老人福祉法は、昭和三十八年七月十一日(法律第一三三号)公布され、同年八月一日施行された。従来、老人福祉対策に関しては、生活保護制度のなかに包括され、特別の政策としてではなく、国民一般を対象とする社会福祉施策によるに過ぎなかった。
しかし、あえて社会福祉一般から老人福祉の分野を独立させ、老人福祉法を制定するに至った背景には、老人人口の増加、親族扶養の減退、老人を取り巻く社会環境の急激な変動などによって、老人の生活が極めて不安定となり、老人問題に対する国民的危機感の現れからである。
戦前は、家族制度のもとに老人の座は家長として絶対的権限をもち安定していたが、戦後民法の改正によって「家」より個人を重視し、夫婦中心主義の小家族制度へと移行し、更に、産業構造の変化に伴う若年層の都市集中などによる別居生活の増加、加えて扶養義務観念の減退、社会環境の複雑化などによって、老人の生活は極めて深刻な問題となってきた。こうしたことから老人問題が社会問題として取り上げられるようになった。
老人福祉法では、老人は身体的、精神的ハンディキャップに起因する弱者であり、また、多年社会の進展に寄与してきた者であることに着目し、社会的に保障し、敬愛することを立法の基本理念として九月十五日を「老人の日」と定めた。
昭和四十一年六月、国民の祝日に関する法律と老人福祉法の一部が改正され、「老人の日」を「敬老の日」と改め、国民の祝日とされたのであるが、立法に際し、従来どおり「老人の日」とするか、新たに「敬老の日」と定めるかについては相当論議が重ねられたが、社会的貢献者として、老人敬愛の念を示す意味から敬老の日とされたものである。
老人福祉法の具体的施策としては、健康検査、各種老人ホーム、老人福祉センター、家庭奉仕員、老人クラブその他老人の福祉増進を目的とする事業に対する援助などが定められている。
昭和四十四年、厚生省は老人医療費負担軽減対策を試みたが、当時問題となっていた医療保険制度の抜本改正との関連上実施に至らず見送られていた。
しかし、この間において、地方公共団体独自の立場で老人医療費公費負担制度を実施するものが急増し、その反映によって昭和四十七年六月、老人福祉法の一部を改正し、国の制度として老人医療費の支給、いわゆる老人医療無料化が創設され、翌年一月一日から施行された。
この制度は、実施主体を市町村とし、若干の所得制限のもとに七十歳以上の老人医療費の自己負担分について、公費で肩代わりし、国が三分の二、都道府県と市町村がそれぞれ六分の一を負担するというものである。同四十八年十月からは六十五歳以上のねたきり老人等についても加えられた。
栃木県においては、昭和四十七年一月一日から七十歳以上を対象とし、一定の所得制限のもとに、県と市町村がそれぞれ二分の一の財源負担によって実施した。