正保年間(一六四七)に飲用水のため水不足の高林・波立・大原間・沼野田和へ大巻川から巻川用水路を開さくした。又箕輪・上郷屋・塩野崎・前弥六へも引いた。しかし現在では大巻川からの取水の用水系路はあまりはっきりしていないようである。
沼野田和地内に通じた巻川用水が、吉際・舟山・奥沢・鹿畑地内を流れて湯津上村に通じたわけだが、あのゆたかな水量は、沼野田和金乗院前方の沼地や、吉際辺の湧水から流れ出ているようである。巻川は文字通り曲りくねった蛇行の川で大雨ともなると、平野の水を集めて、たちまち大水となり、時には倉骨地内の県道を水浸しにし、上下両蛭田から県道への交通を途絶したりして猛威を振うことも度々であった。
今整然と整備された田区、拡幅改修された巻川用水、橋の上に立つとき、まことに感なきを得ない。
巻川土地改良区は、昭和四十三年五月二十九日付で、県営巻川地区土地改良事業の施行の認可をうけ、つづいて同年七月十六日付(認可番号栃木第三二八号)で巻川土地改良区設立の認可をうけ事業着手の段取りとなった。
正組合員 総数 四〇二名
大田原市 二〇三名 湯津上村 一七九名 小川町 二〇名
総代数 八五名
役員 二一名
理事 一七名 監事 四名
事務職員 二名
換地委員 四二名
評価委員 三八名
工事補助監督 三名
事業は、昭和四十三年秋着工、昭和五十年度完工の計画であった。
費用は七二・五%の国庫補助、二十ヶ年償還の長期融資である。
当初事業の計画は左の通りであった。
事業量 四一九ヘクタール
総工費 二億八四、一五〇千円
機械器具費 二、三〇〇千円
測量試験費 二、五二〇千円
営繕費 三、八八〇千円
用地買収補償費 三、〇〇〇千円
換地費 一二、六五〇千円
工事雑費
計 三億二一、〇〇〇千円
事務費 二一、三一〇千円
合計 三億四二、三一〇千円
昭和五十二年三月完了した。
事業費決算概要
圃場整備費 四一六ヘクタール(実面積)六億九四、五〇〇千円
巻川河川改修費 九五三五メートル 七億七六、二〇五千円
箒川中小河川 三五七四メートル 一億九六、五三八千円
合計 一六億六七、二四三千円
面積内訳
湯津上村地域 二〇五・四九ヘクタール
大田原市地域 一九九・二六ヘクタール
小川町地域 一一二・〇五ヘクタール
昭和五十二年三月二十五日、事業完成を記念して折橋より新宿に通ずる巻川橋の畔に記念碑を建て竣工の式典をあげた。
記念碑の表面題字には時の厚生大臣渡辺美智雄の筆をわずらわし、裏面碑文は理事長蛭田正一郎の撰文ならびに書である。
碑文
水と大地の調和をめざして、
美しい那須野の一角を流れる巻川は大田原市・湯津上村・小川町の三市町村にまたがり私達の遠い祖先の頃から現在に至るまであまねく沃野をうるおし、秋には黄金の穂波を造り、或は日常生活の命の水としてかけがいのない尊い川であった。然し一度荒れ狂うと沿岸の田畑を荒し家屋までも奪う猛威を振ふ事が度々あり、此の川を治めその猛威を取除く事が私達地域住民の長い間の切なる願いであった。偶々社会の進展に伴い、農業構造改善の基礎的段階として圃場整備への気配が高まり、ここに巻川及びその水流箒川の各堤防改修と併せてその沿岸受益地の基盤を整備するため、昭和四十三年巻川土地改良区が設立された。爾来一〇年、幾多の難関を克服して箒川堤防工事四キロ、巻川改修延長八キロ及び周辺の圃場整備四一九・八ヘクタールの事業を完成した。これによって如何なる大洪水にも耐え得る堤防十余キロ、整備された圃場へ誘水する近代的な堰八ケ所、巻川の両岸を結び機械化農業に応える架橋十九が出来上り、営農近代化への道を一歩前進したのである。今ここに地域住民の献身的な努力と、関係機関の熱心な指導協力により、永い間の願望であった水と大地の調和された姿が実現された、限りない発展を秘めた未来のために、此の事業がその礎石となることを願いこれを記念して建てる。
昭和五十二年三月二十五日
巻川土地改良区理事長 蛭田正一郎 撰文並書
水と大地の調和をめざして、
美しい那須野の一角を流れる巻川は大田原市・湯津上村・小川町の三市町村にまたがり私達の遠い祖先の頃から現在に至るまであまねく沃野をうるおし、秋には黄金の穂波を造り、或は日常生活の命の水としてかけがいのない尊い川であった。然し一度荒れ狂うと沿岸の田畑を荒し家屋までも奪う猛威を振ふ事が度々あり、此の川を治めその猛威を取除く事が私達地域住民の長い間の切なる願いであった。偶々社会の進展に伴い、農業構造改善の基礎的段階として圃場整備への気配が高まり、ここに巻川及びその水流箒川の各堤防改修と併せてその沿岸受益地の基盤を整備するため、昭和四十三年巻川土地改良区が設立された。爾来一〇年、幾多の難関を克服して箒川堤防工事四キロ、巻川改修延長八キロ及び周辺の圃場整備四一九・八ヘクタールの事業を完成した。これによって如何なる大洪水にも耐え得る堤防十余キロ、整備された圃場へ誘水する近代的な堰八ケ所、巻川の両岸を結び機械化農業に応える架橋十九が出来上り、営農近代化への道を一歩前進したのである。今ここに地域住民の献身的な努力と、関係機関の熱心な指導協力により、永い間の願望であった水と大地の調和された姿が実現された、限りない発展を秘めた未来のために、此の事業がその礎石となることを願いこれを記念して建てる。
昭和五十二年三月二十五日
巻川土地改良区理事長 蛭田正一郎 撰文並書
この時の役職員氏名は左の通りである
理事長 蛭田正一郎 理事 吉成義雄
副理事長 松本一次 〃 伊藤勝夫
常務理事 吉成重義 〃 小林倉三
理事 坂主清二 〃 鈴木〓雄
〃 牛井淵恒三郎 〃 穴山光雄
〃 加藤槇之助 〃 高橋正雄
〃 村田鉄雄 監事 伊藤要
〃 竹中武 〃 黒崎清
〃 蜂巣忠 〃 磯健寿
〃 伊藤義夫 〃 奥田健次
〃 熊田権正
巻川橋
巻川土地改良区記念碑