他方、アメリカ合衆国においてもその国固有な販売組合の顕著な発達がある。
これらのどの国でも協同組合はその開拓者などの努力によって法制化し、組合の発展を期してきたが、日本ではドイツの制度に範をとり明治三十三年(一九〇〇)に制定した〈産業組合法〉により長年運営された。
第二次世界大戦中昭和十八年(一九四三)〈農業団体法〉の成立にいたって統制団体的農業会に吸収され、協同組合制度は一時崩壊したが、戦後諸制度の改革に伴い、昭和二十二年新たに〈農業協同組合法〉(法律第一三二号)が制定され、自由主義を基調とし、農民の自主的組織と組合の民主的運営を特徴とした制度をもつにいたった。
つぎに農業協同組合法の概要を記してみよう。
目的
農業協同組合法は農業協同組合によって農業生産力の増進と農民の経済的社会的地位の向上を図ることを目的としている。
農業協同組合はこの目的を実現するために事業をおこなう法人であるが、特に協同組合の本質にもとづいて、組合のおこなう事業は組合員に最大の奉仕をすることを目約とし、営利を目的におこなってはならないことになっている。
事業
組合(単位農協および連合会)は次にあげる事業をおこなうものとされている。
組合は先にあげた事業の全部または一部をおこなうことができるが、出資をさせない組合(非出資組合という)は(2)の信用事業、(9)の共済事業、(14)農業経営の受託の事業、および(16)の農地等の処分事業をおこなうことはできない。また、(15)の農地などの信託事業は(1)と(2)の信用事業をおこなう単位組合のみおこなうことができる。さらに、信用事業と共済事業をおこなう連合会はその他の事業を兼営することはできない。なお組合は、組合員に奉仕するため、事業はもっぱら組合員を対象におこなうのが原則であるが、組合の事業経営の安定と農村における住民の便益の事情を考慮して、組合員でない者の組合の事業の利用(員外利用という)を各事業年度につき組合員の利用分量の五分の一(ただし、組合員の生産する物資の加工・農村工業・医療事業・信託の引受けでは組合員と等量)以内で認めている。これと表裏して、組合員がもっぱら組合の事業を利用すること(専属利用という)は組合員の忠実性の原則と呼ばれ、組合員として当然の義務である。日本の農協法は専属利用は認めているものの、むしろ制限的態度をとっており、組合の事業の一部につき、一年間の契約を限度とし、しかも契約は組合員の任意としており組合員の自由の擁護と強制の排除に重点をおいている。
組合員
単位農業協同組合の組合員には正組合員と准組合員とがある。
正組合員の資格は、
(1) 農民
准組合員の資格は、
(2) 当該単位組合の地区の全部または一部を地区とする単位農協
また、連合会の正会員は組合(すなわち農協および連合会)であり、准会員は(1)、同種の事業をおこなう他の法律による協同組織体、(2)組合が主たる構成員または出資となっている法人である。
正組合員は一人一票制の協同組合の原則にもとづいて、一個の議決権と役員および総代の選挙権を有して組合の運営に参加するが、准組合員にはこの権利がない、なお連合会の正会員の場合には定款の定めるところにより、その正会員の末端の正組合員(農民)の数に応じ付加議決権、選挙権を与えることができる。
組合には組合員に出資をさせる出資組合と、出資をさせない非出資組合があり、出資組合は正組合員・准組合員を問わず出資一口以上をもたなければならない。一組合員のもつことができる出資口数の最高限度は法定されていないが、各組合は定款で必ず定めておかなくてはならない。出資組合は有限責任であり、非出資組合の責任も賦課額に限られる。組合への加入および脱退は自由である。ただし脱退は年度の終りでかつ六〇日前の予告を要する。
総会・総代会
総会は組合の最高意思決定機関であり、すべて正組合員の平等の議決により重要事項が決せられる。五〇〇人以上の正組合員を有する組合には総会に代わる総代会が認められる。総代は選挙された正組合員で、その総数の五分の一(その総数が二、五〇〇人を越える場合は五〇〇人)以上とされ、任期は三年以内である。ただし、総代会では、総代の選挙はできないし、また解散、合併の議決をしたときは、これについて総正組合員投票をしなければならない。定款の変更・組合の解散・合併・除名は総会の特別議決事項であって、正組合員の半数以上が出席し、その三分の二以上の議決を要する。
役員
組合には代表および執行機関として理事五人以上、また監督機関として監事二人以上の役員をおく。理事の定数のうち少なくとも四分の三は個人正組合員でなくてはならない。これらの役員は総会で正組合員により選挙されるが、単位組合では、総会外の選挙および総会での選挙も認められる。役員の任期は三年以内である。
組合は広範な代理権をもつ参事を採用して専門的に日常業務に当らせることができる。組合員は必要あるときは総会の招集・役員の改選・参事および会計主任の解任を、前二者は正組合員の五分の一以上、後者は十分の一以上の同意により請求することができる。
農業協同組合法は農業協同組合によって農業生産力の増進と農民の経済的社会的地位の向上を図ることを目的としている。
農業協同組合はこの目的を実現するために事業をおこなう法人であるが、特に協同組合の本質にもとづいて、組合のおこなう事業は組合員に最大の奉仕をすることを目約とし、営利を目的におこなってはならないことになっている。
