(3) 明治年間湯津上村基本財産造成の記録

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 明治二十五年一月、村長に就任した杉井学時は、村民経済の充実向上と、村財政の安定を図り、基本財産造成を企画して「湯津上村基本財産起設規則」なるものを作って早速実行した。又各大字にも共有財産の造成、備荒貯穀、勤倹貯蓄の奨励に力を尽した。
 昭和五年頃、村内学校教職員の組織する湯津上村連合職員会編集の「郷土研究誌」には、杉井村長について次のように記している。
 「………村長ノ中特筆大書スベキハ杉井学時氏ニシテ就職以来現職ニ斃ルヽ迄二十有七年(実際ハ二十八年)常ニ村ノ発達ト村民ノ幸福トヲ念願トナシ年ヲ遂フテ発達シ、氏ノ晩年ハ優良村トシテ県郡下ニ知ラルルニ至リヌ、氏ハ剛毅果断ニ富ミ思慮深ク、種々革新スル所多シ、就中明治二十八年頃ヨリ年一回小学校教員、役場吏員ヨリ俸給ノ百分ノ一ノ寄附ト農家一家一升ノ玄米寄附ヲ受入レテ、村基本財産ノ積立ヲ計画シ年々是ガ実行ヲ続ケヌ(其他片府田ニ官有林四町歩ヲ払下テ基本財産トス)而シテ明治四十年頃ニハ早クモ一万円ノ村基本財産生ジ中ノ平ニ於テ盛ナル一万祝ヲナシ、又爾来此ノ方法ヲ取リテ(米一升の寄附ハ目下行ハズ)今日ニ至ル、現在ノ村基本財産約五万円ニ及ブ、杉井氏ノ功績亦偉大ナリト云フベシ」とある。
  湯津上村基本財産起設規則
第一条 本村ハ基本財産ヲ起シ向二十ケ年間ニ大成ヲ期スベシ
第二条 其本財産トナスヘキ種類ハ土地又ハ公債証書株券類トス
第三条 基本財産ノ原資ニ編入スベキ種類左ノ如シ
  一、本村内ニアル官有地相当手続ヲ経テ払下ヲ得タルモノ
  二、村税ニ幾分ノ増額ヲナシタルモノ
  三、国税県税ノ交付金全部又ハ幾分
  四、経費予算ノ精算上残金トナリタルモノノ全部又ハ幾分
  五、本村ヨリ月俸又ハ報酬ヲ受クルモノ其ノ額ノ百分ノ一ヲ寄納セシモノ
  六、演劇諸興行等ノ基本税金十分ノ一ヲ寄納セシモノ
  七、人民特殊ノ寄附
  八、前各項ヨリ生スル利潤

第四条 第三条ノ第二款及第三款第四款ハ専ラ年ノ状況ヲ参酌シ村会ノ議決ヲ以テ歩合ヲ定メ或ハ全ク課セザル可シ

第五条 凡ソ財産ノ原資トナスヘキ物件ヲ領収シタルトキ金円ハ村長ノ命ニ依リ収入役ノ名ヲ以テ其ノ都度逓信省ニ預入ルヘシ

第六条 資金凡ソ五十円前後ニ満ルトキハ村会ノ議決ヲ以テ土地又ハ確実ナル公債証書等ヲ購入スルコトヲ得

第七条 財産及其資料ハ精査書ヲ作リ毎年一回ノ議会ニ報告シ認定ヲ経タル後村内一般へ公示スヘシ

 基本財産現在高報告書(明治二十九年三月末)
一金六拾四円七銭六厘    前年度編入高
  本年度編入高左ノ如シ
一金三拾六銭      大久保清二郎寄附
一金五拾六銭七厘    小林タケ  〃
一金壱円四拾弐銭四厘 基本財産廿六年六月一日ヨリ廿八年三月三十一日利子
一金壱円弐拾五銭五厘 軍人慰労会寄附金収支残金
一金参拾七銭      小林金五郎寄附
一金参拾七銭      関谷吉次郎同
一金弐拾三銭      郡司金作同
一金八銭四厘      平田常次郎同
一金三拾七銭      小林初造同
一金弐拾五円      廿七年度経費残額
一金弐拾五銭      軍人慰労会古旗公売代
一金壱円        大野三子寄附
一金四拾銭       代田誠三郎同
一金五拾銭       佐藤照郷同
一金弐拾銭       森元己之助同
一金八拾銭       吉成四郎同
一金弐拾銭       木村松太同
一金壱円拾銭      杉井学時同
一金六拾銭       植竹虎平同
一金四拾銭       深沢修同
一金四拾銭       吉成直夫同
一金弐拾銭       永山秀夫同
一金拾五銭       木村藤三郎同
一金拾五銭       郡司貞次郎同
一金拾五銭       吉成慶安同
一金拾五銭       大野重次郎同
一金拾五銭       大江開一郎同
一金拾銭        蛭田岸三同
一金拾五銭       阿久津伝一郎同
一金拾五銭       佐藤三郎同
一金拾銭        花塚忠蔵同
一金五拾銭       吉成兼太郎同
総計金百弐円六拾銭六厘 現在高総額
右本村基本財産現在高報告ニ及候也
   明治二十九年三月二十三日  湯津上村長 杉井学時
 
