明治以前の戸籍

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 江戸幕府時代の戸口調査には人別改と宗門改とがあった。
 人別改は毎年一回、または三年に一回、その村・町宿の職業別戸数と男女別人口を調査したもので、五人組を支配する各組頭が、組下の小前百姓(平百姓)にその年二月前の出生・死亡・新雇人を届出させ、仮人別帳を作成して名主に差出す。名主は自組の組頭の提出したものを一括して、その組の仮人別表を作り、年番名主に差出し、年番名主がそれを一括して人別帳を作成するのである。この人別改の目的は戸籍の移動の状態や農村経済の情況を知る上に重要であったが、主として宗門改めにあったようで「宗門人別書上帳」として差出しているところもある。
 キリシタン弾圧のための宗門改めは寛永十四年(一六三七)の島原乱後厳しくなり、宗門改役をおいて教徒の検察を行なうと共に宗旨人別改めを実施し、仏教各宗寺院をして、その檀徒の信教を証明する「寺請証文」を出させたもので、後日に至り一般庶民をして毎戸必ず所属の寺院を定め、その檀那寺をしてこれを証明せしめることになった。この宗門改帳を作成すると、名主は組下の農民を召集し、その所属寺院立会のもとに寺判を捺して証明する。この寺手形、宗旨手形はその後檀徒としての証明となるにとどまらず、今日の戸籍謄本・身分証明書のようなものとして旅行・奉公・送籍にも必要であった。
 人別改・宗門改のほかに五人組改があるが、これらはいずれも関連したもので、五人組改は戸口調査の目的よりは、むしろ「五人組帳前書」を読み聞かせ、その条項の遵守を誓わせて貢祖の完納を目的として行なわれたものである。