事業
組合(単位農協および連合会)は次にあげる事業をおこなうものとされている。
(1) 組合員の事業または生活に必要な資金の貸付
(2) 組合員の貯金または定期積金の受入れ
(3) 組合員の事業または生活に必要な物資の供給
(4) 組合員の事業または生活に必要な共同利用施設の設置
(5) 農作業の共同化その他農業労働の効率の増進に関する施設
(6) 農業の目的に供される土地の造成、改良もしくは管理、農業の目的に供するための土地の売渡し、貸付もしくは交換、または農業水利施設の設置もしくは管理
(7) 組合員の生産する物資の運搬・加工・貯蔵または販売
(8) 農村工業に関する施設
(9) 共済に関する施設
(10) 医療に関する施設
(11) 組合員の農業に関する技術および経営の向上を図るための教育または農村の生活および文化の改善に関する施設
(12) 組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結
(13) 前記各事業に付帯する事業
(14) 組合員の委託を受けておこなう農業経営の事業
(15) 組合員の所有の農地および採算放牧地の委託による貸付または売渡しをおこなう信託の引受け(これらの土地とあわせておこなうことが相当な委託者所有の森林・道路・建物・工作物などの不動産の信託を含む)。
(16) 組合員の委託を受けておこなう転用相当農地等(組合員の所有に係る農地その他の土地で農業以外の目的に供されることが相当と認められるものをいう)の売渡し、または区画、形質の変更の事業ならびに組合員からの転用相当農地等の買入れ、およびその買入れに係る土地の売渡しの事業
組合は先にあげた事業の全部または一部をおこなうことができるが、出資をさせない組合(非出資組合という)は(2)の信用事業、(9)の共済事業、(14)農業経営の受託の事業、および(16)の農地等の処分事業をおこなうことはできない。また、(15)の農地などの信託事業は(1)と(2)の信用事業をおこなう単位組合のみおこなうことができる。さらに、信用事業と共済事業をおこなう連合会はその他の事業を兼営することはできない。なお組合は、組合員に奉仕するため、事業はもっぱら組合員を対象におこなうのが原則であるが、組合の事業経営の安定と農村における住民の便益の事情を考慮して、組合員でない者の組合の事業の利用(員外利用という)を各事業年度につき組合員の利用分量の五分の一(ただし、組合員の生産する物資の加工・農村工業・医療事業・信託の引受けでは組合員と等量)以内で認めている。これと表裏して、組合員がもっぱら組合の事業を利用すること(専属利用という)は組合員の忠実性の原則と呼ばれ、組合員として当然の義務である。日本の農協法は専属利用は認めているものの、むしろ制限的態度をとっており、組合の事業の一部につき、一年間の契約を限度とし、しかも契約は組合員の任意としており組合員の自由の擁護と強制の排除に重点をおいている。
組合員
単位農業協同組合の組合員には正組合員と准組合員とがある。
正組合員の資格は、
(1) 農民
(2) 農業経営をおこなう農事組合法人、および農業経営およびこれに付帯する事業のみをおこなう他の法人
准組合員の資格は、
(1) 当該組合の地区内に住所を有する個人でその組合の施設を利用することを相当とするもの
(2) 当該単位組合の地区の全部または一部を地区とする単位農協
(3) 協業組織の農事組合法人など当該組合の地区内に住所を有する農民が主たる構成員または出資者となっている(協同組織)団体である
また、連合会の正会員は組合(すなわち農協および連合会)であり、准会員は(1)、同種の事業をおこなう他の法律による協同組織体、(2)組合が主たる構成員または出資となっている法人である。
正組合員は一人一票制の協同組合の原則にもとづいて、一個の議決権と役員および総代の選挙権を有して組合の運営に参加するが、准組合員にはこの権利がない、なお連合会の正会員の場合には定款の定めるところにより、その正会員の末端の正組合員(農民)の数に応じ付加議決権、選挙権を与えることができる。
組合には組合員に出資をさせる出資組合と、出資をさせない非出資組合があり、出資組合は正組合員・准組合員を問わず出資一口以上をもたなければならない。一組合員のもつことができる出資口数の最高限度は法定されていないが、各組合は定款で必ず定めておかなくてはならない。出資組合は有限責任であり、非出資組合の責任も賦課額に限られる。組合への加入および脱退は自由である。ただし脱退は年度の終りでかつ六〇日前の予告を要する。
総会・総代会
総会は組合の最高意思決定機関であり、すべて正組合員の平等の議決により重要事項が決せられる。五〇〇人以上の正組合員を有する組合には総会に代わる総代会が認められる。総代は選挙された正組合員で、その総数の五分の一(その総数が二、五〇〇人を越える場合は五〇〇人)以上とされ、任期は三年以内である。ただし、総代会では、総代の選挙はできないし、また解散、合併の議決をしたときは、これについて総正組合員投票をしなければならない。定款の変更・組合の解散・合併・除名は総会の特別議決事項であって、正組合員の半数以上が出席し、その三分の二以上の議決を要する。
役員
