1 新憲法と地方自治法

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 現在の日本国憲法は、昭和二十一年十一月三日に公布され、昭和二十二年五月三日から施行された。国民の祝日に関する法律(昭和二十三年七月二十日法律第一七八号)が制定され、その中に五月三日は憲法記念日として設けられ、日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期すると、表現されて、日本国民にとって意義ある日として祝日にしている。
 地方自治法は、昭和二十二年四月十七日、法律第六七号として公布され、施行日は憲法と同日の五月三日とされた。地方自治法は、その目的として「地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障する」と規定している。
 地方自治の本旨とは、いわば地方自治の本来の建前ともいうべきことであり、この目的を達成することは容易ではない。新憲法の中に第八章地方自治の一章を設け、旧来の地方自治が議会と政府の決定に一任されていたことに鑑み、民主国家の基盤を培うため、地方自治の保障をしたもので画期的なものといえる。憲法は、地方自治制度は保障しているが、その制度の具体的内容は法律の定めるところに委ね(第九二条)、地方公共団体の組織として住民自治の要請を具体化するため、議会の議員及び長は住民の直接選挙によることとし(第九条)、地方公共団体の運営を確保するものとして、財産の管理、事務の処理など団体自治の原則を明らかにしている(第九四条)。国の立法の例外を定めることにより団体の自治権を擁護している(第九五条)。憲法は、戦争を放棄し、恒久平和を念願し、すべての国民が主権者であり、すべての福利は国民が享受することを前提としている上に、この地方自治の一章を設けていることに注目しなければならない。
 地方自治の経緯は、すでに知られるように慶応三年の大政奉遷にその源を発し、明治四年の廃藩置県、明治十一年の郡区町村編成法、府県会規則及び地方税規則の制定、明治十三年の区町村会法、明治二十二年の市制町村制と移行し、明治二十三年には府県制及び郡制が施行された。
 明治四十四年の改正で市制と町村制が別個の法律となり、議員の任期も六年から四年になるなど大きな改正があった。大正十五年の衆議院の選挙に普通選挙制度の採用があったことに伴い、市町村の選挙にも従来の納税を要件とする制限選挙に代り、普通選挙制度を採用することになった。そして、許認可事項が大巾に整理され、自治権の拡大が年を経るに従って図られてきている。大正・昭和と地方自治の近代的な体制の下地が着々整えられながら、幾多の変せんを経験しつつ戦前まで歩んできた。総じてみるならば、明治憲法の下では中央集権的、官治的色合いが濃厚であったことは誰しも否定しないであろう。
 戦後の地方自治法は、地方自治制度の基調をなす住民の権利の拡充、地方公共団体の自主性と自律性の強化、そして地方公共団体の行政の能率化と公正の確保という三つの基本原則を根本的方針としているのである。そのため従来の名誉職制度(村長や議員)を廃し、成年に達した住民には、原則としてすべての行政に参加する途を開き、選挙を通じて地方行政に参加するだけでなく、直接請求や住民投票によって参加する途を開いている。長の公選制、議員の公選制、条例の改廃請求権、監査の請求権(いずれも有権者の五〇分の一以上の有権者の署名)、議員解職、議会解散の請求権(いずれも有権者の三分の一以上の有権者の署名)など住民の権利が拡大強化された。
 自主、自律性の強化のため、議会の権限を拡大し、定例会は年四回以上開くこととし、会期、議会の運営は議会が条例、議長が規則、規程で定めるなどその方法を一任し、議長・副議長も議員の中から選ばれることとなった。
 公正を確保する方法として、国または地方公共団体の選挙に関する事務の執行を選挙管理委員会に委任し、監査委員制度を設け、地方公共団体の財務に関する事務の執行およびその経営に係る事業の管理を監査する方法を採り入れている。
 これらの制度の拡大強化は、戦後の復興の歩みに合せて、昭和二十二年後半の第一次改正から昭和三十八年の第九次改正を頂点とする変せんであり、なお今日まで関係法律の創設、改正に伴い改められている。
 地方自治法自体の完備はあっても、地方自治制度がそれのみで完成されるものではない。即ち、公職選挙法(昭和二十五年法律第一〇〇号)、地方公務員法(昭和二十五年法律第二六一号)、地方財政法(昭和二十三年法律第一〇九号)、地方税法(昭和二十五年法律第二二六号)、地方交付税法(昭和二十五年法律第二一一号)、住民基本台帳法(昭和四十二年法律第八一号)などの地方公共団体の基本的一般的な事項を規制する法律があり、特殊な行政部門を規制するものに、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第一六二号)、教育公務員特例法(昭和二十四年法律第一号)、消防組織法(昭和二十二年法律第二二六号)農業委員会等に関する法律(昭和二十六年法律第八八号)、国民健康保険法(昭和三十三年法律第一九二号)など、地方自治制度の骨格をなす法律は、枚挙にいとまがない。
