農村社会にみられる社会問題を農村問題という。農業問題と区別されないで用いられることが多いが、農業問題が、農業の経済的諸問題を意味するのに対して、農村問題は、農業問題を基礎にして生まれる、農村の社会や政治や文化の諸問題を総称する言葉である。しかし、このことは、農業問題が農村問題とは別のものであるという意味ではなく、農村問題は、農業問題を正しく把握し、これとの関連の上で理解されなければならない。広義の農村問題の中には農業問題も含まれるといってもよいのである。ところで、資本主義社会では、鉱工業が資本主義的生産によって高度に発展するのに対して、農業では小農経営が残存し工業のような機械化が進まず、農工間の格差が拡大していく。このことは、後進資本主義国において特に著しいが、機械化農業がおこなわれている先進資本主義国でも例外ではない。そして資本主義的生産が発達しないままに、小農経営は、資本主義経済の中にまきこまれ、その社会経済的矛盾からのがれることができず、農産物価格問題、低所得問題、土地問題、農民層の分解、農業人口問題などの農業問題が生じてくる。農村問題は、これらの諸問題に規定されて、農村の貧困ないし窮乏、地主・小作間の緊張や抗争などのほか、家族生活の前近代的な矛盾、農村生活における因習的な慣行、村政の非民主主義的な支配、農民の生活文化の低さなどの社会的矛盾として現象するのである。
日本における農村問題は、日本資本主義が確立され、都市が発達していく過程で、農村の疲弊が目だつようになった明治末年ころ、都市と農村との対比のもとで論議されるようになった。そして、大正の末年、小作争議が頻発し、農民組合が広く結成されたころ、農村社会問題が大きくクローズ・アップされた。つづいて世界恐慌(昭和四年~八年)のころ、農村の窮乏は著しくなり、貧窮のための娘の身売などが農村問題の深刻さを物語った。しかし、その後、戦時体制のもとで、農民組合運動は退潮し、軍国主義的統制によって、農村問題はおしかくされてしまった。この矛盾は、もちろん消滅したわけではなく、第二次世界大戦後において農地改革が、その解決のためにおこなわれなければならなかった。しかし農地改革は、地主・小作関係に基づく問題を解消したけれども、農業問題の根本を切開する革命ではなかった。それは、農業経営そのものには手をふれなかったのであって、日本農業の癌である零細経営は依然として存続した。こうして、戦後の農村では、日本経済の戦争による打撃が、農村人口の過剰をいっそう深刻にしたため、まず農村二・三男問題が大きな社会問題となった。長男は農業を継承していけるが、二・三男は、都市での雇用が期待できないまま、農村に滞留し、暗い生活を送らねばならなかったからである。そして、戦後の価値体系が一変し、農本主義的価値観が崩壊したので、民主化風潮の中で、家族生活や村落社会における非民主的な性格が、農村問題の一翼をになうものとしてとりあげられた。家や村の封建性をなくそうという運動が青年運動や婦人運動の旗印しになったわけである。しかし、その後日本経済が復興から成長に転じ、異常なほどに高度成長をとげていく過程で、農村問題の現象形態も変わってきた。戦後日本の農業は、年々生産力をあげてきたが昭和三十年頃から年率一〇%に近い成長をとげた日本経済の中では、年に三%ほどの成長しかあげられなかった農業は、相対的に窮乏していかざるをえなかった。農業の発展は、農村の生活水準の上昇に追いつけなかったのである。こうして農業人口は、成長をつづけた工業に向かって急激に移動するようになり、農家の多くが兼業農家になっていった。現在の日本の農家では、農業所得よりも農外所得のほうが多くなっているのであり、専業農家が全農家のわずか六分の一にすぎないという統計とともに、兼業化の動きがいかに激しいかを物語っている。この結果、農村における過剰人口問題や二・三男問題は、過去の問題となり、青壮年人口の他産業への流出が農業人口の老齢化と女性化をもたらしたために、老人や婦人の過重労働が問題となり、さらには、新規学卒者中農業に就業するものが三%(昭和四五年)になっている状態では、農業後継者をいかにして確保するかということも農村問題のひとつとなっている。さらにまた、農工間所得格差の拡大と生活と意識の都市化傾向は、農家の娘たちの農家への嫁入忌避の態度をいっそう強めており、農家における結婚難も社会問題に数えられている。さらに、通勤兼業のできない地帯では、農業だけでは生活できない農村が、大量に長期の出かせぎをするようになり、不自然な夫婦別居がもたらす家族解体や不安定な労働市場が生み出す賃金未払や労働強化などを伴うだけに、出かせぎ問題も注目されるべき農村問題となっている。
こうした農村問題に対して、政府は農業基本法を制定し、農業構造改善事業をはじめたが、それは成功していない。農業人口は流出しても、それが挙家離村とは結びつかず、兼業農家がいっそう多くなる傾向を強めたにすぎない。都市に移住して安定した生活を営む条件が整備されていないからである。そして、挙家離村がおこなわれているのは、現在の生活水準のもとでは、居住の限界以下になってしまった山間僻地の村であり、こうした村落では離村する農家が続出すると、残った農家だけでは村落そのものが解体していわゆるゴースト・ヴィリッジ(幽霊の村)になってしまう。これに対して、都市近郊の農村では、無計画に宅地化が進行し、農村が消滅していく。全国的な土地利用計画がないからである。そして、集積の利益よりも過密の弊害が目だつようになった近年では、工業の地方分散を計ろうとする地域開発政策がとられるようになり、地方自治体側も将来の税収増加を期待して工場誘致を目ざしているがこれも先行投資を忍ばねばならぬ農民の負担を増し、農政の後退を結果している。しかも、その地域開発は容易に展開せず、太平洋沿岸ベルト地帯への人口集中は、依然として著しい。このままでは農村に住む人たちがいっそう老齢化し、兼業化を進めながら、農業生産力を低下させ、かたよった人口構成のもとで、過密に悩む都市とは逆に過疎に苦しむ農村が広範につくり出されるかもしれない。都市と農村のアンバランスは回復されず、農村問題は、いよいよ深刻になっていくであろう。
以上のように、農村問題は時代の経過に伴なって現象形態を変えてきている。しかし基本的には、資本主義社会における農業問題の矛盾が、上述のような農村問題を生み出しているのである。初めに述べたように、農業問題の正しい把握はできない。農村問題もまた、資本主義社会の構造的矛盾の中に位置づけて理解されなければならないのである。