組合には代表および執行機関として理事五人以上、また監督機関として監事二人以上の役員をおく。理事の定数のうち少なくとも四分の三は個人正組合員でなくてはならない。これらの役員は総会で正組合員により選挙されるが、単位組合では、総会外の選挙および総会での選挙も認められる。役員の任期は三年以内である。
組合は広範な代理権をもつ参事を採用して専門的に日常業務に当らせることができる。組合員は必要あるときは総会の招集・役員の改選・参事および会計主任の解任を、前二者は正組合員の五分の一以上、後者は十分の一以上の同意により請求することができる。
住民の意志により本村においては、東・西・南の三地区毎に三農業協同組合がそれぞれ設立され事業を開始した。
湯津上村の生産物は米を主軸として麦類・葉煙草等であったが、山林畑地の開田化に伴い、麦類・葉煙草は急速に減少した。
和牛の生産肥育・養豚・養鶏等も一時盛んになったが、これも減少しようとしている。養鶏については片府田に一軒専業家が残るのみである。
戦後衣料品の不足から、緬羊の飼育も盛んに行なわれたが、繊維製品の豊富になるにつれて、これも全く姿を消した。
生活の向上、多様化につれて農業収入だけでは家計をまかないきれず、大方は農外収入を図って、出稼ぎに頼るようになった。又一面果樹(梨)栽培・ハウス園芸を取り入れ、専業経営による農業収入の増大を図る農家も増えてきた。ハウス園芸は、トマト・キュウリ・ニラ・ワラビ・イチゴ・花卉等である。
1湯津上村佐良土農業協同組合 大字佐良土六七六
組合長 飯塚芳蔵
初代組合長 小林政次
参事 沼野万之助
設立年月日 昭和二十三年四月二十六日
組合員数 正 一四〇人 准 七人
役員数 理事 九人 監事 三人
職員数 六人
農家戸数 専業 七五戸
兼業一種 三五戸 兼業二種 三〇戸
協力組織 婦人部 九〇人
生産組合 九組合(一四〇人)
初代組合長 小林政次
参事 沼野万之助
設立年月日 昭和二十三年四月二十六日
組合員数 正 一四〇人 准 七人
役員数 理事 九人 監事 三人
職員数 六人
農家戸数 専業 七五戸
兼業一種 三五戸 兼業二種 三〇戸
協力組織 婦人部 九〇人
生産組合 九組合(一四〇人)
沿革 地域は大字佐良土の東西に三キロメートル、南北に二キロメートルを一円とし、小川町とは箒川と那珂川の合流点を隔てて隣接している。地勢平坦、湯津上村の中心的地区である。組合設立当初の田畑は一七五ヘクタールであったが、揚水機などの普及で開田が進み、二二五ヘクタールとなった。米麦を主要作目とし、少々ながら酪農もとり入れている。
米麦中心の農家一四〇戸のうちおおむね六〇%が専業で、四〇%が兼業農家となっているものの、兼業依存度は低い方で、組合員の農協に対する関心は高い。
町村合併問題の影響で一部の組合員がいっしょに脱退し、隣接の小川農協へ加入したが遂年事業は伸長し、とくに共済事業の業績はめざましかった。
佐良土農協 主要勘定と事業の推移 |
(単位千円) |
年度 | 昭和24年 | 昭和28年 | 昭和32年 | 昭和36年 | 昭和42年 | 昭和49年 | |
資産 | 余裕金 | 2,376 | 1,489 | 1,401 | 4,455 | 15,828 | 99,002 |
貸付金 | 397 | 4,084 | 1,439 | 6,185 | 19,307 | 110,383 | |
その他資産 | ― | 4,220 | 4,675 | 3,611 | 8,598 | 20,385 | |
固定資産 | 132 | 491 | 626 | 806 | 2,394 | 9,146 | |
外部出資 | ― | 435 | 630 | 720 | 1,159 | 2,655 | |
負債 ・資本 | 貯金 | 3,290 | 5,961 | 6,279 | 10,588 | 34,563 | 195,587 |
借入金 | ― | 1,131 | 697 | 2,750 | 3,200 | 900 | |
その他負債 | ― | 2,294 | 386 | 869 | 5,818 | 31,059 | |
出資金 | 170 | 312 | 1,247 | 1,295 | 3,201 | 10,523 | |
剰余金 | ― | 21 | 162 | 275 | 504 | 3,502 | |
主要事業 | 購買取扱高 | 1,426 | 6,693 | 6,183 | 6,680 | 12,469 | 26,874 |
販売取扱高 | 7,213 | 10,623 | 29,389 | 27,344 | 68,625 | 172,252 | |
共済保有高 | ― | ― | ― | 15,900 | 144,420 | 512,150 |
2湯津上村東部農業協同組合 大字小船渡五六
組合長 植竹俊一
初代組合長 江崎信弥 二代組合長 花塚善蔵
参事 植竹睦美
設立年月日 昭和二十三年八月十五日
組合員数 正 三四二人 准 三〇人
役員数 理事 九人 監事 三人
職員数 一九人(内営農指導員一人)
農家戸数 専業 二八〇戸
兼業一種 二〇戸 兼業二種 一〇戸
協力組織 青壮年部 一五〇人 婦人部 二七八人
生産組合 一七組合
初代組合長 江崎信弥 二代組合長 花塚善蔵
参事 植竹睦美
設立年月日 昭和二十三年八月十五日
組合員数 正 三四二人 准 三〇人
役員数 理事 九人 監事 三人
職員数 一九人(内営農指導員一人)
農家戸数 専業 二八〇戸
