第三節 湯津上村農業会の設立

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 昭和十九年四月一日発足、本部を湯津上村役場内に置き、旧傘松産業組合事務所を西部支所とし、小船渡に置いた支所を東部支所として発足した。
 いわゆる戦時統制のための団体故、従来の農業指導機関であった湯津上村農会は指導部となり、経済団体の産業組合は経済部となったのである。
 村長増山稲麻が農業会長となった。
 世情はきびしく物資は欠乏し、世はすべて統制経済となり、農産物の集荷、供出、生活物資、生産資材の配給等に明け暮れ、更には飛行機の燃料に供するため、軍の要請により、大字蛭畑上の山に松根油工場を設置し、村民は村内の山中より松根(ひで)を堀り採り松根油を生産した。
 この松根油工場の指導・管理・作業等に海軍より下士官・兵が一〇名前後駐屯(佐良土かどや旅館宿泊)したが、村内からも常傭の労務者、並びに各字組毎に割当てた奉仕隊が作業を行なった。
 この頃、佐良土・黒羽の県道西側佐良土地内に飛行機の滑走路建設工事が、近接の町村よりの勤労奉仕隊によって続けられていた。村内四ケ寺院には東京本郷の小学校児童が疎開していた。
 村内小学校には陸軍部隊が駐屯していた。
 昭和二十年八月十五日敗戦の詔勅が下った。
 昭和二十二年四月役員改選により会長に蜂巣武が就任した。同年十二月農業協同組合法の施行により、阿久津観蔵精算人代表となり、昭和二十三年八月十四日を以て農業会は解散した。