1 品川信用組合

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 品川弥二郎・平田東助の勧奨により、明治二十七年九月二十七日に設立された。組合員は、品川の農場居住者及び近隣旧村の居住者である。品川・平田両氏は、さきにドイツに留学し、産業組合について研究してきた。ドイツ農村信用組合のライフアイゼン方式によるものである。
 同じくこの年九月に矢板信用組合も設立されている。
  信用組合設立趣意書
 凡そ人の此の世に生るるからは衣食住に不足せずしてその身に相応の生活をなし父母を養ひ子孫を育て天命を全うせんことを謀らざるべからず、人は万物の霊長といひて世にある物の中にてこれほど賢こく又貴きものなしそは唯才智の万物に優れたるのみにあらず、其天性忠孝の道を弁へ信義を重じ国を立て家を治めて人の人たる道を尽すが故なり、されど国には租税あり家には衣食の費あり親戚朋友に交るにも皆夫々の費用なくては済まず、若し此等に充つへき備のなからんには人の人たる道もまた尽すこと能はざるべし、故に此の備を足さむには何人にても常に夫々の業務を力め須臾(しゆゆ)も怠るまじきなり、さて如何なる産業にても物を造り出さむには天然と労力と資本との三を欠くべからず、田畑の作物も目光を受けざれば生長せず鋤を耕へし肥料を入れざれば実ることもなし、さればよしや豊なる天然の土地を備へ屈強なる労力を出だしても若し資本なかりせば之を用ふるところなかるべし、ましてや日に月に進み行く今の世にありて新なる機械方法を用ふる者は愈々富み栄え、之を用ふる能はざる者は世にも人にも後れ行きて終には貧困のきはまりに沈み果てぬべし、然るに是れ皆資本の有る無きとに由る事にて何事も資本の支配を受けざるべからざる世に在りては是非もなき事なり、されど貧しき者は抵当とすべき物なければ資本を借るの道なくよし借り得るも利子高くては損益償はざるべし、ゆえに低利にて返済期限切迫ならさる資本を得べき途を求めむことは小民の産業にとりて急務なりと謂ふべし、然して斯くの如き資本を得るの途は信用組合の法を設くるに如くものなし、信用組合は多人数相集りて組合をなし少額の銭を持寄りて之を一にし互に借り合ひ貸し合ふものにして各人にとりては誠に僅の高なれども集めて一とすれば一廉の資本となりて之を借り得たる人は耕作の肥代ともなし養蚕の桑代ともなして少からぬ利益を得べし、然るときは貧しき者も容易に資本を得るの道ありて各々応分の生活を遂げ人の人たる道を尽すことを得べし、是れ資本に乏しき小民の為には信用組合の最も必要なる所以なり。
 又此の定款は箇条も少からず且つ婦人などには解し難き事柄も多けれど今の世の中の法律は追々繁密となり行きたれば組合の規約も是に伴ひて定め置かざれば何事か起りたる日に至りて差支ふることあるべし、因りて此定款は組合方法の簡略を旨とせるにも拘はらず稍々精密に定めたり。
 抑々信用組合は自ら助くるの旨意にて成立つものなるが故に組合員は皆自ら組合の事務を執るが如き思意にあらされば十分なる結果は得難きものなれどもさりとて一々定款の箇条を諳(そらん)じ明めんは組合役員にこそ必要なるべけれ通常の組合員には左まで要なき事なり、畢竟月々の懸金を滞なく払込み怠りなく業務を営みて持分の金高を殖しなば信用自ら愈増して容易に資本を借り受くることを得て愈々営業の便を得べし、其の他は総会に於て役員を選び其の年の勘定を調査し又は議題に上りたる事柄に対して可否を言ふまでにて組合員の務は足るべし。
 茫々たる大海の水も元は渓間の一滴なり穂に実る粟粒も之を積めばこそ幾万石ともなるなれ、唯慎みて無用の費を省き一銭にても積立てて其業務に用ひなば家も何とてか富まざらむ国も何とてか栄えざる事のあるべき。
  明治二十七年              平田東助識

