5 村是の制定

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 大正三年(一九一四)八月、ドイツに対し日本は宣戦を布告した。(第一次世界大戦)九月、日本軍は山東半島に上陸、海軍はドイツ領南洋諸島を占領した。
 日本軍はさらに十一月には青島を占領した。大正四年三月には第六師団、九月には第十師団が満州に出動、第一艦隊、第二艦隊も相ついで出動するという状勢であった。
 明治四十五年七月三十日、明治天皇が崩御せられ、その喪の明けた大正四年十一月十日、大正天皇の即位大礼が京都御所で行われた。この御大典を記念し、人心を一新し、挙国一致して国力振興村民福利の増進を図るべく、県知事より各町村長あてに、町村是制定の告諭が発せられた。
   告諭
栃木県告諭第一号
 欧洲ノ戦乱ハ帝国ヲシテ交戦国ノ一タラシメ教育ニ産業ニ其ノ他影響スル所甚大ニシテ今ヤ挙国一致覚醒奮起国力ノ充実ヲ図ラサルヘカラサルノ秋ニ際会ス地方団体トシテ画策経営スキモノ固ヨリ一ニシテ足ラサルヘシト雖モ其ノ取捨選択ニ当リテハ必ス一定ノ主義方針ナカルヘカラス之レカ実行ニ至リテハ四囲の事情ニ制セラレ或ハ感情ニ囚ハレ有利ノ事業ヲ閑却シ若クハ形式ニ泥ミ不急ノ事業ヲ計画スルカ如キハ最モ慎ムヘキコトニ属ス宜ク民情ニ照シ資力ヲ鑑ミ将来嚮フヘキ町村是ヲ確立シ以テ郷党副利ノ増進ヲ図ルハ刻下ノ急務ナリト謂フヘシ
 今秋 聖上陛下御即位の大典ヲ挙ケサセラレ大正更始一新ノ施政ヲ見ルニ至ラムトス此時ニ際シテ地方経営ノ根基タル町村是ヲ確立実行スルハ御大典ヲ永遠ニ記念シ奉ルニ極メテ適切ナル措置タルヲ信ジテ疑ハス故ニ各町村ハ須ラク一斉ニ町村是ヲ制定実行シ地方振興ノ実ヲ挙クルニ努力スヘシ其ノ方法順序ニ至リテハ曩ニ親ク郡市長ニ訓示シ置キタルヲ以テ不日郡長ハ各町村当事者ニ指示スル所アルベク本県在職ノ官公吏モ亦其ノ制定及実行ニ助力スルヲ辞セザルヘシ然レトモ町村是ノ確立実行ハ単ニ当事者ノ努力ト官公吏の助力トノミニ依リテ完全ナル効果ヲ収メ得ルモノニアラズ町村ノ有志有力者ハ勿論一般克ク協同戮力シテ此主旨ヲ実行シ始メテ所期ノ目的ヲ達成スルコトヲ得ベキモノナルヲ以テ些細ノ障礙ニ遭遇シテ忽チ挫折スルガ如キ若クハ私見ニ拘泥シ私利ニ偏執シ右顧左眄(ウコサベン)竟ニ其ノ目的ヲ愆ルカ如キコトナキヲ要ス宜ク本旨ヲ体シ各々其ノ撰択シタル町村是ヲ服膺シ鄰保相誡メ地方自治ノ基礎ヲ鞏固ニシ大正聖代ノ進運ニ資スル所アラムコトヲ期スベシ
  大正四年十月七日
            栃木県知事  北川信従

 これに基ずいて湯津上村々是がつぎのように制定された。当時は活発な実践活動が展開されたのであろうが、その後年月の経過とともに忘れ去られ、現在では知る人もほとんどないのではなかろうか。しかし、その意図する内容に至っては、今尚玩味すべきものがあるようである。
 
天第一号
 大正四年十月本県告諭第一号ニ基キ本村々是監督官ノ承認ヲ経テ別紙ノ通制定ス
  大正五年二月十一日
       湯津上村長  杉井学時
  湯津上村々是
第一款 自治ノ興隆ヲ図ルコト
 第一項 民心ノ作新
 一 大祭祝日等ヲ利用シ講話会ヲ開キ勅諭ノ趣旨ヲ徹底セシムルコト
 二 共同一致ノ美風ヲ涵養スルコト
 三 自治ノ精神ヲ発揮セシムルコト
第二款 民力ノ充実
 第一項 基本財産ノ蓄積
  一 歳計剰余金ノ全部又ハ幾分
  二 国県税交付金全部又ハ幾分
  三 手数料
  四 寄附金
 第二項 農作物ノ増収
  一 左ノ事項ヲ実行ス
   イ 塩水撰種
   ロ 害虫駆除
   ハ 田稗抜取
   ニ 畦畔焼切
   ホ 麦奴予防
   ヘ 米麦品種改良
   ト 早播法
   チ 今挽米ノ廃止
   リ 堆肥舎ノ普及
   ヌ 自給肥料ノ増加
   ル 稲ノ架乾
   ヲ 金肥ノ共同購入 但農会担当ス
   ヲ 田畑馬耕
   カ 手工業ノ普及
第三款 道路橋梁堤防用悪水路ノ改良
 第一項 各区ハ農閑ヲ利用シ左記事項ヲ実行ス
  一 道路橋梁堤防ノ改良修理
    但道路橋梁ハ車馬通行ニ差支ナキ迄漸次拡張ス
  二 用悪水路ノ改修
第四款 水火災ノ防備
 第一項 毎年冬夏季ニ於テ左ノ事項ヲ実行ス
  一 冬季ニ於テ組合区域ヲ定メ火ノ番夜廻ヲ為スコト
  二 竈風呂場ノ位地ヲ安全ノ箇所ニ定ムルコト
  三 毎戸灰置場ヲ設置ス
  四 洪水危害アルトキハ毎戸竹木土俵等ヲ持寄リ防備ヲ為スト
第五款 教育ノ進歩発達
 第一項 学校ト家庭ノ連絡
  一 教師ハ時々家庭ヲ訪問シ父兄ハ学校ヲ参観スルコト
  二 三大節ニハ各学校ニ父兄懇話会ヲ開クコト
  三 始業卒業式等ニハ必ズ学校ヘ出席スルコト
  四 父兄ハ勉メテ不就学者及欠席児童少カラシムコト
  五 春秋二回運動会ヲ催スコト
 第二項 補習教育及通俗教育
一 各学校ハ相当時機ニ於テ夜学会ヲ開キ青年子弟ノ補習教育ヲ為スコト