 地方自治は、地方公共団体が中央政府のために存在するものでなく、地方住民のために存在するものであるとの観念から出発するものであるから、地方自治行政に関与する権利が拡大され、住民に強力な権利を与えられている。従って、地方自治行政の活殺を左右し、民主的で能率的な地方自治行政が行われる保障は、住民の双肩にかかっているといわなければならない。直接請求や解職請求の権利を単に個人の感情的はけ口として容易に行使されるとしたら、それは地方自治の自殺行為といわなければならない。俗に、地方自治は民主政治の訓練場であり学校であるといわれる所以もここにあり、地方自治の運営の善し悪しは、民主政治の善し悪しを決定することを忘れてはならない。
 地方公共団体の運営の中にあって、適切性を欠くとか、濫費が多すぎるとか、役場は極めて非能率的だ、不親切だというときは、学校で教師がとるように、地方自治の行政の公正化と合理性を求めて、積極的改善改革を推し進める決断と勇気が欲しいのである。これが、公選された地方公共団体の長及び議員の責任であり、住民の負託に応える途ではなかろうか。
 地方自治行政の重要問題の一つとして広域行政の必要性が、識者、関係者から提言され、昭和二十八年十月一日から町村合併促進法が施行された。(本村の合併問題は別項を参照のこと)
 昭和三十年代は、高度成長と地域開発の時代であり、所得倍増計画、全国総合開発計画のもとに新産業都市建設が急がれていた。これには、経済的な豊かさは得られたが、過密過疎の問題、公害問題、自然保護の問題などが多発し、地方自治体もこの影響を受けて、形の上では景気の良い予算編成が続いた。
 昭和四十年代に入り、やっとこれらの問題解決と社会福祉の充実に目が向けられ、住民は高度経済成長を横目でみながら、地方自治の在り方に批判を強め、福祉優先、生活環境の改善を迫ることになった。これらは一地方公共団体がさか立ちしても左右できる問題ではないが、地域社会に密着した問題だけに、国の適切な施策の実施をのぞむ前に、役場の窓口へどなりこむのである。四十四年に至り、地方公共団体も議会の議決を経て、地方自治体の経営と生活、福祉の増進を積極的かつ計画的に推進する振興計画を定め、基本構想と基本計画、実施計画と秩序ある運営制度が採用された。
 地方公共団体の体制づくりとともに、住民の意識向上を図ることも地方自治の一面を担う重要なことであり、自治省は、市町村に補給金を交付して、住民の手による豊かな人間生活をつくるため、コミュニティの育成を図っている。地域社会における地方公共団体と住民との負担区分を明確にし、住民の意識向上と地域の連帯感を高める狙いを含んでいる。
 昭和四十八年からは、大田原市・黒磯市・那須町・西那須野町・黒羽町・湯津上村及び塩原町が、広域市町村圏の基本構想と基本計画を作成し、隣接市町村との調整をはかりつつ地域の発展を促進するように変ってきた。県も、栃木県長期総合計画を定め、栃木県全体のバランスのとれた発展を企画するに至り、これら国・県と総合的な協力態勢を整えつつ、個々の市町村がそれぞれ独自の自治行政の充実を図りつつ進まなければならない時代となったのである。
 かくて、住民の福祉向上を第一義とする振興計画の樹立、予算編成がなされ、予算の執行がなされなければならない時代となり、ワンマン首長の存在は許されないこととなった。現在は「金」と「物」をともに重視する時代である。昭和三十八年の地方自治法の大改正により、昭和三十九年からは、地方公共団体の組織及び運営の近代化はおおむね完成されたのである。
 特に、地方公共団体の予算の編成権と議会の議決権・予算の修正権の関係が明確になり、その会計制度も近代会計法の原則に従い、収支の命令機関とその執行機関を分離し、収支の執行は収入役が行なうものとされ、市町村長の発した支出命令の審査権を収入役に与えることにより、その予算の執行は適法かどうか、最少の経費で最大の効果をあげなければならないという地方自治の本旨にそう忠実な執行かどうかを審査し、支出の拒否権を与えることにより、より厳しい公正を確保する法の仕組みとなった。
 一方、コミュニティや住民運動の展開の中で、住民の要望は強く、広く、そして多様化して提言される。住民側も地方自治に対する権利と責任とを改めて見なおし、補助金を要求して交付を受けるという一事例の中にもその妥当性を追求するなどの考えを持ち、地方公共団体もまた、近隣社会の人間関係を含めて、創造に富み、心豊かな人づくりを育む新しい地方自治の基盤となるべき市町村の模索を続けるべきときである。これを続けてこそ、地方自治は住民のために、住民の手によって生きてくるのであり、これが現代の地方自治の姿でなければならない。