兼業一種 二〇戸 兼業二種 一〇戸
協力組織 青壮年部 一五〇人 婦人部 二七八人
生産組合 一七組合
沿革 地域は大字狭原・小船渡・湯津上、地域内の耕作面積は水田四五〇ヘクタール、畑一五五ヘクタール、山林二三七ヘクタール、原野七六ヘクタール、果樹園その他八ヘクタール、計九一八ヘクタールを有し、米・麦・タバコが主産物であったが、麦・タバコの作付は急激に減少し、梨が殖えようとしている。蔬菜関係では特産物のねぎが入山葱の名のもとに名をあげ、畜産物としては和牛の取り扱いも多かった。
農協設立当時の耕地面積は水田三〇四ヘクタール、畑二〇〇ヘクタールであったが、三十五年頃から改田事業が進み、米と梨の産地となった。
東部農協 主要勘定と事業の推移 |
(単位千円) |
年度 | 昭和24年 | 昭和28年 | 昭和32年 | 昭和36年 | 昭和42年 | 昭和49年 | |
資産 | 余裕金 | 2,869 | 8,699 | 8,122 | 25,676 | 75,098 | 238,091 |
貸付金 | 1,367 | 10,370 | 16,670 | 23,446 | 77,195 | 299,515 | |
その他資産 | 4,433 | 5,571 | 10,133 | 8,576 | 25,190 | 210,029 | |
固定資産 | 725 | 1,924 | 2,704 | 11,915 | 18,405 | 62,955 | |
外部出資 | 105 | 1,145 | 1,636 | 1,956 | 3,426 | 7,835 | |
負債 ・資本 | 貯金 | 6,474 | 16,592 | 24,825 | 50,679 | 158,622 | 611,247 |
借入金 | 1,000 | 8,657 | 10,634 | 6,091 | 14,878 | 4,475 | |
その他負債 | 2,265 | 2,118 | 1,196 | 4,872 | 5,082 | 172,264 | |
出資金 | 357 | 922 | 3,847 | 7,998 | 11,225 | 20,483 | |
剰余金 | 19 | 17 | 472 | 191 | 1,753 | 9,956 | |
主要事業 | 購買取扱高 | 3,479 | 13,427 | 18,891 | 23,560 | 68,026 | 224,237 |
販売取扱高 | 23,749 | 39,836 | 66,911 | 106,719 | 261,729 | 364,370 | |
共済保有高 | ― | 25,300 | 33,250 | 618,000 | 3,651,900 |
狭原地区からはニラ、ワラビ等が生産される。
3湯津上村傘松農業協同組合 大字蛭田一九八五
組合長 阿久津観蔵
初代組合長 藤田文太 二代 〃 蛭田末吉
三代 〃 長谷川菊松
参事 蜂巣丈平
設立年月日 昭和二十三年七月十六日
組合員数 正 五五一人 准 二二人
役員数 理事 一二人 監事 四人
職員数 二九人(内営農指導員二人)
農家戸数 専業 三五四戸
兼業一種 五四戸 兼業二種 五戸
協力組織 青壮年部 一二三人 婦人部 三九〇人
生産組合 一八組合
初代組合長 藤田文太 二代 〃 蛭田末吉
三代 〃 長谷川菊松
参事 蜂巣丈平
設立年月日 昭和二十三年七月十六日
組合員数 正 五五一人 准 二二人
役員数 理事 一二人 監事 四人
職員数 二九人(内営農指導員二人)
農家戸数 専業 三五四戸
兼業一種 五四戸 兼業二種 五戸
協力組織 青壮年部 一二三人 婦人部 三九〇人
生産組合 一八組合
沿革 当農協は明治二十七年九月、先覚者品川弥二郎・平田東助の勧奨により設立された品川信用組合の命脈を受けついだものである。
地域は大字片府田・新宿・蛭田・蛭畑・品川地区、佐良土竹の皮地区、大田原市折橋地区、水田六三七ヘクタール、畑一七五ヘクタール、山林一七三ヘクタール、一戸平均一・九ヘクタールの耕地を有し、米の出荷俵数も五万俵になろうとしていた。タバコ・ビール麦の生産も以前は盛んであったが殆ど姿を消した。タバコ耕作は僅かに一戸を残すのみである。替ってハウス園芸が盛んである。
鉄筋コンクリート三階建ての事務所が四十三年末に竣工した。
傘松農協 主要勘定と事業の推移 |
(単位千円) |
年度 | 昭和24年 | 昭和28年 | 昭和32年 | 昭和36年 | 昭和42年 | 昭和49年 | |
資産 | 余裕金 | ― | 16,992 | 29,628 | 67,394 | 258,778 | 1,053,032 |
貸付金 | 2,883 | 18,144 | 35,568 | 64,044 | 159,752 | 372,821 | |
その他資産 | ― | 5,442 | 6,724 | 13,505 | 42,515 | 138,702 | |
固定資産 | 326 | 738 | 5,579 | 12,373 | 20,538 | 82,135 | |
外部出資 | 125 | 1,620 | 2,191 | 2,666 | 5,763 | 13,930 | |
負債 ・資本 | 貯金 | 13,431 | 33,046 | 57,120 | 105,873 | 375,712 | 1,335,618 |
