こうして幣原内閣(農相松村謙三)によって企てられた農地改革を、普通第一次農地改革という。それは既存の農地調整法の改正という形をとったが、その内容は、自作農創設の拡大強化(五カ年間で不在地主の所有地全部と、在村地主の所有地で三町歩をこえる部分を自作地化する)、小作料金納化(昭和二十年産米の地主価格石五五円を基準とす)、市町村農地委員会の刷新(官選から公選へ)の三点である。
昭和二十年十一月二十二日に閣議決定となった農調法改正案は、ただちに議会に提出された。議会では難航の気配をみせたが同年十二月十八日公布された。ただし、地主の保有限度が農林省原案では三町歩であったのが閣議で五町歩に修正され、また議会では、
(1) 金納化の基準を石当七五円に引上げる。
(2) 小作料の代物弁済を認める。
(3) 市町村農地委員会に官選三名を加える。
という重要な修正が行なわれたことは、地主への打撃を最小限にとどめようとする抵抗力が根強かったことを物語る。