片府田邑組合
那須郡下蛭田村戸籍
日光県庁
――――中略――――
高四百六拾六石七斗四升四合六勺
内
弐拾五石壱斗五合 潰人分面々持添
外
三拾五石六斗四升八合五勺 上蛭田村へ越石
壱石弐斗五升六合八勺 神主分
弐石六斗壱升九合壱勺 頂蓮寺分
合高五百拾弐石七斗八升三合
外
百弐拾弐石壱斗三升八勺 上蛭田村より越石
九石五斗九升七合 新宿村より越石
家 三拾七軒
人 弐百拾五人
内 男 百拾三人 女 百弐人
水車 壱輪
船 弐艘
内 人船 一艘 馬船 一艘 但横渡シ
馬 四拾五匹
右 明治四未三月改
那須郡下蛭田村戸籍
人民御保全、永世産業を安んせしめんため、戸籍編製被仰出、其法左之通
一 戸籍の編製、一村内を一冊とし、名主役是を掌とる、村内伍組壱番より順席に番数を以て分之
一 一組合を一部とし、惣代役是を掌とる、一部の紙員多き故、分て上下と成こと妨なし
一 冊の表紙、何村組合何郡何村戸籍と書、左側へ張掛紙にて、名主何某と書、肩へ年号月日ヨリと記す、交代の節は、上へ張掛記す、追々如斯して六年を経、大改の節に至り、張掛を除き、又始の如く張掛紙にて、其年当勤の名を記す
一 一部の始此仕法書あるへし、表紙何村組合戸籍と書、左側張掛紙にて惣代役何某役中と書、肩書並交代の節等、六年を経大改の節等、前条の法の如し
一 冊の仕立、柿渋引合せ紙を台紙とし、一丁の片面へ、白紙を竪曲尺九寸、横六寸に切合せ張付、是を一家分とす、上四ケ一の所へ墨筋を引、上を産業並所持の田畑・山林・船・牛馬等を記す所とし、下を人名・宗門等を記す所とす
但代替りの節、是迄の本紙は其儘さし置、後代の方上へ新に張掛書す、永々如此すへし、幾代を経るといへとも、其家の系譜明らかならしめんためなり、尤一代一枚と限りあれは、年を経て書入繁多なるへし始より極て細字に書記すへし
一 台紙へ本紙の張立は、伍組を一組々々にて番数のしるしを以て仕分け、一伍組限り順々次第を逐ひ、仕立へし、新家出来の節は、冊末の台紙へ、相伍組隔るといへとも、右番数のしるしを以て知るへし
一 伍組之内、出生死去其外出入有之度々、名主役へ相届、名主役即座に是をしるす、出生は名前を書、上へ年号月日生と記す、死去は名前へ点をかけ、上年号月日死すと記す
一 縁組は、年月・親元・所名・名前書入、親元の方へは、年月何某へ嫁又は、何某へ養子に遣すと記し、名前へ点を掛る、若不縁の節は、双方点を掛、親元は、張掛紙にて名を記し、上へ年月何某方より帰ると記す、先方は、名前の上へ、年月不縁と記す、再縁は、張掛書入、再々縁は、張掛を取除け、又張掛書記し、二重張すへからす
一 他支配へ縁付、其外にて其地の暇を免さるるものは、名前の上へ年月暇御免、何ノ何某養子、又は何ノ何某家来と成と記し、名前へ点を掛
一 本人又は家内のものにても、年限暇にて奉公稼に出るものは、名前の上へ付紙にて、何ノ何何年より何年の間、暇御免と記し、立帰る節、付紙を取除くへし
一 子孫別家する時は、名前へ点を掛、上へ年月別家、何番組へ入と記す、其最寄の伍組又は、村内不足の伍組へ入、新しき一家分の本紙へ書載せ、若他村へ分家する時は、年月何村組合何郡何村へ分家と記し、名前へ点を掛、他村より分家し来るものは、年月何村組合何郡何村何某方より分家と、名前の上へしるす。
一 産業・田畠・山林・船・牛馬等、年に一度三月改にて、産業を改むれは肩へ年月日改何と記し、最前の分へ点掛、田畠其外買入分は、肩へ年月買と記す、売分は、肩へ年月売と記し点を掛け、分与分売は、年月分与又は分売と記し、点を掛残高を新に記す
一 御咎にて、村退のものは、名前の上へ年月日村退、何所何某へ渡すと記し、点をかけ、請方には名前を記し、上へ年月日何所村退何某より請と記し、望むものの戸籍へ入、流罪は、年月日流罪と記し、名前へ点を掛
一 暇免なきに他所へ出る者は、伍組より名主役へ申出で、役人も共々心遣ひし、早速連れ帰すべし、万一行衛不知ものは、其由相届、戸籍へは年月出奔と記、六ケ月の間に尋出し、帰参の申出すへし、六ケ月を過るといへとも行衛不知時は、弥出発の段届出、其時戸籍へ年月日届と記す、三十六ケ月を経るといへとも、行衛不知のものは、其由申出、戸籍へ年月日除籍と記し、名前へ点をかけ、人数を除くへし、家内不残出奔の時は、届書入等同様、除籍の節人別名前の上へ除籍と記し点を掛、代替りの通白紙を張掛へし
一 一冊の末には、家数・人数・田畠・山林・船・牛馬数を記す、毎年一度三月改にて、追年張掛紙にて、六ケ年を経大改の節に至り除之、其年の数を記す事又始の如し
一 一部の末に、組合村々数・家数其外を記す事、又前に同し
一 毎年三月改の節、名主役別に、美の紙二ツ折の冊を調、表紙の書躰本冊に同くし、左側名主役の名前、張掛に及はす直に書付、本冊の末に記せる家数・人数其外を書載せ、惣代役に差出す、惣代役、組合村々の冊を集め、一部の本冊と引合せ、於無紛ハ是又合て一部とし、村数・家数・人数其外を惣計し、末に是を書記し、改無相違趣、奥書を調印を押し、表紙の書体本部の通にし、左側惣代役名前張掛に及はす直に書付、其掛官員へ差出すへし
一 六ケ年を経、大改の節の次第も前条の如し、七ケ年前家数・人数・其外と、其年の数と計り較へ、増減を書記す、名主役・惣代役と順席に是を斗ふ事、前の法の如し
右戸籍の儀は、永世の御記録、庶民の系譜たり、人民御保全の叡旨を奉体認仕法の通、不可怠もの也
日光県庁
片府田村組合那須郡下蛭田村百姓 | |
○年○月○○国○○郡○○村百姓○○○○伜先代○○養子ニス | |
○年○月○○国○○郡○○村百姓○○娘娶ル | |
真言宗頂蓮寺旦那 |
――――中略――――
高四百六拾六石七斗四升四合六勺
内
弐拾五石壱斗五合 潰人分面々持添
外
三拾五石六斗四升八合五勺 上蛭田村へ越石
壱石弐斗五升六合八勺 神主分
弐石六斗壱升九合壱勺 頂蓮寺分
合高五百拾弐石七斗八升三合
外
百弐拾弐石壱斗三升八勺 上蛭田村より越石
九石五斗九升七合 新宿村より越石
家 三拾七軒
人 弐百拾五人
内 男 百拾三人 女 百弐人
水車 壱輪
船 弐艘
内 人船 一艘 馬船 一艘 但横渡シ
馬 四拾五匹
右 明治四未三月改
(大野アイ家史料)