第六章 土木

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 本村の道路網は、国道一路線、県道二路線、広域農道二支線、村道九四路線により村内をネット状に包んでいる。しかし急速なモータリゼィション(交通の自動車化)の発展に村内道路の整備が追いつかず、これが要因と推測される悲惨な交通事故も数多く発生している。
 主要交通網である村道は基礎集落を結び、主要幹線道路の大半は土地改良事業に伴い幅員が大幅に拡張されつつあり、特に主要路線である村の中央部を東西に横断する村道三号線は、品川台工業団地の主要道路であり、中学生の通学路でもあるので大幅改良に着手した。しかし、その他の集落内の路線は幅員が極めて狭隘でありながら団地問題、財政面から拡幅は非常に困難である。路面は一応防じん舗装を進め、現在四九・四%が処理されているが、主要幹線道路から遂次本舗装を行ないつつあるものの未だ進捗度は遅々として進まない。さらに大半の路線は大型車の通行は危険な状態にあり、今後、工業開発が進むにつれて大型車による輸送が一層必要となるので、これに対処し得る整備が大きな課題である。
 国道、県道は全線舗装が完了し、大部分は改良され整備されている。しかし交通量は増加の一途にあり、特に佐良土地内は通勤時間帯には渋滞がちであり、将来において国道二九四号線のバイパス建設が必要となろう。
 橋りょうは県道蛭田~喜連川線の新宿地内箒川の橋が木橋であるが、道路改良とともに永久橋の架橋が実現する見通しである。しかし那珂川については黒羽地内那珂橋と小川地内国道二九三号線に架かる新那珂橋とあるが、この間約一五キロメートルもあり、現在木橋二(小船渡・滝、佐良土・矢倉)渡舟場一(湯殿)によりわずかに地域住民の足を確保している状況にある。この那珂川の本村湯殿と黒羽町北滝間に永久橋の架橋は地域住民の永年の願望であり夢でもあるので、県関係機関の特別なる援助により一日も早く架橋を実現する必要がある。
 村道の状況
 1 路線数        九四路線
 2 道路実延長      八九、四一九メートル
    内訳 イ 改良済  一〇、九九三メートル(一二・二九%)
       ロ 未改良  七八、四二六メートル
    路面別内訳
       イ 舗装道  四四、一八二メートル(四九・四%)
       ロ 砂利道  四五、二三七メートル
 3 自動車通行不能    一、四四五メートル
 4 橋りょう
    (1) 木橋  橋数
            橋長
    (2) 永久橋 橋数   五九カ所
            橋長   二九八メートル
 昭和五年湯津上村内三小学校の編集になる「連合職員会郷土研究」によると、次のように記されている。
 道路は大田原、黒羽両道共に県道にして、本村道路里程合せて四里十町(一六・八キロメートル)あり、佐良土にて分岐し、一は北に川西町に至り、一は北西に向い金田村を通過し大田原町に至る。最近佐良土地内改修す。往時は稍中央を流れし用水堀あり、雑然として道路狭かりしが、道路面稍平坦となり、両側に用水を設けて外観頗る整えり。
 那珂村(現小川町)との境を箒川流る。其の渡し場は久しく個人の経営にて、船賃を支払いて渡りたりしが、県営となりてより、其の不便を免れ得たりしが、一度洪水となるや橋は取去られ、交通全く途絶えるの状況なり。
 然るに昭和五年六月より県は一三万余円を投じて、架橋工事に着手し、明六年中には竣工の予定なりと。その完成の暁には交通頗る便利となり、車馬の往来も一層頻繁とならん。
 鉄道は東野鉄道株式会社の経営にて、黒羽より延長され、湯津上を経て小川に至れり。大正十三年十二月の開通にして、本村内を縦走すること約一〇粁に及び、内に湯津上・佐良土の二駅あり、交通運輸上に一転機軸を与え、産業開発の上にも影響する所尠なからず。
 大田原街道は、自動車の定期往復ありて、乗客多し。大田原女学校へ自動車にて通学する学生も多し。
 自転車の使用も随時其の数増加し、本村戸数九六九に対し、五七一輛を有し、約二戸に対し一輛の割合なり。
 其の他荷馬車三五台、荷車四〇台を使用す。
(佐良土―小川間の箒橋は昭和六年九月二日完成した)。


小船渡・滝橋


新宿・福原橋


佐良土・矢倉橋


箒橋