  二 毎年二回卒業生ヲ学校ニ召集シ学力ノ補習ヲ為スコト
  三 毎年一回以上通俗教育講話会ヲ開クコト
 第三項 青年団ノ組織及活動
  一 各学校ヲ区域トシ青年団ヲ組織ス
  二 校長ハ青年団ノ会長トナリ指導誘掖ヲ勉ム
三 村吏 村会議員 神官僧侶其ノ他ノ有力者ハ青年団機関ノ指導者タルコト

第六款 風俗ノ改良
 第一項 風教規律ノ尊重
  一 一般ニ時間ヲ確守スルコト
二 公私ノ会合定時ニ遅レタルモノハ已定決議事件ニ異議ヲ唱ヘサルコト

  三 新年祭例祭新嘗祭ニハ其他神社ニ参拝スルコト
  四 寺院ニ属スル檀信徒ハ法要説教ニハ勉メテ出席スルコト
  五 神棚仏壇ハ清潔ニシ毎朝礼拝スルコト
  六 神社墓地ハ常ニ清潔ニシ墓地ハ周囲ニ土手又ハ生垣ヲ設ルコト
七 長老ヲ尊敬シ七十才以上ノモノヲ毎年一回学校ニ招キ慰安会ヲ開クコト

  八 冠婚葬祭ハ身分相応ノ外勉メテ奢侈ニ流レサルコト
  九 納税ノ義務ヲ重ンジ祖税皆納ヲ期シ納税組合活動スルコト
  十 男女ノ風紀ヲ厳粛ニスルコト
  十一 陽暦ノ実行ヲ期スルコト
十二 入退営者ノ送迎ハ公式ノ外相互ノ祝宴及送旗土産等ハ廃止スルコト

  十三 質素勤勉ノ美風ヲ喚起スルコト
  十四 尚武ノ気風ヲ盛ナラシムル為メ撃劔、柔道、角力等ヲ奨励ス
第七款 健康ノ増進
 第一項 公私衛生及講話会
  一 衛生講話会ヲ開キ左記事項ノ注意ヲ喚起ス
   イ 春秋二回清潔法ヲ行ヒ毎戸ノ内外ヲ清潔ニスルコト
   ロ 常ニ下水ノ浚渫(シユンセツ)ヲ怠ラサルコト
   ハ 井戸其他飲料水ノ周囲ヲ清潔ニシ汚水ノ浸入ヲ防グコト
   ニ 各種伝染病予防ノ注意
   ホ トラホーム病治療及予防ノ注意
   ヘ 隔離病舎ハ特ニ完全ヲ期スルコト

 村是調査評議委員実行委員左ノ通
  村会議員
高久金之助・江崎宗・佐藤千代朔・高瀬銀之助・花塚已之吉・小林幡次郎・小森捨吉・沼野元次郎・佐藤辰次郎・遅沢清六郎・秋元栄三郎・吉成三五郎・大森末吉・蜂巣伊造・小林金三郎・阿久津用蔵
  校長
橋本建三・藤田正美・穴山幸一・野口藤作
  学務委員
植竹虎平・小林次郎
  区長
斉藤鹿猪助・小林幡次郎・吉成庄太郎・平山金十郎・午江淵寅之助・大久保鉄次郎・船見吾助・船山久一・花塚惣作
  神官・僧侶
斉藤最・伊藤為司・奥沢欣哉・庭屋順厚・高橋法仙・桑嶋本浄・原顕祐
  公民・長老
伊藤鉄次郎・磯尾兼吉・源源三・飯塚兼松・伊藤市太郎・井上平五郎・長谷川又吉・蜂巣市三郎・蜂巣四郎吉・蜂巣金市・花塚駒吉・大竹千松・大野佐平太・大野三子・大久保清二郎・渡辺真吾・吉成兼太郎・吉成泰一郎・吉成万次郎・高瀬兼太郎・竹熊兼松・高瀬初吉・永山秀夫・永山熊吉・中沢源次郎・郡司金作・郡司馬之助・郡司百重・松江捨吉・深沢修・深沢留吉・深沢政雄・古森岩吉・小林彦七・小林初造・小室亥之吉・阿久津要吉・佐藤寅松・渋江義重・森嶋春吉・須藤寅三郎・鈴木章・鈴木恒三郎・阿久津兼之進
  農会
小林金五郎
  軍人分会
大久保清隆・鈴木嶋次
  村是起草委員
斉藤鹿猪助・小林幡次郎・吉成庄太郎・平山金十郎・船見吾助・船山久一・花塚惣作・永山秀夫・吉成泰一郎・桑嶋本浄・奥沢欣哉・橋本健三・藤田正美・穴山幸一・牛江淵寅之助・大久保鉄次郎
 右ノ外役場職員学校職員実行事務員タリ

(船山久三家資料)