借入金 | ― | 5,569 | 10,384 | 26,978 | 28,062 | 87,270 | |
その他負債 | ― | 1,836 | 5,259 | 14,943 | 48,028 | 167,796 | |
出資金 | 355 | 2,092 | 5,766 | 9,966 | 19,321 | 36,277 | |
剰余金 | 111 | 414 | 1,161 | 2,213 | 6,093 | 33,659 | |
主要事業 | 購買取扱高 | 7,317 | 22,801 | 21,330 | 35,482 | 87,617 | 249,553 |
販売取扱高 | 34,070 | 42,702 | 101,224 | 155,451 | 428,846 | 693,560 | |
共済保有高 | 46,700 | 166,020 | 608,600 | 2,079,500 |
4湯津上村農業協同組合
農協をめぐる諸情勢は、年々きびしさを加え、農協の大規模化が図られ、合併が推進されてきた結果、合併の進行に伴い、昭和三十六年度栃木県下において、一八七の農協が活動していたが、四十二年三月末には九九組合となった。
しかしながら、合併規模において大きいのと、零細のとの不均衡がみられ、経営基盤の確立のため、機能の強化が図られ合併への指導勧奨が強くなってきた。
四十二年二月末における県下の組合員数は正組合員一二万一、一一一人、准組合員一万五、六六一人、農事組合法人七団体となっている。
本県の一組合当りの正組合員は、一、一四六人、准組合員一六六人で全国平均を上回っていたが、その内容は、最大五、〇四七人の組合から最小一三七人の組合となっており、その規模はまちまちであった。
当然、本村内の三農協へも折にふれて合併勧奨が行なわれた。曲折はあったが、遂に村内一つの農協に合併することになり、昭和五十年四月設立総会が開催され、湯津上村農業協同組合が設立された。
湯津上村農業協同組合
南部支所
東部支所
貸借対照表 |
(昭和52年2月28日現在) |
○資産の部 | ○負債および資本の部 | ||||
科目 | 金額 | 前年度金額 | 科目 | 金額 | 前年度金額 |
金融資産 | 円 | 円 | 金融負債 | 円 | 円 |
現金 | 4,721,233 | 933,994 | 貯金 | 2,691,649,391 | 2,484,338,181 |
預金 | 1,697,887,941 | 1,598,305,908 | 借入金 | 67,150,498 | 36,449,126 |
有価証券 | 1,558,690 | 986,810 | 信用雑負債 | 19,035,592 | 6,705,111 |
貸出金 | 994,473,831 | 817,236,588 | 代理業務勘定 | 10,300 | |
信用雑資産 | 801,400 | 1,173,200 | 共済借入金 | 70,450,000 | 71,100,000 |
共済貸付金 | 70,350,000 | 71,100,000 | 共済資金 | 25,984,623 | 23,129,368 |
金融借方経過勘定 | 105,097,757 | 109,276,156 | 金融貸方経過勘定 | 98,588,084 | 87,345,725 |
小計 | 2,874,890,852 | 2,599,012,656 | 小計 | 2,972,858,188 | 2,709,077,811 |
経済資産 | 経済負債 | ||||
経済受取勘定 | 136,610,547 | 119,202,253 | 経済支払勘定 | 54,850,229 | 39,559,752 |
経済受託債権 | 483,235,867 | 398,147,402 | 経済受託債務 | 483,405,947 | 418,688,678 |
棚卸資産 | 92,804,752 | 98,391,648 | 経済借入金 | 10,466,448 | 11,815,871 |
雑資産 | 18,413,714 | 24,721,571 | 雑負債 | 22,068,158 | 13,779,517 |
経済借方経過勘定 | 2,444,775 | 827,886 | 諸引当金 | 76,373,213 | 60,442,474 |
小計 | 733,509,655 | 641,290,760 | |||
固定資産 | 経済貸方経過勘定 | 821,715 | 202,417 | ||
有形固定資産 | 208,438,492 | 174,288,575 | 小計 | 647,985,710 | 544,488,709 |
償却引当金(差引) | △65,969,353 | △57,061,790 | 資本 | ||
無形固定資産 | 出資金 | 103,956,700 | 78,247,950 | ||
外部出資 | 30,084,871 | 26,841,370 | 基金 | ||
小計 | 172,554,010 | 144,068,155 | |||
法定準備金 | 2,000,000 | 0 | |||
繰延資産 | 1,030,833 | 308,562 | 資本積立金 | 40,405,939 | 40,405,939 |
特別積立金 | 1,000,000 | 0 | |||
