3 児童福祉

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 敗戦後のわが国は、ぼう大な数にのぼる戦争犠牲者によって悲惨を極め、戦災孤児、引揚者、浮浪者などが多数発生し、更に、悪環境のなかで一般青少年の不良化が著しく増加し、憂慮すべき事態となった。これら罪なき不幸な児童の保護の徹底を期すると共に、その未然防止を図ることが急務であった。
 しかし、戦前の児童対策には、児童虐待防止法、少年教護法、母子保護法などがあったが、いずれも一部特殊児童を対象とした、極めて限定的なものであったため、こうした事態に対処できるものではなかった。
 昭和二十二年十二月(法律第一六四号)、児童全般の福祉を図る総合基本法として、児童福祉法が公布され、翌年四月一日から施行された。
 この法律は、国及び地方公共団体が、保護者と共に児童の健全育成の責務を負うことを強調し、児童福祉審議会、児童相談所、児童委員など児童保護機関を整備し、また、児童福祉施設に関しても、各種特殊児童収容施設はもち論のこと、一般児童に対する保育所や児童遊園、児童舘など児童厚生施設の整備充実を図ることにしている。
 一方、厚生省においては、児童福祉法の制定に伴い「児童局」を設けて対処したが、児童福祉における家庭環境の重要性にかんがみ、昭和三十九年「児童家庭局」と改称し、母子に関する保健、福祉行政の中心機関として効果的活動を行なってきた。
 その後、国の児童に関する制度としては、昭和三十六年十一月、児童扶養手当法が制定され、翌年一月から施行となった。この制度は、義務教育終了前、または二十歳未満の心身障害児が、公的年金を受給できない母子家庭等に属する場合、一定の所得制限を条件として養育者に手当を支給するというものである。
 また、同三十九年七月には、重度心身障害児に手当を支給する特別児童扶養手当法が制定された。
 更に、同四十六年五月には児童手当法が公布され、翌年一月から施行となり、十八歳未満の児童を三人以上養育するものに対し、第三子以降の児童について手当が支給されることになった。
 栃木県においては、これら国の制度のほかに、独自の立場で、両親または一方が死亡した児童に対し、養育者に支給する遺児手当制度を昭和四十四年十月から実施した。また、同四十七年四月からは乳児医療費の無料化を、同四十八年四月には妊産婦医療費の無料化を、いずれも県と市町村がそれぞれ財源の二分の一を負担して実施した。これら児童に関する制度に基づく、本村の支給状況を別表により説明しよう。
児童手当等の支給状況
国の制度
区分児童扶養手当児童手当特別児童扶養手当
年度世帯数児童数月1人当り支給額世帯数児童数月1人当り支給額児童数月1人当り支給額
5092015,6002242245,000311,300
51122517,6002112155,000418,000
52163019,5002062105,000520,300
53142521,5002072465,000622,500
実施時期昭和37年4月16日昭和49年10月1日昭和39年9月1日

栃木県及び町村の制度
区分遺児手当乳児医療費妊産婦医療費
年度世帯数児童数月1人当り支給額助成件数総助成費助成件数総助成費
4916253,000167338,86248317,321
5015233,00098245,96734182,047
5117273,00078320,66026164,378
5211193,00091564,23437296,712
実施時期昭和44年10月1日昭和47年10月1日昭和49年4月1日