明治初期における養老賜金

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 明治三年、日光県より養老典として一人当三十銭也、七十歳以上の老人に支給された。これは、明治四年十二月で打切りとなり、明治五年よりは、八十八歳五両、百歳拾両、祝寿として支給されることになり、四年十月に大政官名を以って発令され旧日光県庁より各区に通達になった。
 ただし、これがいつまで実施されたものか不明である。
 明治三庚午(かのえうま)年旧日光県ヨリ養老典貰受候人員調査
         第三大区八小区
  那須郡福原村  滝田喜十郎父
   一金三拾銭  同 喜八郎
        庚午七十三年九月
        蛭田村
         深沢政十郎祖母
   一金三拾銭  同  ふて
        庚午七十二年
             同村   高瀬忠次郎父
   一金三拾銭   亡同  乙造 庚午七十三年
             同村   藤田友三郎祖母
   一金三拾銭   亡同  むめ 庚午七十二年
             蛭田村  斉藤桂父
   一金三拾銭          同  眠山 庚午七十九年
             同村   蜂巣伊造父
   一金三拾銭          同  伊八 庚午七十二年
             蛭畑村  佐藤滝三郎祖父
   一金三拾銭          同  政次 七十二年
                     同人祖母
   一金三拾銭          同  たよ 七十二年
             片府田村 鈴木章四郎祖母
   一金三拾銭          同  さた 庚午七十七歳
   辛未(かのとひつじ)取調ノ部
             福原村  平石新三郎父
   一金三拾銭          同  久吉 辛未七十二年
             同村   中山仁八郎父
   一金三拾銭          同  源助 辛未七十八年
             蛭田村  小高宗重祖父
   一金三拾銭          同  惣平 七十二年
             同村   平山半三郎父
   一金三拾銭          同  吉平 七十三年
             同村   伊藤仁平
   一金三拾銭          同  ゑい 七十二年
             同村   渡辺慎吾祖父
   一金三拾銭          同 源四郎 七十年
             同村   坂主豊三郎母
   一金参拾銭          同  ふで 七十二年
             佐良土村 佐藤治郎平母
   一金参拾銭          同  さと 七十年
             同村   石沢勇二郎母
   一金三拾銭         亡同  多け 七十年
             佐良土村 稲垣元甫父
   一金三拾銭         亡同  逸斎 七十年
             同村   郡司滝蔵祖母
   一金三拾銭          同  ふミ 七十年
             同村   生田目兼平養父
   一金三拾銭          同  文平 七十年
             同村   郡司嘉造祖母
   一金三拾銭         亡同  いの 八十三年
             同村   飯塚藤三郎祖父
   一金三拾銭          同  助蔵 七十年
             同村   飯塚利惣次父
   一金三拾銭          同  作平 不明
             同村   郡司佐市祖母
   一金三拾銭          同  その 七十年
 去明治三庚午年旧日光県ヨリ養老典貰受候連名之通取調候処相違無御座候 以上

 明治廿二年二月十一日紀元節には次のような養老恩金が下附になり、湯津上永山秀夫の感激の手記がある。
 養老恩金 金五拾銭
我大日本帝国天皇陛下ハ明治廿二年二月十一日神武紀元ノ佳節ヲトシ憲法ヲ発布シ衆庶の福幸を増進シ権利義務ヲ鞏固ニシ倍国威ヲ盛ナラシムハ此ノ盛挙ニ際シ養老ノ恩召ヲ以テ高齢者八十歳以上五拾銭九十歳以上壱円百歳以上壱円五拾銭ノ恩賜アリ祖父安十恰モ陰暦八十歳ニ該ルヲ以テ明治廿二年四月十三日湯津上村役場ニ於テ金五拾銭ヲ拝受ス
嗚呼何ノ慶賀之ニ如(シカ)ンヤ蓋シ祖父ハ明治十九年四月中風症ヲ患ヒ身不随ノ感アリト雖モ此恩典ニ預ルハ夫天寿ノ然ラシムル所ト云ヒナカラ亦平日摂生ノ結果ト云フヘシ斯ル恩典ヲ蒙ルハ独リ祖父ノ名誉ノミナラス亦宗家ノ幸福ナリ因テ此恩典ヲ永遠ニ伝ヘンコトヲ欲シ蕪辞ヲ記スコト 爾
 明治廿二年四月十三日       孫 秀夫識