特別会計 | 繰越剰余金 | 4,764,847 | 0 | ||
当期剰余金 | 8,956,966 | 12,459,724 | |||
小計 | 161,084,452 | 131,113,613 | |||
本支所勘定 | 57,000 | ||||
合計 | 3,781,985,350 | 3,384,680,133 | 合計 | 3,781,985,350 | 3,384,680,133 |
損益計算書 |
(昭和51年3月1日から,昭和52年2月28日まで) |
費用 | 収益 | |||||
事業 | 費用 | 金額 | 前年度金額 | 収益 | 金額 | 前年度金額 |
信用 | 貯金利息 | 146,879,529 | 128,870,840 | 預金利息 | 114,975,333 | 98,324,740 |
給付補てん備金繰入 | 2,269,277 | 1,302,071 | 有価証券利益 | |||
割増貯金費 | 1,258,600 | 貸出金利息 | 96,367,851 | 66,478,926 | ||
借入金利息 | 5,749,213 | 2,269,684 | 信用雑収益 | 12,253,847 | 10,529,905 | |
信用雑費用 | 3,836,584 | 2,852,759 | ||||
小計 | 158,734,603 | 136,553,954 | 小計 | 223,597,031 | 175,333,571 | |
共済 | 共済費用 | 8,556,579 | 5,365,570 | 共済収益 | 35,092,048 | 25,292,259 |
購買 | 購買品受入高 | 547,145,052 | 396,341,513 | 購買品供給高 | 612,303,905 | 451,546,433 |
購買その他費用 | 9,560,773 | 7,550,007 | 購買その他収益 | 9,858,384 | 6,875,908 | |
小計 | 556,705,825 | 403,891,520 | 小計 | 622,162,239 | 458,422,341 | |
販売 | 販売品受入高 | 1,270,382,847 | 1,155,165,868 | 販売品販売高 | 1,272,822,703 | 1,156,545,102 |
販売その他費用 | 4,128,522 | 2,402,128 | 販売その他収益 | 32,202,868 | 19,659,798 | |
小計 | 1,274,511,369 | 1,157,567,996 | 小計 | 1,305,025,571 | 1,176,204,900 | |
その他 | 倉庫費用 | 6,525,981 | 3,589,495 | 倉庫収益 | 24,070,476 | 11,170,040 |
加工費用 | 加工収益 | |||||
利用費用 | 3,588,730 | 利用収益 | 5,517,448 | |||
運送費用 | 220,243 | 302,053 | 運送収益 | 153,800 | 474,614 | |
宅地等供給費用 | 宅地等供給収益 | |||||
受託農業経営費用 | 受託農業経営収益 | |||||
小計 | 10,334,954 | 3,891,548 | 小計 | 29,741,724 | 11,644,654 | |
特別会計損失 | 特別会計利益 | |||||
指導 | 営農改善費 | 1,809,460 | 1,039,842 | 賦課金 | 2,117,860 | 1,628,930 |
生活文化費 | 252,421 | 134,640 | 指導補助金 | 423,000 | 300,000 | |
農政情報費 | 111,449 | 67,940 | 実費収入 | 212,400 | 4,600 | |
組織活動費 | 591,625 | 705,400 | ||||
小計 | 2,764,955 | 1,947,822 | 小計 | 2,753,260 | 1,933,530 | |
事業総費用 | 2,011,608,285 | 1,709,218,410 | 事業総収益 | 2,218,371,873 | 1,848,831,255 | |
事業管理費 | 人件費 | 129,602,428 | 94,603,921 | |||
旅費 | 2,109,700 | 1,730,342 | ||||
業務費 | 9,098,158 | 7,863,786 | ||||
諸税負担金 | 5,989,367 | 3,050,835 | ||||
施設費 | 9,627,313 | 5,927,462 | ||||
減価償却費 | 14,457,789 | 6,851,526 | ||||
雑費 | 317,941 | 234,713 | ||||
小計 | 171,202,696 | 120,262,585 | ||||
その他費用 | 68,657,895 | 26,035,688 | その他収益 | 42,053,969 | 19,145,152 | |
当期剰余金 | 8,956,966 | 12,459,724 | ||||
合計 | 2,260,425,842 | 1,867,976,407 | 合計 | 2,260,425,842 | 1,867,976,407 |
