目次
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第三編 文化
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第四章 民俗
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第九節 民話
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2 伝説
蛭田の百塔塚
529 ~ 529
下蛭田より県道蛭田入口に至る手前二〇〇米の地点、村道の南側の畑のあたりを百塔塚という。そのむかし、凶賊高丸が那須山にたてこもったのを、坂上田村麿は平沢に於いて討ちとり、また賊徒海王が八溝山にたてこもって片府田村の高多山に進出したのを、斎藤宗隆に命じて討たしめ、蛭田の茅原において皆殺しにした。その数一〇〇人、よってこれを一穴に葬り、塚を築いて百塔塚と称した。(『那須郡誌』)