明治三十一年三月現在高
百七十九円九十四銭四厘
(永山正樹家文書)

 基本財産報告書(明治三十七年三月末)
一金五百五拾円拾五銭壱厘  前年度報告高
   本年度編入高左ノ如シ
一金九円      明治三十六年度農工銀行五株利子
一金拾円九拾三銭  同年度郵便貯金利子概算
一金拾五円六拾銭  同年度黒羽銀行預金利子概算
一金拾三円八拾銭  同年度戸籍手数料概算
一金九拾九銭    古新聞売却代
一金拾七円六拾七銭 三十六年度前半期県税交付金
一金三円三拾四銭三厘同年度国税交付金前半期
一金三拾円     同年度村費ヨリ編入分
一金拾四円     同年度土地貸渡料
一金三銭      小森捨吉寄付
一金三円      三十五年度戸籍手数料報告後精算上実収増額分
一金壱円三拾銭   三十五年度郵便貯金利子精算上増額
一金壱円五拾銭   大野三子寄付
一壱円       蜂巣市三郎同
一金七拾銭     植竹丈野同
一金弐拾銭     高梨勇次同
一金壱円四拾銭   杉井学時寄附
一金七拾銭     深沢修同
一金七拾銭     吉成三五郎同
一金四拾銭     生田目兼平同
一金四拾銭     斎藤最同
一金弐拾五銭    江崎宗同
一金弐拾銭     佐藤兼之助同
一金弐拾銭     吉成伊三郎同
一金弐拾銭     蜂巣二三郎同
一金拾五銭     小林倉太同
一金弐拾五銭    阿久津伝一郎同
一金拾五銭     山村伊勢七同
一金拾五銭     薄井兼吉同
一金拾銭      花塚忠蔵同
 計金百弐拾八円参拾壱銭参厘
金壱円六拾壱銭 三十五年度黒羽銀行預金利子八円九拾七銭ト概算報告ノ処精算上減額シ七円参拾六銭トナリタルニヨリ本行ノ金額ヲ差引ク
右差引残
  金百弐拾六円七拾銭参厘
総計金六百七十六円八十五銭四厘   現在高
 一、山林 六町五反三畝九歩    目下畑ニ開拓
   此概価 弐千円
   右報告ス
  明治三十七年三月二十七日
              村長 杉井学時
 
明治三十八年三月末
総計八百六拾五円弐拾三銭九厘
村有土地 六町五反三畝九歩
 此概価 弐千円      現在畑成

(松江弘家文書)

 前述一万祝については次のような記録がある。
      壱万祭  明治四十二年四月一日
湯津上村に一万祭と称する、一村大祝祭あり、村有基本財産蓄積増殖の奨励する方法にして、財産一万円に満(みつ)る毎に之を行ふ規定なり。本年四月一日始めて、第一回一万祭を中の平原頭に於て挙行せり。其の式は先づ中央に神壇を設け神璽を奉置し万旗を立て四方に白幕を張り、主繩(しめなわ)を張り神饌を供へ、神職の修祓を挙げ、斎主幕を除き万旗四旒風に翻る是に於て学校生徒君が代を三唱し、而して斎主恭しく祭詞を奉読す、次に村長式辞を読み神職進んで万旗一旒づつ村長に渡す、村長は之を助役並に各学校長に渡し、各所定の位置に之を立つ、此の時学校生徒並に参列員大いに拍手し之を祝す。
而して此の旗は一村役場各学校に保存し、大祭式日之を掲揚して、蓄積思想を涵養するものとす、此の祝祭には本県知事郡長隣接町村長小学校長議員諸官署長来場して祝辞を朗読せらる、余興には、煙火競馬相撲芝居其の他の催しあり、本村五千余の老若男女は勿論四隣町村民雲霞の如く来集し、無限の広原人波を築き歓呼の声天地を震動し大いに雑踏を極めたり、而して一村此の挙を喜び、大いに蓄積の思想を喚起する所ありたり、后二万祝祭を挙ぐるもこの例に傚(なら)ふべし(明治四十二年九月の記録)

(斎藤郁家資料)