸尺・墓穴を掘る人を床立てと呼ぶ。これらは縁の下の力持ち的存在であるが、土葬を伝統とする当地域ではなくてはならない重要な役である。葬式の中心をなす僧侶の回向、親族知友等の焼香が終了すると、棺は玄関を避けて縁側から下庭におろされる。続いて帳場の者が役付けを読み上げ、血筋の濃薄に順じて葬列が整うと出棺となる。役付は普通棺に近いほど血縁も近い。出棺直後にメカイカゴをころがし、遺体が置かれていた座敷をきよめる風習がある。
仏葬式葬列役付(順序に多少の地区差あり)
導師御案内組内の者
大松明故人の子・孫など
小松明右に同じ
高張
竜頭
花籠
六地蔵
弔旗親族が持つが、親族の多少や葬儀の規模によって省略変化する。
造花
十三仏(十三仏と六地蔵は、女達の念仏の後、つまり葬式終了後に墓へ持っていく場合が多い)
盛物
四花
生花
手燭
六合
香炉
金剛杖故人の子・孫など
近親者
洒水(しゃすい)相続人の妻またはそれに準ずる血筋の女
霊膳故人の妻または相続人の妻
遺影歴史が浅く、相続人の弟などが持つようである
位牌施主(相続人)
縁の綱親族その他
陸尺組内の者
棺添右に同じ
天蓋故人の兄弟
墓標組内の者

 以上の役付のほかに、狭原地区では馬の口という役付けがあった。馬の口とは、人に見られないようにして葬列に先だって墓地へ行き、墓穴のまわりを左まりに三回まわって帰ってくるという役目で、これは悪魔がいるかいないかを改めに行くのだそうである。またこのときさらしの布でつくった袋に米を一升入れて携帯するが、この米は持ち帰ってとっておき、三十五日の供養日におはぎをつくるのに用いた。このおはぎを、仏様が三十五日目に剣の山へ登る時すべることがないようにと、生前愛用していた草履などの裏にベッタリと塗り付けたという。
 野辺送りの行列に先だって、鳴り物と称し、組内の者が鐘と太鼓を墓に着くまで打ち鳴らし続ける。葬列の通り道は家によって昔からきまっているが、神社前の通行は避けている。墓地には四門(しもん)(四門遊観(しもんゆうかん)を象徴したもので県南部の青竹を割ってつくられるシモンとは異なる)がつくられており、その門をくぐりながら右まわりに三回まわり、四門の中に遺体を一時的に西向きに安置する。この時僧侶によって引導が渡される。引導が渡されると、床立てによってあらかじめ掘ってある墓穴まで棺が運ばれ、参列者と床立てによって埋葬される。埋葬後の盛り上った土を土まんじゅうといい節ぬき竹が挿入された。墓標にはひの木や杉を用いるが、枯れ木は嫌った。そのほかにはクワガラと呼ばれる刃を抜いた鍬が立て置かれる。

四門

 埋葬が終わると参列者は喪家や各自の家へ引き帰すが、家内に入る前には必ず塩で手をきよめ、穢れを落とす。その後組内講中の供養念仏で葬儀は終了する。