昭和五十二年二月末の事業成績は上表の通りである。
5金丸原開拓農業協同組合 大字湯津上三一一六
沿革 昭和五十一年十一月金丸原開拓農業協同組合事務所の敷地内に開拓三十周年の記念碑が建てられ、その碑文に詳しく刻まれている。
碑文
題字 「拓魂」
栃木県知事 船田譲書
大東亜戦争の終結により、国は祖国再建の国策として、緊急開拓を実施す、これに応じ昭和二十年十一月二十三日、かつてつわもの共の夢のあとであった金丸原陸軍演習地に、裸一貫の同志九拾余名、ここを墳墓の地と定め、金丸原帰農組合を結成して鍬入れを行ない、越えて昭和二十三年九月法律の施行により、金丸原開拓農業協同組合を設立、盟を新にして再生の大業に踏出す、この地は那須野ケ原の一角清流那珂川のほとり、遙かに那須の墳煙を仰ぎ見る広漠たる原野にして、眺望は豊かなれど慣れぬ手に貧しき農具を駆使しての開墾は、言語に絶するものあり、生きんがための道は険しくまた遠く、住むに家なく喰うに食なく、加うるに水道路等生活の基盤を整うるに、日夜東奔西走一握の稔りに希望を託すれど、無情白穂の波に打拉しがれしこと幾歳ぞ、されど湧き出ずる闘魂は一歩も退くを許さず、辛酸苦闘三十星霜、地元先輩諸氏の温情のもと、弛まざる同志の団結による努力は、行政と組織の手引により遂に初志を貫くことを得、今や過ぎし日の原野は豊穣の沃土と化し、家畜また明日の栄を謳う、かくして打ち樹てしこの一郷、後人いつの日にかこれを想起せん、ここに永年に亘り援助鞭撻を賜りし方々に感謝の誠を捧げ「拓魂」の二字に子孫繁栄の祈りを籠めて初代の名を刻してこの碑を建立す
昭和五十一年十一月二十三日
金丸原開拓農業協同組合
組合員一同
栃木県知事 船田譲書
大東亜戦争の終結により、国は祖国再建の国策として、緊急開拓を実施す、これに応じ昭和二十年十一月二十三日、かつてつわもの共の夢のあとであった金丸原陸軍演習地に、裸一貫の同志九拾余名、ここを墳墓の地と定め、金丸原帰農組合を結成して鍬入れを行ない、越えて昭和二十三年九月法律の施行により、金丸原開拓農業協同組合を設立、盟を新にして再生の大業に踏出す、この地は那須野ケ原の一角清流那珂川のほとり、遙かに那須の墳煙を仰ぎ見る広漠たる原野にして、眺望は豊かなれど慣れぬ手に貧しき農具を駆使しての開墾は、言語に絶するものあり、生きんがための道は険しくまた遠く、住むに家なく喰うに食なく、加うるに水道路等生活の基盤を整うるに、日夜東奔西走一握の稔りに希望を託すれど、無情白穂の波に打拉しがれしこと幾歳ぞ、されど湧き出ずる闘魂は一歩も退くを許さず、辛酸苦闘三十星霜、地元先輩諸氏の温情のもと、弛まざる同志の団結による努力は、行政と組織の手引により遂に初志を貫くことを得、今や過ぎし日の原野は豊穣の沃土と化し、家畜また明日の栄を謳う、かくして打ち樹てしこの一郷、後人いつの日にかこれを想起せん、ここに永年に亘り援助鞭撻を賜りし方々に感謝の誠を捧げ「拓魂」の二字に子孫繁栄の祈りを籠めて初代の名を刻してこの碑を建立す
昭和五十一年十一月二十三日
金丸原開拓農業協同組合
組合員一同
碑の裏側には七言の詩と歌が刻まれている。
金丸原開拓賛歌
国破裸身故山帰
同志互援三十霜
悠然不動那須嶺
今成我郷金丸原
移りゆく御代となるとも忘れじな
同志と振りにし鍬のひびきを
竹芳山人書
開拓初代氏名
五月女友幸 藤田寅之助 長谷川千代春
田中勇 故引地忠 長谷川竹蔵
引地延浩 内藤寅七 石井一男
横山久雄 池田正隆 木下当江
故横山喜雄 松村弘一 故金井義雄
倉林清助 岡見俊雄 浅井与一郎
永山留次郎 岡見宣雄 故川岸竹三郎
美留町六郎 矢吹久 大森盛
田積正二 永山喜作 小森友吉
松本菊雄 菊実実津弥 土屋直彦
故笹沼政雄 西野入忠恵 大方春応
渡辺清二 要田康 町田仙三郎
青山貢 池山喜一 故伊藤鉄之助
小川英正 岡部健三 安富新清
故薄井与一郎 木館勇 前田数雄
山口昇 三森美夫 松本金七
星邦友 国井豊三 深沢朝夫
菅野精一 鈴木幸三 金子六郎
鈴木兵作 森剛一 増淵三郎
鈴木英一郎 間庭義雄 古森勇
木村所治彦 船山義市 塚本金一
鈴木進 鈴木四郎 小藤慶三
木村申治 鈴木昇 福田信伊
石渡忠一 故小林三男 池田久
吉成岩次郎 熊谷吉己 増淵三夫
菊地登 故吉成定 本沢道三郎
高山久太郎 歴代組合長
故鈴木金六 船山義市
仲間恒明 藤田集
三橋力男 石川茂平
石川五郎 斎藤薫
堀勝蔵 鈴木義盛
故鈴木義盛 松本金七
木曽正吉 栃木県開拓者連盟
平山三良 事務局長 渡辺寅八書
沼田明 施工 黒羽町野田石材店
渡辺照夫
西海正弘
国破裸身故山帰
同志互援三十霜
悠然不動那須嶺
今成我郷金丸原
移りゆく御代となるとも忘れじな
同志と振りにし鍬のひびきを
竹芳山人書
開拓初代氏名
五月女友幸 藤田寅之助 長谷川千代春
田中勇 故引地忠 長谷川竹蔵
引地延浩 内藤寅七 石井一男
横山久雄 池田正隆 木下当江
故横山喜雄 松村弘一 故金井義雄
倉林清助 岡見俊雄 浅井与一郎
永山留次郎 岡見宣雄 故川岸竹三郎
美留町六郎 矢吹久 大森盛
田積正二 永山喜作 小森友吉
松本菊雄 菊実実津弥 土屋直彦
故笹沼政雄 西野入忠恵 大方春応
渡辺清二 要田康 町田仙三郎
青山貢 池山喜一 故伊藤鉄之助
小川英正 岡部健三 安富新清
故薄井与一郎 木館勇 前田数雄
山口昇 三森美夫 松本金七
