昭和三十五年四月以前は村公民館で、公民館活動の事業として「湯津上たより」という広報を隔月又は臨時号として発行したのが「広報ゆづかみ」のはじまりである。しかしこの広報「湯津上たより」も町村合併の問題により「広報ゆづかみ」第一号が発行されるまで休刊されたのである。その後昭和三十五年四月一日「広報ゆづかみ」第一号が発行されるに至った。
第一号文中には村長就任二年目を迎えた江崎村長が「合併は村内の地域的意見を尊重」と題して大きく掲載されて、本村の長期に亘る町村合併問題に終止符をうつ記事が懐しい。なお同じく深沢助役の「合併は村内の意見統一から、将来、中の原を工場地帯に」と題して記事が掲載されているが、現在品川台に工場建設が企画されているが、思えばその当時からの構想が、今実現しようとしている。
昭和三十五年四月以降は毎月発行し、昭和四十二年四月に広報課を設置し、広く村民と広報活動の連絡強化を図った。昭和四十七年七月から総務課で、五十二年四月から行政管理課が受継ぎ、五十三年五月現在で、一六七号を発行し益々村民に親しまれる広報となったのである。
広報「ゆつかみ」(昭和35年)
広報「ゆつかみ」(現在)