新宿の鬼塚

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須藤権守貞信は長治二年(一一〇五)八溝山の岩嶽(いわたけ)丸を討ちとり、その首級を携えて都に上ろうとしたが、大田原市倉骨折橋に至り、巻川に架した橋が落ちたので、これをその地に埋め鬼塚と称した。折橋の地名はこれより出たという。また、この時、貞信がここで昼食をとったところ箸が折れ、従者が萩を折り取り箸に用いたので折り箸の名が生じたのだともいう。(『那須郡誌』)