 
 明治二十七年九月、傘松農場管理人井上平五郎は、信用組合設立に際し、住民が組合の意義が解らないので、その説明を場主の品川弥二郎に求めた処、左のような手紙をよこした。
 本月七日御手紙拝読御無事賀候、荊妻今以てよろしからず無理に箱根より八日の夕連れ帰り申候、十中八九は妄語を吐き全くモルヒネの余毒発ししなり、漸々回服可仕候間御案じ被下間敷候
 陳ば開墾移住の人々も相変らず達者にて田も充分の出来なる由誠に移住民の為め老後の安心の為に銘々勤倹の二字を忘れず風火水災流行病地震戦争等非常の用意を一村は一村一家は一家申合せ、共に相済ふ手段を後年の為にする事尤も肝要と存候、諸(も)ろ諸ろの災にかかりし其時に、貯金をして置けばよかった、勤倹の二字を忘るるなと品川さんがいらぬ御世話だと思ひしが、今日始めて勤倹の二字が大事だと申事に気が付へた、いくらぢだんだを踏んでも焼けた時吹き倒された時地震にゆりつぶされた時に一文なし一粒なしでは、可愛子供も孫も助ける事も出来ず二人となき友人を救ふ事も出事ず、ドウゾ可なり豊作と申年には殊更に貯蓄する事肝要なり兼ねて平田とも相談せし信用組合は今日の進歩の世の中誠に適当の組織と存じ候間、自ら助けて他人の厄介にならぬ様移住民ともどもに申合せ、規則をこしらへ他の村々の手本になる様致したきものと存候、平田とやじもさすれば其の中間になりて移住民の為めになる様やじ等両人は損をしてもよろしく候間、台ケ原の開墾移民は風火水震流行病戦争等の時に臨んで相共に救済する方法を設けあると、各町村各郡の人に向って移住民の大きな顔を致させ度存候、何卒非常の備なくては何事も働き損をするものと移住民へよくよく御申聞せ被下度願候
古人の句に
 もず(鳥の名)でさへ冬の囲ひをするものを、と申置れたり、鳥に人間が負けては済ぬではないかくれぐれもよろしく皆々に御序御序に御申聞け少しく勤勉して貯金信用組合を設ける事に御勧誘被下可候、孫や子が真実に可愛と申事を知って居る人々は必ず同意してくれる事と疑ひ不申候かしこ
 明治二十七年九月十一日           やじ

 井上平五郎様
 
 後年の記録ニ「難解ナリシ組合設立ノ必要ヲ平易ニ説キ即チ氏ハ移住民ヲ集メテ示スニ此ノ書ヲ以テシ勧誘ニ力メタリシカバ遂ニ信用組合ノ設立ヲ見ルニ至レリ是実ニ傘松信用購買販売組合ノ前身ナリトス」とある。

 明治廿七年九月廿七日品川信用組合は湯津上村品川に総会を開き、定款を議定して発足した。
    品川信用組合御認可願
 今般私共申合信用組合ヲ設ケ別紙定款ノ通リ施行致度候間御認可被成降度此段奉願候也
    那須郡湯津上村品川開墾場
明治廿七年九月廿八日 右発起人 大江開一郎
                榊原藤次郎
                平山藤吾
   品川信用組合定款
 第一章 組合の目的及組織
第一条 本組合は組合員に其の業務上要する所の資本を貸付け及貯金の便宜を得さしむるを以て目的と為す。

 組合は別に存立時期を定めず。
第二条 本組合は品川信用組合と称し事務所は当分品川開墾社事務所を以て之に充つ。

第三条 組合員は品川開墾地内に居住し又は同地耕作に従事する者に限る其の他接近の処に住居し日常組合員と相交通する者は望に依り特に組合に加入を許すことあるべし。

 満二十歳に達し治産の能力ある者にあらざれば組合員たることを得ず。

第四条 組合員たらんと欲する者は口頭又は書面を以て組合長に届出て其の認許を求むべし組合長認許を与えたるときは加入者をして組合員名簿に署名捺印せしむべし。

 組合長は認許を与ふる前役員会を開き其の協議を経ざるべからず。
 第二章 以下略

 当初組合員は三六人であった。我国の産業組合法は明治三十三年四月制定された。品川信用組合の発足はこれより五年六ケ月以前の事であった。農場の名称を傘松農場と称したので、後に傘松信用組合と名称を変更した。