戦争中までの身体障害者対策は傷痍軍人対策であったので、敗戦後は、そのほとんどが廃止された。
また、授産を行なう施設一二カ所を設置したのをはじめ、戦後民間経営となっていた失明軍人寮は、二十三年の「国立光明寮設置法」に基づく国立施設となり、その後、逐次国立施設の設置をみるに至った。同年九月ヘレン・ケラーの来日以来、身障者の福祉の要望が強まる中で、身体障害者対策の基本的立法制定の動きが活発となり、同年十二月、厚生省は身体障害者福祉法制定推進委員会を結成した。同委員会は、法案作成の基本的事項について討議し、法の主体を更生とする、対象の範囲をさしあたり運動及び感覚器とする、年齢を十八歳以上とする、行政体系としては国の機関委任事務とする、法定施設の範囲は、収容、訓練その他更生のため利用する施設に限定することなどの結論が得られた。
これらの内容をもとに、昭和二十四年十二月二十六日法律第二八三号として「身体障害者福祉法」が成立した。