栃木県の成立

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江戸時代末期の湯津上村は、大田原藩領の狭原・狐島と、天領または旗本の知行地である小船渡・湯津上・佐良土・蛭畑・上下蛭田・新宿・片府田の各小村に分れていた。大政奉還により天領・旗本領は明治元年六月真岡県となり、同二年七月日光県に合併した。狭原・狐島は明治二年六月の藩籍奉還で大田原藩に属し、つづいて明治四年七月の廃藩置県の結果大田原県となった。同年十一月、全国的に県の統廃合があって、本県では河内・那須・塩谷・芳賀地方の各県が宇都宮県に、県南の足利・安蘇・都賀地方が栃木県に、それぞれ統合され、更に明治六年六月両県が統一され、ここに現在の栃木県が成立した。