(湯津上村大字湯津上一〇六四番地 明治三十一年五月十七日生)
一 大正十一年三月早稲田大学卒業北海道庁立小樽中学校教諭を拝命、福島県立福島中学校教諭を経て大正十三年六月栃木県立大田原中学校に転任、昭和十四年三月まで十六年間勤務、昭和十四年栃木県立鹿沼農商学校教務主任として転勤、次で教頭となる。
二 昭和十八年教職を退き古河電気精銅所(青年学校)勤務を命ぜられ勤労青年の指導にあたる。
三 昭和二十一年古河精銅所を辞し栃木県那須郡湯津上村立湯津上中学校講師を命ぜられ十年間生徒指導にあたる。
四 昭和三十四年十月湯津上村教育委員に任命され、昭和三十五年五月一日教育委員会教育長に任命され、昭和四十二年九月まで七年三カ月の間村教育行政の任にあたる。
五 昭和三十六年法務大臣より人権擁護委員の委嘱を受け、村民の福祉に貢献した。
栃木県人権擁護委員連合会長ならびに宇都宮法務局長及び全国人権擁護委員連合会長より表彰を受く。
六 昭和四十年二月村内小中学校の完全給食を他市町村にさきがけて実施した。
七 その他栄誉に関する事項
昭和三年十一月十日 大礼記念章下賜
昭和十二年六月二十三日 高等官七等
昭和十三年一月十五日 叙従七位
昭和十四年十一月一日 高等官六等
昭和十四年十一月十五日 叙正七位
昭和十八年三月一日 高等官五等
昭和十八年三月十五日 叙従六位
従六位勲六等瑞宝章 昭和十四年十二月十四日受賞 故 小林政治
(湯津上村佐良土七一三番地 明治十七年七月十五日生)
一 明治三十五年三月、試験検定に依り尋常小学校准教員免許同年五月、那須郡那珂尋常高等小学校(現小川)訓導を拝命。
二 同三十六年三月、師範学校入校のため退職。
三 同四十年三月、師範学校卒業、那須郡那珂尋常小学校訓導を拝命本科勤務。
四 同四十五年三月、那須郡大原間尋常高等小学校訓導拝命。
五 大正二年三月、那須郡荒川村尋常小学校訓導兼校長拝命。
六 同五年三月、那須郡佐良土尋常小学校訓導兼校長拝命。同七年三月校名改称にて湯津上尋常高等小学校訓導兼校長となる。
七 同十一年十一月、湯津上村佐良土実業補習学校長兼任拝命。
八 同十五年六月、湯津上村青年訓練所主事を嘱託さる。
九 昭和八年九月、那須郡佐久山尋常小学校長拝命、同佐久山実業補習学校校長を兼任す。
一〇 昭和十年七月、校名改称により佐久山町青年学校長となる
一一 昭和十三年三月、那珂尋常高等小学校長拝命。同青年学校校長となる。同年七月校名改称により小川尋常高等小学校長および小川町青年学校長となる。
一二 昭和十七年三月、願により本職ならびに兼職を辞す。
一三 昭和十七年四月、那須地方事務所へ就職勤務、同二十三年三月辞職す。
一四 其の後同年六月湯津上村佐良土農業協同組合長理事となり六カ月間農業協同組合の業務に尽瘁され同年十二月退職、昭和四十一年十二月二十七日老衰のため死亡された。
その他栄誉に関する事項
一 昭和五年二月 教育功労者として表彰せられ銀杯一組授与
一 昭和八年七月 高等官七等
一 昭和八年十一月 叙従七位
一 昭和九年八月 勲八等瑞宝章
一 昭和十一年九月 高等官六等
一 昭和十一年九月 叙正七位
一 昭和十四年十二月 勲六等瑞宝章
一 昭和十六年十月 高等官五等
一 昭和十六年十月 叙従六位
正六位勲六等瑞宝章 昭和十五年五月十七日受賞 故 大野三木
(湯津上村大字蛭田三九七番地 明治二十一年十一月二十九日生)
一 明治四十二年三月二十六日 師範学校卒業
二 同年三月三十一日 上都賀郡板荷尋常高等小学校訓導
三 大正二年三月三十一日 那須郡川西町川西尋常高等小学校訓導
四 同 四年四月二十一日 栃木県女子師範学校訓導
五 同 九年四月二十日 那須郡大原間尋常高等小学校訓導兼校長
六 同十二年三月三十一日 那須郡親園尋常高等小学校訓導兼校長親園村実業補習学校助教諭兼校長
七 同十五年六月二十八日 那須郡親園村青年訓練所主事嘱託
八 昭和四年三月三十一日 芳賀郡益子尋常高等小学校訓導兼校長同益子町実業補習学校助教諭兼校長 同益子町青年訓練所主事
九 同五年五月十九日 那須郡馬頭尋常高等小学校訓導兼校長、同馬頭町青年訓練所主事
十 同十三年三月三十一日 那須郡烏山尋常高等小学校訓導兼校長同栃木県公立青年学校長、同那須郡烏山町青年学校長
十一 同十六年十月三十日 那須郡大田原町国民学校長
十二 同二十一年三月三十一日 大田原国民学校長退職、以来家に在りて農業に従事す。
十三 昭和三十一年十月一日 湯津上村教育委員会教育長に任命され昭和三十五年四月まで村教育行政の任にあたる。
十四 昭和四十年十二月十二日没す
十五 その他栄誉に関する事項
昭和八年七月一日 高等官八等
同 八年十一月一日 叙正八位
同 九年十一月一日 勲八等瑞宝章
同 十年八月一日 高等官七等
同 十年八月十五日 叙従七位
同 十二年三月五日 勲七等瑞宝章
同 十三年十月一日 高等官六等
同 十三年十二月十五日 叙正七位
同 十五年五月十七日 勲六等瑞宝章
同 十七年十二月五日 高等官五等
従五位勲五等瑞宝章 昭和四十七年五月十四日受賞 故 植竹福重
(湯津上村大字湯津上一一三番地 明治四十一年三月二十一日生)
一 大正十五年三月栃木県師範学校本科卒業、黒羽第一尋常小学校奉職、二十二年余に亘り同一校に奉職する。
二 昭和二十二年四月黒羽第二小学校及び黒羽第二中学校長拝命す。
三 昭和三十一年四月湯津上村立蛭田小学校長を拝命、三十八年三月辞職。其の間実に三十八年有余
四 昭和四十七年五月十四日病気のため死亡す。
正七位勲六等瑞宝章 昭和五十二年六月三日受賞 故 小森信
(湯津上村大字佐良土九八三番地 大正十四年五月十九日生)
一 昭和二十年九月二十五日栃木師範学校本科卒業同年九月三十日那須郡湯津上村立湯津上国民学校訓導拝命奉職。
二 昭和二十三年三月三十一日願に依り辞職自宅手伝。
三 昭和二十六年九月一日湯津上村立湯津上小学校講師となる。
四 昭和二十七年七月一日同校教諭を拝命。
五 昭和三十四年四月一日大田原市立大田原小学校教諭を拝命。
六 昭和三十七年四月一日湯津上村立佐良土小学校教頭拝命。
七 昭和四十九年四月一日黒磯市立埼玉小学校長を拝命五十二年六月現職にて病気のため死亡す。其の間二十八年有余学校教育のため尽瘁された。