餅(もち)つき

516 ~ 516
正月用の餅つきは、二日餅はよい餅で三日餅はいけないとの俗信があり、十二月二十八日に行なう家が多い。
 餅は、お供えやフクデモチ、のしもちにしたり、そのほか豆もち・海苔もちなど合せると、普通の農家では約一俵ぐらいついたものである。この際、臼(うす)の下に藁を敷いて餅つきをするが、これは臼の動きをおさえたり、こね取りをしやすいようにするためのものである。フクデ餅は、神棚や仏壇・蔵・納屋等に供える。
 また、正月餅をつかない家例の家がある。上蛭田地区では、多部田家、平山家の二軒だけが正月用の餅として一臼だけつくことができ、その他の全戸では正月餅をつくと火事になるといわれ、旧暦の一月十四日まで餅つきをしない。小船渡地区の大部分の家々も正月餅をつかない。言伝えによると、小船渡部落の祖先は平家の落人であり、はじめのうちは川むこうの御亭山(こてやさん)に隠れ住んでいたが、やがて山を下りて現在の地に住した。戦に破れた平家の再興を期すまでの禁忌として正月餅をつかなくなったのだという。湯津上の西ノ根の数軒でも暮から翌年二月八日まで餅つきをしない。そのかわり、十二月一日にカワピタリモチを沢山つくっておき、それを正月餅とする。
 以上、村内の正月餅をつかない家々では、贈られた餅や買った餅は食べるが、正月三ケ日間雑煮をつくらず、赤飯や煮しめをつくってお供えとしたり食事としたりする。