星邦友 国井豊三 深沢朝夫
菅野精一 鈴木幸三 金子六郎
鈴木兵作 森剛一 増淵三郎
鈴木英一郎 間庭義雄 古森勇
木村所治彦 船山義市 塚本金一
鈴木進 鈴木四郎 小藤慶三
木村申治 鈴木昇 福田信伊
石渡忠一 故小林三男 池田久
吉成岩次郎 熊谷吉己 増淵三夫
菊地登 故吉成定 本沢道三郎
高山久太郎 歴代組合長
故鈴木金六 船山義市
仲間恒明 藤田集
三橋力男 石川茂平
石川五郎 斎藤薫
堀勝蔵 鈴木義盛
故鈴木義盛 松本金七
木曽正吉 栃木県開拓者連盟
平山三良 事務局長 渡辺寅八書
沼田明 施工 黒羽町野田石材店
渡辺照夫
西海正弘
金丸原開拓農業協同組合
組合現況
組合員数 90戸
耕地面積 270ヘクタール
水田面積 50〃
普通畑面積 60〃
牧草畑面積 100〃
桑園面積 38〃
果樹面積 2〃
花木面積 20〃
乳牛頭数 980頭
肥育牛頭数 150〃
肉豚頭数 300〃
(51年11月)
第廿九回通常総会資料による昭和五十二年三月三十一日現在の事業報告書は次の通りである。
貸借対照表 |
昭和52年3月31日現在 |
資産の部 | 負債資本の部 | ||
科目 | 金額 | 科目 | 金額 |
現金 | 1,854 | 購買品買掛金 | 32,051,080 |
預金 | 5,199,522 | 購買品畜産品買掛金 | 25,825,137 |
有価証券 | 10,272 | 販売品買掛金 | 465,535 |
購買品売掛金 | 32,270,969 | 販売品畜産品買掛金 | 7,572,649 |
購買品商産品売掛金 | 26,329,145 | 未払金 | 19,439,074 |
販売品売掛金 | 960,314 | 預り金 | 69,304,457 |
販売品畜産品売掛金 | 8,121,072 | 仮受金 | 1,853,393 |
棚卸資産 | 2,781,785 | 転貸資金借入金 | 5,903,123 |
立替金 | 217,096 | 近代化資金借入金 | 1,242,000 |
未払金 | 11,772,000 | 農林漁業資金借入金 | 8,114,792 |
仮払金 | 34,202,120 | 開拓保証資金借入金 | 193,281,472 |
開拓連預ケ金 | 395,454 | 一般資金借入金 | 1,570,000 |
栃開協預ケ金 | 防風林 | 12,533,163 | |
近代化資金貸付金 | 1,242,000 | 退職給与引当金 | 828,950 |
農林漁業資金貸付金 | 8,543,981 | 諸引当金 | 1,925,000 |
開拓保証資金貸付金 | 186,144,202 | 減価償却引当金 | 2,553,198 |
転貸資金貸付金 | 6,498,210 | 出資金 | 10,055,546 |
一時資金貸付金 | 13,443,265 | 出資金預り金 | 580,000 |
一般資金貸付金 | 35,647,182 | 法定準備金 | 485,000 |
土地 | 29,306 | 繰越剰余金 | 57,001 |
建物 | 12,176,938 | 当期剰余金 | 51,662 |
備品 | 950,300 | ||
機械器具 | 5,695,400 | ||
開拓連出資金 | 1,830,122 | ||
系統外出資金 | 1,229,723 | ||
計 | 395,692,232 | 計 | 395,692,232 |
損益計算書 |
自昭和51年4月1日,至昭和52年3月31日 |
支出の部 | 収入の部 | ||
科目 | 金額 | 科目 | 金額 |
購買品仕入高 | 94,024,780 | 購買品売上高 | 95,765,777 |
購買品畜産品仕入高 | 77,401,686 | 購買品畜産品売上高 | 77,709,189 |
販売品仕入高 | 404,503,787 | 販売品売上高 | 405,303,140 |
販売品畜産品仕入高 | 57,543,509 | 販売品畜産品売上高 | 57,543,509 |
指導費 | 1,356,514 | 雑収入 | 1,986,501 |
入件費 | 6,179,690 | 賦課金 | 1,068,000 |
旅費 | 121,040 | トラクター利用料 | 314,350 |
業務費 | 1,357,334 | 受入利息 | 15,021,653 |
事務費 | 81,570 | 手数料 | 3,513,003 |
事務所費 | 60,185 | 飼育料 | 2,581,445 |
諸税負担金 | 23,240 | 補助金 | 8,862,000 |
通信費 | 170,551 | 価格変動準備金戻入 | 87,809 |
光熱費 | 74,706 | 貸倒引当金戻入 | 1,450,000 |
トラクター管理費 | 113,352 | ||
雑費 | 265,680 | ||
支払利息 | 14,473,617 | ||
稚蚕飼育所 | 2,486,903 | ||
減価償却費 | 129,570 | ||
固定資産圧縮損 | 8,862,000 | ||
価格変動準備金繰入 | 75,000 | ||
貸倒引当金繰入 | 1,850,000 | ||
当期剰余金 | 51,662 | ||
計 | 671,206,376 | 計 | 671,206,376 |