本村は、自然的にも、社会的にも飛躍的に発展する要素もなく、そのため永い間純農村地帯としての農業振興を図り、地域住民の福祉の向上増進につとめてきたが、昭和四十五年~四十八年来の日本経済の高度経済成長に影響を受け、当村内にも二つのゴルフ場が新設され、村中央部の丘陵地帯に品川台工業団地造成地の確保と、県企業局の開発の手が差し延べられ村をあげての工場誘致へと変って来た。さらに四十八年来の石油ショックによる日本経済の激変により、本村農業経済も混乱を続けて来たが、日本経済の沈静とともに当村農業経済も多少安定はしたものの、その生活は苦しく農業収入の総所得額に占める割合は年々減少するばかりである。よって農業経済の合理化、近代化を進めるため全村基盤整備事業を推進し、農業機械の近代化を図り、徹底的な労働力の省力化を進め、余剰労働力を高度な農業経営に振り向け農業収入農外収入の増大につとめ、品川台工業団地の実現に協力し、兼業農家の農外収入を得るに役立たせ農工一体の村づくりを進めて行く。